遠藤彰子展(相模原市市民ギャラリー) 2016.08.13 -- 1

2016.08.13(14:30)

160812 相模原 遠藤彰子展展示室

 撮影場所:JR相模原駅ビル「セレオ相模原」4F 相模原市市民ギャラリー
 撮影日:2016.08.12 (新聞記事を除く)
 撮影機器:iPhone6

 8月6日から28日まで、相模原市市民ギャラリー(駅ビルセレオ相模原4F)で「遠藤彰子の世界展」が開催されている。
 じつは横浜美術館にもこの画家の「街シリーズ」の収蔵品があり、私は遠藤彰子さんの空間表現のおもしろさに心を奪われ、縁があれば他の作品を見てみたい、と機会をうかがっていたのだった。


160812 上下重力法則の曖昧な世界

 遠藤彰子さんの空間表現というのは、近景から遠景までがダイナミックに繋がっていて、上下の感覚が曖昧で上と思えば下、下と思えば上とというふうに、彼女の世界では重力の法則でさえ曖昧に、上下左右が自由自在に繋がり、描かれる街の中では登場人物や動物たちが、歩いているかと思えば浮遊していたり、そんな空間表現なのである。


160812 変形する不思議な街を浮遊する人々

 そして、描かれる画面は縦3.3m、横はそのその数倍はあるのだから、絵の前に立てば彼女の世界に引き込まれてしまいそうに圧倒される。その大画面に、「描き残しはイヤだ」とばかりに隅々まで人物や動植物、建物などが描き込まれている。


160813 遠藤彰子新聞記事

 8月10日の日経新聞の夕刊「創 クリエーター」の記事によると、描かずにはいられないこの性分は初めは美大の教官から嫌われ、いまではこの画家の強力なエンジンとなっている、という。
 本人の言葉によると「現実に何かが欠けている感じが常にある」ので、それを埋めるように描かずにはいられないのだそうだ。


160812 遠藤彰子展 街シリーズの1作品

 一方でこの画家の絵の私の楽しみ方は、絵の中のこの階段を登り、この通りに出て、この人の横を通り、上を眺め…、というふうに、彼女の世界の中を歩くことを想像して眺めている。そんなふうにして捜せば、何かおもしろいこと、何か自分が捜しているものが見つかりそうな気がするからだ。
 つまり、私は何か見つかりそうな混沌とした世界が好きなのであり、彼女は現実の世界の欠落感からそれを埋めようとして混沌とした世界を描いているということなので、その結果、画家と鑑賞者である私の望むところはぴたりと一致していることになる。


160812 植物に覆われる街の一部

 「街シリーズ」のあとの遠藤さんの世界には、オオカミとか大蛸とか蜘蛛とか、奔馬とか、いろいろと気味の悪い動植物が多数登場し、彼女の世界は街から離れて幻想的な世界へと向かっているようだ。(上の写真は作品の一部分)


150812 遠藤彰子 混沌とした世界を楽しむ母子

 その中には多数の人間たちが登場するのだが、そんな世界でもかまわず人々は飲み食いし、恋人たちは踊っている。母子像もよく登場するが、母と子は大蛸の起こす波に揉まれたり、大きな木の枝の上で孤立したりしながらも「わあ、すごいね」と、混沌とした世界を見つめ、楽しんでいるように見える。(上の写真は作品の一部に登場する母子像)

 画家の描く世界を目の前にしている私は、だからそうした絵の中の母子に共感を覚え、母子と同じように遠藤さんの描く世界を楽しんでいるのである。

 遠藤彰子さんのプロフィール:1947年東京都生まれ、武蔵野美術短期大学卒業。1969年に相模原市にアトリエを構えたことから、同市の収蔵品が多数あることに繋がっているらしい。

 なお、この展示はカメラ撮影自由となっていました。

コメント
アトムパパ さん、
エッシャーの絵をイメージするのは自然な反応でしょう。ただ、遠藤さんの絵には騙し絵的要素はまったくありません。
こんな街をイメージして、そこに住む人々を描きたくて、細かに描き込まずにはいられない、とそんな感じです。
【2016/08/14 21:32】 | ディック #22hNL7Yc | [edit]
こんにちわ。

不思議な絵ですね。
エッシャーの絵と、少し似てる気がします。
【2016/08/14 21:22】 | アトムパパ #ulYx6Mu6 | [edit]
とても素晴らしい作品ですね。見ていて絵に引き込まれます。確かに自分でこの階段を登りながらいろいろと想像を巡らせるのは楽しいですね。
【2016/08/14 15:15】 | 多摩NTの住人 #rId1tC1Q | [edit]
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