マタイ受難曲 について 2016.02.01 -- 2

2016.02.01(17:35)

マタイ受難曲 東京ジングフェライン表紙 マタイ受難曲 東京ジングフェライン裏表紙

 1月30日、めぐろパーシモン・ホールへ東京ジングフェライン(管弦楽は東京バロックコンソート)の「マタイ受難曲」公演を聴きにいきました。
 3月1日にライプツィヒ・聖トマス教会での公演を控え、その壮行コンサートの意味合いを持たせているコンサートだそうです。

 指揮者の福島章恭さんの好みでは、「ロ短調ミサ曲」のような抽象性よりは、「マタイ受難曲」は物語性が強く、信仰を歌うという側面があるため、信仰のない福島さんには近づきがたかったそうなのですが、まだ二十代の若い頃の私には、バッハが見せるドラマチックな曲作りの一面が、堅いバッハよりも親しみやすく感じていました。

 そのバッハのドラマ性がもっとも強くあらわれているのは、私には「ペテロの否認」のエピソードであるように感じられます。
 最後の晩餐のあと、イエスは自らの受難を弟子たちに予言し、「彼らはイエスをおいて逃げるだろう」と伝えるのですが、ペテロをはじめ弟子たちは「私たちは絶対に裏切らない」と言い張ります。しかしイエスはペテロに「朝一番の鶏が鳴く前に、おまえは三回私を否認するだろう」と伝えるのです。
 ペテロは決してそのようなことはしない、と否定し、おそらく自身そのつもりでいたことでしょうが…。
 その夜イエスが捕らえられ、大祭司の庭で裁判が行われます。
 裁判の様子をうかがっていたペテロを見咎めた大祭司の召使いの女が「あなたはあの罪人と一緒でしたね」と声を掛けました。ペテロは「何のことを言われているのかわからない」と否定します。さらにもう一度同様の場面でイエスのことを知らないと否定し、次は人々に自分の訛りを気が付かれ、「おまえもガリラヤ出だからイエスの仲間だろう」と詰め寄られました。「いや、あなたがたが話しているそんな男をわたしは知らない」とペテロはイエスとの関係を否定します。するとそのとき、鶏が鳴いたのでした。
 ペテロは打ちひしがれて泣き出しました。
 
 この場面、バッハの曲作りはじつにドラマチックで、かつ表現には抑えも効いているのでかえって感動的です。詠唱されたのは福音史家役の畑儀文さんでしたが、この方の詠唱は心に深く染みこんできます。
 福音史家の詠唱を受けて続くのはバイオリン独奏を伴奏とするアルトのアリアですが、この曲はマタイ受難曲中屈指の名曲といってよいでしょう。ペテロの悔恨と懺悔の情を切々と歌い上げていきます。
 マタイ受難曲というのは短い曲の積み重ねなのですが、ペテロの否認の場面とアリアは、私にはバッハがこの場面に特別の力を注いで曲作りをしたように感じられます。
 あれほど「私はあなたを否定したりはしません」と言い張ったのに、いざとなったら怖くなってころりと心を翻し、主と仰いだイエスを裏切ってしまうペテロの心の弱さ。それが胸を打つのは「自分だって弱い人間だ、怖くなればきっと簡単に裏切ってしまうだろう」という自覚があるからです。
 
 しかし、そのペテロにイエスは「天国の鍵」を授け、教えを広めることを委ねたので、カトリック教会はペテロを初代のローマ教皇と見なし、サン・ピエトロ教会はペテロの墓の上に建てられ、現在までローマ・カトリックの中心地となっています。
 旧約聖書の神はあまりに残忍で怖ろしい神様で、私はあまりそばへ寄りつきたくありません。2014年公開の映画『エクソダス 神と王』などの映画を見ても、そう感じている西欧人だって多いのではないか、と思われます。
 しかし、その後のペテロの行く末を見るならば、「イエスは心の弱い人間を赦してくれる。見捨てたりはしない」というメッセージが感じられます。キリスト教がユダヤ人たち一民族の宗教ではなく世界的な宗教になり得たのは、「ペテロの否認」のエピソードがあったからではないのか、などと、マタイ受難曲を聴きながら、私はそんなことを考えていました。


150907_サン・ピエトロ寺院 主祭壇

 撮影場所:ヴァチカン市、サン・ピエトロ聖堂
 撮影日:2015.09.07

 写真はヴァチカン・シティ、サン・ピエトロ寺院の主祭壇です。左奥に見えているのが「ペテロの椅子」、右手前が主祭壇の天蓋です。どちらも以前「プロセルピナの掠奪」などの彫刻を紹介したベルニーニの作品です。
 主祭壇の下にはペテロの墓所があり、骨が発見されていますが、それがペテロの遺骨かどうか議論はいろいろとあるようです。
コメント
FREUDE さん、
聴くたびに何か新しい発見、体験、感動のある曲ですから、また機会があれば…。

私がバロック音楽に浸っていた69〜70年頃は、古楽器の演奏はほとんどありませんでした。
フランス・ブリュッヘンが録音を始めた頃、「なんだ、これは? 」とやや違和感を抱いて受けとめていました。まだ、針飛びの音とか、オープンリール・テープのヒス音などが気になった時代です。
正確な音程と安定感のある現代楽器のほうがいいな、と当時は思いました。そのうち、慣れてしまいましたけど…。
生演奏での古楽器オケは今回が初めてです。なかなかいい味だな、と思いました。

ヴィンシャーマン氏指揮のときと、今回と、どちらがどうと聴き分けているわけではありませんが、私もこの半年のあいだにキリスト教への理解そのものがかなり深まっていまして、聴きながらあれやこれやと心が動きます。
そんなことをちょっと書いてみました。
【2016/02/03 22:29】 | ディック #- | [edit]
takae h さん、
バッハを初めて聞いた頃は似たような受けとめ方でした。
でも、管弦楽組曲第3番のアリア(いわゆるG線上のアリア)とか、ゴルトベルク変奏曲のアリアとか、メロディ・メーカーの一面もあります。
やはりなんでもできる天才だったのでしょう。
【2016/02/03 22:12】 | ディック #- | [edit]
一昨年11月の大阪フィルハーモニー交響楽団公演に続き、
今回もマタイ受難曲をお聴きいただいたことに
深く感謝しております

すべてに於いて実績という格が前回と違った訳ですが
福島章恭氏の指揮はH.ヴィンシャーマン氏とは違った解釈、
両方を経験できたことを幸せに思っております

古楽器のオケもすばらしく
また私たち大阪フィルハーモニー合唱団からの参加4人は
2~5回程度の練習でしたが他のメンバーは2年4ヶ月も練習を重ねており
気迫を感じました

タワーレコード社、板倉重雄氏がfacebook上に
賛辞を掲載してくださったようで嬉しく思っております

このたびは本当にありがとうございました
【2016/02/03 09:22】 | FREUDE #6AWUBD.o | [edit]
おはようございます。

ペテロの否認の場面は
言葉もわからず、全体のこともわからず、
ただ聴いているだけでも、
耳に残りました。とてもドラマチックでした。
内容を知ってからは、心に響くようになりました。

音楽が言葉を超えて心に訴えるということを、私はマタイ受難曲で初めて、
そしておそらく一度きり、経験しました。

バッハは、ピアノを練習している若い頃には難解で、がちがちの理論派かと思っていましたが、最近ではかなり熱血の熱血漢、もしくは大衆的なおっちゃんだったのではないかと思っています(笑)。
【2016/02/03 08:43】 | takae h #A5.soH/6 | [edit]
こんばんは。

こういうところには妻と?
いえいえ、一人で行きたいです。
そして、音楽を聴きながら
いろんなことに思いを巡らし、
時間を過ごしたいです。
単なるBGMかと言われましても
逆にそういう贅沢な時間があっ
ても良いなぁと思っています。


【2016/02/01 21:08】 | 地理佐渡.. #s/KLKpB2 | [edit]
アトムパパ さん、
1階中央前のほうで聴いていました。
ライプツィヒまで遠征されるレヴェルのバッハのマタイ受難曲であれば、よい席で聞きたいと考えられる方は多いに違いない、と予想し、開場前には現地に着きましたが、予定よりも早く開場されていました。あと5分早く行っていればベストだったのに…、というところです。
【2016/02/01 20:38】 | ディック #- | [edit]
こんにちわ。

お会い出来ませんでしたね。
私は、初めてで出遅れてしまい、
2階から聞いていました。

みなさん、開演前から、席を取るんですね~。
初めてで、良く解りませんでしたが、
タバコも吸わず、楽しんでました!
【2016/02/01 18:49】 | アトムパパ #ulYx6Mu6 | [edit]
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