没後100年 五姓田義松 --最後の天才-- 2015.10.17 -- 2

2015.10.17(23:00)

五姓田義松1

 2013年の1月、横浜美術館に「はじまりは国芳 ~江戸スピリットのゆくえ」という展示を観に行った。
 幕末の浮世絵師 歌川国芳が、明治の洋画の始まりに繋がっている、という内容の展示であり、私は当時の「ディックの本棚」に感想を書いているが、その一部を以下に引用する。
 
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 横浜美術館の所蔵品の中に渡辺幽香が描いた「幼児図」という印象的な作品がある。
 ぼくはこの「幼児図」が気に入っているのだが、画家の渡辺幽香というのはいったいどんな人物なのか、調べたことがなかった。今回の展示で初めてよくわかった。
 渡辺幽香は女性で、五性田義松の妹、五姓田芳柳の娘なのだ。五姓田芳柳も義松の絵のコレクションも横浜美術館でよく見かけていたが、渡辺幽香の縁者だったわけだ。それどころか、五姓田芳柳は歌川国芳の門下なのだった。
 そしてこの五姓田芳柳らが、写真を基に絹地に筆で陰影を付けながら肖像や日本風俗を写実的に描くという手法を編み出していた。これらも横浜絵といわれて、諸外国へ輸出されていたのだ。

 山本芳翠という画家がいる。三菱一号館美術館のオープンを飾った「三菱が夢見た美術館」展に山本芳翠の「十二支図」のうち「牽牛星」が出品されていて、ぼくは目を見はったことがある。日本画と西欧画の融合の美しさとでも言おうか。山本芳翠は、五姓田芳柳の横浜絵に感心して芳柳に入門した、と言われている。
 まさしく、またまた「はじまりは国芳」だった。

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 そして、神奈川県立美術館で現在開催されているのが 特別展「没後100年 五姓田義松 — 最後の天才 —」である。

五姓田義松2

 長々と書いているのには理由がある。
 五姓田義松は早熟の天才で、十代の頃にチャールズ・ワーグマン(幕末に来日した英国の画家)に弟子入りし、早々と師を上回る絵を描いていた。今回の展示をいって真っ先に驚かされるのは五姓田義松が17歳頃に描いていた水彩の風景画で、あまりの見事さに驚かされるのだ。
 五姓田義松はその後フランスに渡るのだが、彼が学んだのは伝統的な西欧絵画の手法であり、フランスではその頃から印象派がもてはやされるようになっていった。
 帰国後の日本でも、黒田清輝が人気となっても五姓田義松は忘れ去られる運命だった。
 つまりは、「五姓田義松は忘れられた天才」なのである。

 私はもともと近現代絵画が好きで絵を見るのが好きになったのだが、ここ2、3年の間にルネサンスなど西欧の伝統的な絵画を見る眼を養うことに努めてきた。
 いまだからわかる。一見地味ではあるけれど、五姓田義松はやはりずば抜けた天才だった、と思う。

 本展は五姓田義松にスポットを当てた貴重な展示であることは間違いないが、神奈川県立博物館の展示方法はあまりにも稚拙で、まるで素人が企画したようだった。
1. ガラスケース内に数枚のデッサンや水彩画が並べられている。その位置がガラスケースの下部にあって番号が振られ、最下部に表示された番号と題名で何の絵かわかるようになっている。
 おそらくは先に(無計画に)ガラス板にシールを貼るなどして、後から組み立てたのだろう。
 番号と題名部分はケース下の黒い台座の下側になり、字が地の黒と一緒になった部分はほとんど読むことができない。
2. 最初の部屋に詳細な年表がある。たとえば「勢子が義松と同居を始める」とある。奥さんが同棲したのか、妹と一緒に住んだのか、さっぱりわからない。家系図は最後の部屋にあり、そこではじめて勢子は母親のことだとわかる。
 本展示において、絵画の技法のすばらしさ、というようなこととは別に、見る人を感動させる力を持っている作品は明らかに家族を描いた絵だ。展示する側もそれがわかっているから家族の絵を最後の部屋に持ってきたはずである。
 つまり、五姓田一族の家族関係は本展にとってきわめて重要なポイントなのだ。
 ぼくは「渡辺幽香は妹だったっけ?」と展示を見ている初めからずっと疑問に思っていたし、年表を真っ先に出すのだから、家系図も同じ最初の部屋に展示すべきだろう。そうでないと、年表内の人物名と家族との関係がわからないまま悩みつつ展示を見ることになってしまう。
3. 展示室内で声高にあれこれ会話する人たちがいても、部屋にいる係員はまったく注意しない。
 博物館なら「あれこれ論評しながら見る」のはむしろ歓迎すべだろうが、本展は美術展だ。観るほうは集中して感性をとぎすませているのに、横であれこれ勝手なお喋りをされてはたまらない。

 せっかくの展示なのに…、とぼくは残念だった。神奈川県立博物館は、このような美術展を開催する基本的な技能や方法について、あまりにも未熟なのだった。
 なにしろ、本展のパンフレットは確かに存在するはず(見たことがある)だが、すでに配り終えてなくなったのか会場にはない。会場に来た人がパンフレットを持ち帰り、口コミで友人や家族に伝えて新しい人が見に来る、という機会を自ら放棄しているようなものだ。
 パンフレットがないので、この記事の画像は博物館のホームページから pdf ファイルをダウンロードさせてもらった。あれこれ批判めいたことを書いていても、多くの人にこの展示を見てほしいという点は同じだからだ。
 また展示目録は印刷が間に合わず印刷中だとのこと。五姓田義松の名を知らしめたいという熱意は展示から感じられるのに、あまりにも不手際が多いのだった。

コメント
それは県立博物館だからでしょうか?
最近、なんでも公立よりも私立のほうがいいような気がします。
と、県立高校の教員だった私が書くのもさみしいものがありますが。
【2015/10/18 12:02】 | YUMI #2Qwf./yA | [edit]
不手際は事実として残ります
おそらくは新人が担当したのでしょうが
もしベテランの担当であれば排除すべきです

今、恐ろしい勢いで日本が失速しているような気がします
なぜこんなに仕事ができないのか、という場面を
頻繁に見るようになりました
【2015/10/18 07:38】 | FREUDE #6AWUBD.o | [edit]
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