
アンドレア・デル・ヴェロッキオという人は、メディチ家の庇護もあって、フィレンツェで大きな工房を経営していました。画家、彫刻家、建築家、鋳造家となんでもできる人でした。
今回はヴェロッキオのダビデ像の紹介です。
ミケランジェロ、ドナテッロとダビデ像を紹介してきたので、その勢いで続けていこうという安易な発想ですが、そういうのもおもしろいのではないかと。

ここでもう一度「ダビデとは誰か」のおさらいをしておきます。
イスラエルは外敵のペリシテ人(実態はいまひとつ不明)の攻撃に悩まされていました。
ゴリアテという名の巨人がペリシテ軍にいて、これがとても強いのです。イスラエルの兵士は恐れをなして防御戦に苦しんでいましたが、そこへダビデが登場。彼の武器は川原の石と投げ紐だけ。
ダビデが狙いすまして放った石はゴリアテの眉間に命中。ダビデはすぐに進軍してゴリアテの首を取りました。
これをきっかけにペリシテ軍は敗走。ダビデはイスラエルの英雄となりました。

当時のフィレンツェは数多くの外敵に囲まれ、傭兵を雇うなどまでして戦争をやっていました。外敵を退けるユダヤの英雄の像が人気を集めていたのは、当時のフィレンツェが諸外国と緊張関係にあったため、ということのようです。

さて、ヴェロッキオの工房にはたくさんの弟子がいました。レオナルド・ダ・ヴィンチもその一人。
誰が言い出して広まったのか、「このダビデ像のモデルは弟子のレオナルド・ダ・ビンチだ」という噂もありました。
レオナルド・ダ・ビンチというと、「爺さん面」しか知らないし、個人的な逸話もあまり残っていないので、なんとなく正体不明の人というイメージですが、「こんなかわいらしい若者だったの? 」とちょっと意外です。

ダ・ビンチがヴェロッキオの弟子だったというのは事実です。
ヴァザーリ(この人については、いずれ紹介します)が書いた芸術家列伝によりますと、レオナルドの父親が友人だったヴェロッキオにレオナルドの作品を見せ、才能が抜群だとヴェロッキオが感心して、弟子として迎え入れたのだとか。
上の写真はウフィツィ美術館で撮影したヴェロッキオの「キリストの洗礼」という作品ですが、左下、左側の天使を描いたのはレオナルドだということはよく知られています。

弟子が描いた天使の絵を見てヴェロッキオが絵筆を折った、とかは誰かの作り話にせよ、思わず「なるほど」と納得してしまいそうな逸話です。
ヴェロッキオは天才ではなかったかも知れないけれど、数多くの弟子(ボッティチェリもヴェロッキオの工房にいました)を育て、精力的に仕事をした人でした。