
昨日の記事の礼拝堂、修道院の廃墟等はローネッテ川(the river Launette)に囲まれた造りとなっていて、これらレイアウトが決められたのは16世紀半ばのこと。例の イッポーリト・デステ枢機卿が指示したことのようです。
昨日の記事の「修道院長の礼拝堂」の背後に「庭」があります。
デステ枢機卿はこの庭の外観として、狭間のある壁と、腕を広げるかのような門を造らせました。内部はイタリア式庭園でした。

じつはイタリア式庭園はすでにひとつ紹介しています。ジェルブロワの村にあった「シダネルの庭」です。
イタリアの土地柄に思いを巡らせばなるほどと思うのですが、イタリア式庭園というのは、Wikipedia の言葉を借りますと、幾何学式庭園であるけれども、「テラス式、あるいは露段式庭園とも呼ばれ、丘の中腹に配される隠れ家のような敷地の立地条件、庭園敷地が長角形などの形態のテラス数段での構成、上段テラス中央に建物を配して軸線(ビスタ)を設定し左右対称の構成をとる、多くの人工物を配して訪れる人々を楽しませる、庭園の内部から周囲の風景を眺めパノラマ景を楽しむ、などを特徴とし、14世紀から16世紀にかけて主にイタリア郊外の別荘(ヴィラ)で発達した庭園を指す」ということのようです。
ここは平坦ではありますが、こちらの門や城壁は、城塞跡を庭園とした「シダネルの庭」と通じるものがあるように感じます。
いまはバラ園に改装されているので、全体の配置(左右対称で幾何学的)や庭園に残されている人工物(水盆など)に、イタリア式庭園の面影を感じます。







最後の写真、大きく載せるわけにはいきませんが、よい雰囲気でしょう?
バラ園の様子の写真記事は、さらにもう1回続きます。
なお、昨日の礼拝堂内部のフレスコ画の写真をご覧になっていない方は、ぜひ一度ご覧ください。
【日常の記録】
7月7日、夕刻雨が上がったので、スポーツ・ジムへストレッチと筋力トレーニングに出かけました。