
6月16日、パリの北方40km、エルムノンヴィル(Ermnonville)の森の中、シャーリ修道院(Abbaye de Chaalis)を訪れました。
敷地の門をくぐると、このような光景が見えてきます。
右端が中世の修道院跡、正面が唯一中世の建物が残されている礼拝堂、その左奥にバラ園のゲートが見えています。

立ち位置を少し左のほうへ変えました。
観光地としてはさほど知られていなくて、左の子どもたちは社会科見学か何かのようでした。

最初の記事で、カペー朝のルイ六世が「シャーリ修道院」を創建した、と書きました。
ケン・フォレット原作のドラマ『大聖堂』などを見ていると、修道院には相応に収入があり、その収益がどこに入るかというのも、教会や王侯貴族の間の権力争いのもととなっていたようですが、シャーリ修道院は王立ですから、収益が誰に帰属するかは国王が決めることができる、ということになります。
1541年、国王(たぶんヴァロワ朝のフランソワ1世)は、その権利を従兄弟の聖職者イッポーリト・デステ(Hippolyte d'Este "Cardinal of Ferrara”)に与えました。
イッポーリト・デステというのはとても贅沢な人で、ティヴォリのエステ家別荘(Villa d'Este" in Tivoli)は世界遺産に登録されている後期ルネッサンス期の代表的な庭園で、イタリア一美しい噴水庭園として称えられているそうです。
そんなイタリアの枢機卿がシャーリ修道院の修道院長になったことで、中世から残っていた礼拝堂の建物は彼の好みで改修され、庭園はイタリア式の庭園になりました。庭園のほうはその後はフランス式庭園となり、いまはバラ園となって残っているわけです。左手奥にバラ園の門と壁が見えていますが、本日は修道院長の礼拝堂を紹介します。

礼拝堂の外観は中世の建物です。

内部のステンドグラスや天井画は、おそらくほとんどが修道院長イッポーリト・デステが改修させたものでしょう。

修道院長イッポーリト・デステはイタリア人の画家フランチェスコ・プリマティッチオ(Francesco Primaticio)に礼拝堂のフレスコ画を描かせました。
フランチェスコ・プリマティッチオはイタリア人のマニエリスムの画家・建築家・彫刻家で、主にフランスで活躍した人だそうです。

これが受胎告知の様子を描いたものだ、ということはぼくにもわかります。
大天使ガブリエル(左)が純潔を象徴する白いユリを手に持って、ひざまずくマリアにイエスを身ごもっていることを知らせにくる、という光景です。



黒い像はおそらくネリー・ジャックマール(Nellie Jacquemart-Andree)だと思われます。
1902年にこの修道院跡の不動産を購入した女性(銀行家の寡婦)で、芸術作品の蒐集家です。彼女は死後にこの礼拝堂の中に葬られることを主張したとのことで、これは彼女の墓ということになります。銘板には彼女がフランス学士院に不動産を寄付したことが書かれているようです。

これがどういう人物の、何のためのレリーフなのか、わかりません。
エルムノンヴィルというところは、ルソーを記念した公園があって訪れる人がいるそうです。人口は2008年で913人の村。(適当に村とか町とかぼくは言っていますが、フランスの最小自治体単位は commune といい、町とか村とかの区別はありません)
そんなところにこのシャーリ修道院がある。こんな美しい礼拝堂があるのです。
ぼくは2日目にして、フランスの底力を感じ始めていました。