
パリ近郊の庭園巡りの旅の2日目(6月16日)は、まずパリの北方40km、エルムノンヴィル(Ermnonville)の森の中、Abbaye de Chaalis(シャーリ修道院)というところへ向かいました。

企画された 元木はるみ先生 はシャーリ修道院には美しいバラ園があるからということだと思いますが、シャーリ修道院は日本人にはほとんど知られてなくて、ここを訪れる人は少ないと思われます。
シャーリ修道院はルイ六世(1081-1137)によって創建されたといいます。
ルイといってもブルボン朝ではなくてカペー朝の時代、絶対王政の時代ではなく、まだ中世で、王は諸侯の反乱に苦しめられていた頃です。
ルイ六世は聖職者を政治顧問に重用し、修道院改革などを行った人です。
シャーリ修道院は国王が創建した修道院ということで、イタリアから建築家や画家などが招かれ、かなり大規模で立派な修道院だったようです。

フランス革命後、教会と回廊はかなりの部分が破壊され、古典主義様式の城館が残されました。
この館は19世紀になり、新しい所有者によってその部分が城として改築され、1902年、銀行家エドゥアール・アンドレ(1833-1894)の寡婦であるネリー・ジャックマール(Nellie Jacquemart-Andree)(1841-1912)がその城を購入し、世界各地から収集した芸術作品の一部を展示しました。
その城と美術品や領地がフランス学士院に寄贈され、当時の様子を残したまま、美術館(La château-musee)及び公園として公開されています。(ただし、建物内部は撮影禁止。)
展示品はジヨット(1267頃—1337)の二枚の絵画を含むイタリア・プリミティフ(中世から初期ルネサンス期にかけてのシエナ、フィレンツェの画家たち)の絵画、といっても、建物内部の装飾・調度品に圧倒されて何も憶えていませんが(笑)
哲学者ルソーの遺品なども展示されています(ルソーは近隣でなくなったようです)。
元の修道院の教会堂(L’église abbatiale)は瓦礫の残った廃墟となっています。
トップの廃墟の写真では、左側の壁が崩れた穴から、城館の建物を利用した美術館が見えています。
また、同じ写真の右端のほうに、礼拝堂の屋根が見えています。

聖マリア礼拝堂(La chapelle SAINTE-MARIE)は、内部の天井画などが美しいです(写真撮影可)。
英語とフランス語のサイトを読んで概要を掴むのに苦労していまして、本日は「バラ園」「修道院教会堂の廃墟」「城館(美術館)の建物」「聖マリア礼拝堂」の写真を一枚ずつ、さらっと紹介して終わりといたします。
離れた位置で撮影した端整な写真は絵葉書みたいにきれいで、その代わり現実感や迫力に欠けています。
次回以降は、近寄って撮影した現実味ある写真も紹介していきます。
【パリ近郊の旅の足】(付録)

3日間のパリ近郊の旅でお世話になった大型観光バスです。
この大きなバスにたった19人という贅沢を味わいました。

運転手シェリーさんの運転席。
この大型バスで、どんな狭い田舎の村の道でも平気で侵入していきます。

シャーリ修道院へ向かう途中で立ち寄ったガソリンスタンド兼ドライブイン。
14日の夜にホテル近隣のスーパーへ買い物に行きましたが、スーパーとかドライブインとか、フランス人が日常利用するようなお店を覗いてみて、飲み物や食べ物、ちょっとした土産になりそうな品を買ってみると、彼らの日常感覚がわかってきて、おもしろいのです。
ちなみに、ただ水を飲みたいというだけでも、こういうところで買う必要があります。飲み水は水道からふんだんに流れ出てくるのに慣れている日本人としては、ずいぶん面倒だと感じます。
また水を買う場合には、ガス入りかガス無しかに注意が必要です。