宇都宮辻子幕府跡を捜して…

2014.03.28(15:00)

【若宮大路東西の屋敷配置図】

若宮大路東西屋敷配置図140311

 和田塚の記事のときに一度掲載した図面の写真です。
 3月11日の鎌倉散策の目的は、「大蔵幕府」「若宮大路幕府」「宇都宮辻子幕府」の位置を実地確認することでした。
 図面まん中の若宮大路の右側に平行に南北に通っている道は、鎌倉時代も現在も「小町大路」(こまちおおじ)と呼ばれています。図面右下、東西に若宮大路と小町大路をつないでいる通りが「宇都宮辻子」(うつのみやつじ)です。(「辻子」は小道の意味)


【日蓮上人辻説法の地跡】

日蓮上人辻説法跡140311

 ぼくはとりあえず「小町大路」の「日蓮上人辻説法跡」へ行ってみました。
 「日蓮上人辻説法跡」に向かって立ったとき、背中の辺り一帯が「宇都宮辻幕府」の敷地だったはずです。
 しかし、ぼくはできればその敷地境界を確認したいのです。
 「日蓮上人辻説法跡」から南へ歩いて、どこかの角で右へ曲がり、若宮大路へ抜ける道が「宇都宮辻子」のはずであり、その小道がどれなのか。
 最初の通りはどうも間違いのようでした。


【宇都宮辻子の通りはこの道だったのか】

宇都宮辻子らしき通り140311

 それでは、2番目の、上の写真の通りなのか?
 歩いて見るしかありません。
 しかし、若宮大路まで抜けてはいけないのです。なぜなら、「宇都宮辻子幕府」は若宮大路に面してはいなかったからです。
 源実朝が亡くなり、京都から九条頼経を連れてきてもまだ2歳だから北条政子が職務代行して将軍は不在。やがて北条義時が亡くなり、泰時が第三代執権になるには、求心力強化のため頼経を元服させ征夷大将軍にしなければならなかった。心機一転のため、将軍の御所を大蔵幕府から宇都宮辻子に移したのが「宇都宮辻子幕府」です。

 ところで、京都から連れてきたのがなぜ九条家の子どもなのか。
 源氏・平氏の歴史において、細かいことは抜きにして大きく眺めて、平氏は上皇と仲良くし、源氏は摂関家と仲良くする戦略を採りました。
 摂関政治は院政に負けて力を失ったので、源氏の立場が弱くなり平氏が強くなった、と憶えると、納得がいきます。
 九条家(くじょうけ)は、藤原北家から別れた五摂家のひとつですから、源氏とはつながりが深かったのでしょう。九条頼経は源頼朝の同母妹の曾孫だそうですが、九条家なら頼みやすかったのではないか、とも思われます。


【この路地が宇都宮辻子幕府の西側境界線か…】

この路地の右側が宇都宮辻子幕府跡か140311

 さて、写真の通りを歩いて行くと、あったあった! 細い小道が右の方へ続いています(上の写真)。
 この北西側角(左側手前)は「日本基督教団鎌倉雪之下教会」のようです。
 この路地が「宇都宮辻子幕府」の西側境界線だとすると、この路地の右側(東側)が「宇都宮辻子幕府」の敷地だった、ということになります。
 この路地へ曲がらずに、歩いてきた通りを直進すると、二の鳥居駐車場のある交差点に出ます。一枚目の図面では宇都宮辻子は二の鳥居の北側ですが、二の鳥居のすぐ南側へ出ます。
 さて、ともかくも角を右へ曲がって、上の写真の狭い路地を真っ直ぐ行って、右折し左折し、直進して左折し右折しまたまっすぐ進むと…、いやはやもう、わけがわからなくなりました。


【宇都宮稲荷大明神社】

宇都宮稲荷大明神社1140311

 「宇都宮稲荷神社」というのが見つかりました。あとで地図をよく確認すると、この辺りは妙隆寺の裏手付近と思われます。
 この記事の最後に、「妙隆寺」の写真を載せておきます。


【宇都宮辻子幕府跡の碑と大明神社】

宇都宮辻子幕府跡の碑と大明神社140311

 何はともあれ、宇都宮幕府跡の碑を確認できました。
 少し北へ行ったところから、「小町大路」へ戻りましたが、「宇都宮辻子幕府」と「若宮大路幕府」の敷地境界はわかりませんでした。

 いまだによくわからないのは、現在「日本基督教団鎌倉雪之下教会」がある角から西側には何があったのか。
 「宇都宮辻子幕府」が若宮大路に面していなかったのは、そこに何か屋敷があったからです。
 一枚目の図面を見ると、字が薄れていますが、「宇都宮幹なんとか」だかの屋敷があったのか。宇都宮氏というのは鎌倉幕府の御家人の家系のはずですから、たぶんそれなのではないか、と想像はできます。


【妙隆寺】(参考)

妙隆寺140311


【日常の記録】

 3月28日、根岸森林公園を一時間くらいでひとまわりするつもりで朝9時半頃に家を出ました。早く帰ってきて、もう一度スキップを散歩に連れ出さねばならない、と思ったからです。
 それがまあ、オオシマザクラが開花しているし、「馬の博物館」では枝垂れ桜の「イトザクラ」が満開。ミツマタのオレンジ色の花がいい頃合いになっていたり、キランソウのマクロ撮影にうずくまったり、帰ってみれば12時でした。
 それからスキップを散歩に連れていって、帰ってから昼食にしました。

 春の花については、1日に2回くらい更新しないと、とても間に合わない感じですので、今後は不定期に1日2回程度、どんどん写真を掲載していくつもりでおります。
コメント
FREUDE さん、
愛媛県南部に多い、ですか。
理由を調べたら、おもしろそうですね。
【2014/03/29 11:45】 | ディック #- | [edit]
書いておられるようにお花の写真の掲載が
間に合わないほど咲いてきましたね。

大島桜も咲いて糸桜もですか?
有馬の糸桜はこれからです。

小さなお花たちも写したいし・・・
明日新横浜で娘の家族と待ち合わせです。
あまり時間がないので残念です。
【2014/03/29 08:51】 | hirugao #J7S1TTU6 | [edit]
撮影画像のストックが多く
まだまだ昨年9月の九州バイクツアー画像が
半分以上も未掲載のままです

小学校低学年の頃に覚えた県庁所在地ですが
栃木県はすぐ頭に入りました
育った愛媛県南部にはなぜか宇都宮姓が多かったのです
宇都宮氏が過去、勢力を誇ったのかも知れません
【2014/03/29 06:35】 | FREUDE #6AWUBD.o | [edit]
YUMI さん、
私的プロジェクトとして「鎌倉をきわめよう!」なんて思いまして、うろうろと歩き回りました。
この記事はかなり地味ですが、31日頃には「鎌倉幕府跡を歩く」と題して、頼朝以降源氏三代の「大蔵幕府跡」の敷地確認の記事を予定しています。
【2014/03/28 18:31】 | ディック #- | [edit]
お恥ずかしい話、鎌倉に行ってもそういう目で訪れてこなかったので、今日の記事もとても勉強になりました。

歩いているところばかりなんですけどね…
【2014/03/28 18:14】 | YUMI #2Qwf./yA | [edit]
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