【梶原景時太刀洗水】

第91回 San Po の会 鎌倉ハイキング(2月22日)の記録記事最終回です。
朝比奈切り通しは、十二所神社バス停付近から滑川の支流沿いに細い道を入っていきます。
ここの梶原景時太刀洗水というのが川に注いでいるというので、2011年の散策のときかなり注意深く捜しましたが、見つかりませんでした。
しかし、この日は簡単に見つかりました。
梶原景時が千葉上総介広常を切ったときの太刀を洗った、というのですが、なにしろ「讒言」で有名な武将ですから、イメージがとても陰惨です。大刀洗水が伝えられて残る、などというのもそのせいでしょう。
同行のメンバーTさんは「頼朝に命じられて切った」と讒言を否定されていました。上総介広常は鎌倉幕府の成立に功績のあった武将ですが、頼朝が上総介広常が邪魔になってきたので梶原景時に切らせた、というのが真相でしょうか。
【ここを左へ曲がると朝比奈切通し】

滑川の支流を遡っていくと、ここで小さな滝にぶつかります。
ここを左へ折れると、いよいよ「朝比奈切通し」です。
現在の金沢街道(鎌倉時代の六浦道)は、鎌倉と六浦を結ぶ道で、通行をする人は朝比奈峠の峠越えをする必要がありました。
当時は平潟湾が深く内陸まで浸入していたと考えられ、六浦は天然の良港だったといい、鎌倉への物資の搬入に重要な港だった、といいます。鎌倉は遠浅のため、かなり不便だったようです。
六浦は和田氏の領地でしたが、北条氏は和田義盛を反乱せざるを得なくなるまで追い詰めて滅ぼし、六浦は金沢北条氏の領地ということにしました。
そして、北条泰時の時代に、朝比奈切り通しの工事を行い、鎌倉と六浦を峠越えしなくても通行できるようにした、ということです。金沢六浦津から鎌倉へ抜ける重要路線と言うことで執権泰時自ら工事を行ったと言われているようです。
【雪の朝比奈切通し】

岩の連なる切り通しの道の上に、雪がシャーベット状になってのっているところがあり、滑らないよう注意しながら歩きました。

「朝比奈切通し」の名前は、朝比奈三郎義秀(和田義盛の三男)が一夜にして切り開いたことから朝比奈の名前が付いた、と言われていますが、北条氏の強引なやり口に人々が批判的だったということから、このような伝説が生まれたのかも知れません。
上の写真は切り通しの最も高い頂上部分です。
San Poの会リーダーのNさんが撮影されました。


切り通しの頂上部分を抜けて、これからは下りです。 切り通しの頂上付近から金沢寄りに少し下りたところに、「熊野神社分岐」という分かれ道があります。
2月22日はあまりに雪が深いため、参拝は断念しましたが、2011年6月9日の写真がありますので、参考のためそれを掲載しておきます。
《参考》2011.6.9 の熊野神社

Olympus E3 にて撮影。
2011年のこの日は切り通しのもっとも高いところへ達する20m 手前で心房細動の発作が始まり、苦しみながらも熊野神社分岐から熊野神社へと登って撮影した、命懸け(笑)の写真です。

熊野神社分岐から先の下りは、急に雪が少なくなり、楽に下っていくことができました。斜面の向きなどが関係しているのかも知れません。十二所寄りの付近とは雪の量がずいぶんと違うように感じました。
ただ、それでも大きな倒木があったりして、驚かされました。
やがて横浜横須賀道路の下をくぐり、金沢と鎌倉を結ぶ県道へ出て、金沢八景行きのバスに乗車しました。
金沢八景から弘明寺へ移動し、弘明寺の三浦湯で汗を流し、上大岡駅前で懇親会を開きました。
以上で「第91回 San Po の会 鎌倉ハイキング」の記録記事は終了です。