茶道文化に貢献した三井家 〜 表千家と楽茶碗 など

2014.01.25(22:00)

楽茶碗と新春の雪松図大140122

 1月22日、三井記念美術館へ『楽茶碗と新春の「雪松図」』という展示を観に行きました。
 この美術展の目玉は、第一は、円山応挙の描いた屏風が国宝となっており、その「雪松図」を所蔵しているのが三井記念美術館であるため、新春にそれを披露しようという企画であり、第二は、楽家の長次郎が焼いた黒楽茶碗の名作 銘俊寛 ほかの楽茶碗の名品を紹介しようという企画でした。
 また、この楽茶碗の展示の後半では、紀州徳川家の「お庭焼き」(江戸時代,藩主が城内や邸内に窯を設けて茶器などを焼かせたもの)にて焼かれた茶碗などが多数披露されています。

 上のように書いてしまうと、さらりと読み過ごしてしまいがちですが、なぜこのような企画が可能なのか、ということを考えてみたいと思います。


伊勢松阪三井家発祥の地120116

 上の写真は、2012年の1月に伊勢松阪の市内を散策したときに撮影しました。
 「三井家発祥の地」です。1622年三井高利がここに生まれ、幼少から刻苦勉励して当地の商人として成功し、1673年に江戸へ出て越後屋呉服店を開店しました。それが三井家のはじまりだそうです。
 その三井家は1947年に財閥解体に遭い、十一家に別れましたが、総領家を「三井北家」といい、現在までつづいています。

 ぼくは30代の頃、某金融機関のある支店に勤務していましたが、取引先に表千家の師範の先生がいらっしゃいました。入門者を紹介すると定期預金がもらえるというので取引先係の先輩から誘われまして、当時結婚前だったかみさんと一緒に、無理矢理入門させられました。
 表千家というのは、千利休を祖とする千家の家督を継いだ茶道の本家です。表千家の代々の家元は、江戸時代には紀州徳川家の茶頭をつとめていました。
 ところが明治時代になると、茶道は旧時代のものとして流行らなくなり、かつ、紀州藩の手厚い庇護もなくなってしまいました。このままでは家元制度が崩れるというときに、これを支援したのが三井北家でした。
 つまり、伊勢松阪を発祥とする三井家は、紀州徳川家と強い繋がりがあったため、江戸時代から表千家とも昵懇の中だったのです。


楽美術館121011

 ところで、「楽焼」というのは轆轤(ろくろ)を使用せずに「手捏ね」で成形してさほど高温ではない温度で焼くことのできる手軽な焼き物で、紀州藩のお庭焼きで焼かれたものもほとんどがこの楽焼でした。
 「楽焼」は千利休が自分の嗜好に合わせて初代 長次郎に焼かせたのが始まりだそうで、楽家は表千家との繋がりが深く、現在は第十五代となっています。楽家の当主がたびたび紀州徳川家に呼ばれていたことが、日記などで確認され、展示されていました。
 すなわち、紀州徳川家に出入りしていた三井家は、表千家と同時に楽家とも強い繋がりがあったということです。

 上の写真は2012年の10月に京都の楽美術館を訪ねたときに撮影したものです。第十四代当主楽吉左右衛門覚入さんが設立されたそうです。

 以上まとめますと、『楽茶碗と新春の「雪松図」』という展示に、初代長次郎ほか歴代の楽家当主が制作した楽茶碗が登場するのは、三井北家が代々の表千家、楽家と深い繋がりがあり、その繋がりから寄贈されたり買い上げたりした茶碗を三井北家が所蔵していたからだ、ということになるようです。
 この展示には表千家の家元や関係者が焼いた楽焼、その他紀州徳川家の「お庭焼き」も展示されていましたが、それは上に説明したような歴史から、三井家がそれらの茶碗を所蔵するようになった、ということです。

 こうした文化の育成にはお金が掛かります。ぼくのすごした学生時代は60年代後半から70年代初頭、「大企業は敵」という風潮でしたが、一方で、国や地方公共団体、その他のパトロン(お金持ち)が保護しなければ文化は廃れてしまう、というのもまた事実です。

 いまや引退の身ですから、社会経済的な考察は横へ置いておきましょう。
 各地をウォーキングすること(三井記念美術館をぼくに紹介してくれたのは San Poの会 のリーダーNさんでした)と、カメラを持っての歴史探索と、以前少しだけ足を踏み入れたことのある茶道と、茶碗などの茶道具や焼き物を楽しむことと、美術館めぐりの楽しみは、上で書きましたようにぼくの中では密接な繋がりがあります。
 昨晩の写真「侘助」も、茶席の柱に一輪挿しなどする「茶花」として楽しまれてきたもので、自然観察の趣味もやはり自分の中ではしっかりとつながっています。
 今晩はちょっとそんなことを書いてみたい、と思いました。
コメント
ディックさん

赤楽が好きですね。

なんでも自由に
自分流にくずしてしまう現代。

初心にもどって、お作法どおりにお茶をいただき、
秩序がもたらす静けさを味わいたくなりました。
【2014/01/26 20:47】 | takae h #A5.soH/6 | [edit]
YUMI さん、
美術展など見ていると、「どうしてこれだけのものが集められるのだろう?」と思うことがよくあります。お願いさえすれば相手がすなおに応じてくれる、という世界ではありませんからね。
今回は、どうしてこのような名品を数多く所蔵しているのだろうか、と考えてみました。
【2014/01/26 17:14】 | ディック #- | [edit]
こんにちは。
お茶は裏千家のお稽古に通っていました。
若かりし30年ほど前の話です。
お茶碗を見るのも好きです。
楽はいいですね。

三井家と表千家や楽家のつながり、勉強になりました。
【2014/01/26 16:27】 | YUMI #2Qwf./yA | [edit]
KAEDE さん、
大商人の代名詞だったのでしょうかね。
この一年、いろいろと考えてきましたが、資本主義というのは必ず「格差」を拡大させるのです。全体のレベルが上がりつつあるときは、その格差の増大が目立たないだけ。江戸時代末期の庶民は苦しんでいたから、大商人は悪玉に見えたでしょう。
「格差を増大させる」という資本主義の欠陥を少しでも修正していかないと、厳しい将来が待っています。余生少ないぼくとしてはもう、なんとか「負け組」にならないでいたい、というだけ。
【2014/01/26 08:35】 | ディック #- | [edit]
私は表千家で若いころに習いました。
何やら父がお稽古に行っているとご機嫌だったので
楽しく習っていました。

茶碗が欲しくて陶芸なんかもしてみたり・・・

神戸のほうでも小さな美術館でやっていたようです。
ばたばたしていて花びらもちをいただきそびれました。
【2014/01/26 08:13】 | hirugao #J7S1TTU6 | [edit]
楽茶碗と雪松図がつながりましたね
清水焼の安物しか、抹茶碗は持っていませんが
いいものを探し歩いた時期がありました

作法は存じ上げず、茶筅を回しているだけですが
いつかきちんと作法を教わりたいと思っております
【2014/01/26 06:03】 | FREUDE #6AWUBD.o | [edit]
仕事上のこととはいえ、体験したことはプラスなんですよね。
当方、お茶のことはまったく・・・。
低俗な話ですが、当時「越後」という名前はポピュラーだったのでしょうか。
「お主も悪よの~」は大概越後屋ですよね。
越後のちりめん問屋もいましたが・・・。
【2014/01/25 23:40】 | KAEDE #- | [edit]
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://dickhym.blog9.fc2.com/tb.php/5909-7838207e