黄檗宗・萬福寺

2013.11.05(17:50)

【萬福寺・総門】

萬福寺総門131011

 黄檗宗(おうばくしゅう)萬福寺のある黄檗駅は、京阪宇治線の宇治駅のふたつ手前にあります。
 宇治といえば平等院鳳凰堂ですが、そちらを見に行かずに萬福寺を訪ねたのは、鳳凰堂が改修中ということもありますが、萬福寺という寺の特殊性に惹かれたからでもありました。
 日本で禅宗として知られているのは、臨済宗と曹洞宗のほかは、黄檗宗しかありません。
 臨済宗と曹洞宗の寺院は過去に数多く訪問していますし、それぞれの宗派の特徴もよく承知していますが、黄檗宗の寺院というと、San Poの会の途中にちょっと立ち寄った程度でしたから、その大本山の萬福寺はぜひ一度訪ねてみたい、と思っていたのでした。


【萬福寺・三門】

萬福寺三門131011

 栄西が宋から帰国して臨済禅を日本に伝えたのは鎌倉時代の直前、道元が伝えた曹洞宗は鎌倉時代に入ってからですが、いずれにせよ広まったのは鎌倉時代です。
 黄檗宗は唐から日本へやってきた僧・隠元が江戸時代に萬福寺を開きました。


【萬福寺・天王殿正面】

萬福寺天王殿正面121011

 しかし、臨黄ネットという公式サイトがあるように、隠元は中国臨済宗の僧であり、黄檗宗は臨済宗の一派に属するとしてもよいようです。それが日本では独立した黄檗宗としてみなされてきたのは、黄檗宗の寺院や衣装や経典の読み方などが、明風をずっと守ってきたからだ、と言われています。
 臨済宗の妙心寺が隠元を迎えようとしたのに、僧たちの反対で実現せず、徳川家綱と酒井忠勝の支援で萬福寺が開かれた、という歴史があるらしい。臨済宗と名乗りたかったけれど、臨済宗側の反対で黄檗宗と称したとも言われています。
 「普茶」と言われる精進料理などでも知られているようですが、今回は普茶はいただきませんでした。
 京都旅行の最終日、腰痛を堪えつつの訪問でした。


【天王殿から三門を臨む】

萬福寺天王殿から三門を臨む131011

 特異な寺院構造をしていまして、日本の寺のように地形を生かして建物があるのではなく、僧門をくぐったあとは、前のほうから整然と、三門、天王殿(てんのうでん)、大雄寶殿(だいおうほうでん)、法堂が並び、各区画は長方形に整然と仕切られ、その仕切り部分は屋根付きの廊下になって、建物がつながれています。
 まずは前のほうから、順番に拝観していき、法堂まで行ったら、その左右、回廊にそって自由に左右の建物群をぶらぶらと眺めながら三門までもどってくることにしよう、と思いました。

 上の写真は「天王殿」から「三門」を振り返って見ています。
 主要な大きい建物は、このように一直線に整然と並んでいます。


【天王殿の横の廊下】

天王殿の横の廊下131011

 天王殿の右横です。
 このような屋根付きの廊下が、左右の囲いのところの廊下と、建物をつなげています。
 上の写真の廊下の右側は三門のある側、写真の廊下の左側は、これから向かう大雄寶殿のある側になります。
 天王殿の左側も、上の写真と同様に同じような廊下があります。


【天王殿の布袋像】

天王殿の布袋像131011

 たしか、布袋さんはじつは弥勒菩薩なんだ、という理屈だったと思います。
 「臨済宗のように他宗派の影響を受けていない禅宗だったのではないのか」と訊かれそうですが、まあ、その質問に答えられるほど、ぼくは詳しくありません。


【大雄寶殿】(だいおうほうでん)

大雄寳殿131011

 天王殿の中を通り抜けたところから大雄寶殿を撮影しています。
 繰り返しになりますが、このように、大きい建物は一直線に並んでいます。


大雄寳殿横から131011

 ようやく大雄寶殿まできました。本堂の扱いになります。本尊は釈迦如来です。


大雄寳殿左横から131011

 こういうところ、揮毫は誰の手によるものかとか、重要視されますが、素人がそれを追いかけていっても、とても憶えきれないし、区別も付きません。
 大きい額は隠元禅師の筆によるものだそうです。


大雄寳殿内部131011

 大雄寳殿の内部です。写真撮影等とくに禁止の札はありませんが、本尊の直接的な撮影は礼儀として控えています。


【法堂】(はっとう)

萬福寺法堂131011

 大雄寳殿を抜けて最後の区画です。
 一番奥に法堂(はっとう)があります。説法が行われる場所です。
 住職が居住している甘露堂は、法堂右側の東方丈の裏側にある、と書かれていました。非公開です。


法堂から振り返る131011

 法堂から振り返って、大雄寳殿を眺めています。
 
 さて、ここから左右の回廊など自由に通りながら、左右の建物群を眺めつつ帰っていくわけですが、写真としてはここからがおもしろいのです。
 屋根付きの回廊と建物がつながっているため、多彩な構図が可能となりまして、ほかの寺院ではなかなか見られない画像が出てきます。
 次回をお楽しみ下さい。


回廊から法堂を臨む131011

 この角度からだと、隠元禅師の揮毫も見えるし、屋根付き廊下に釣り灯籠とか、おもしろいでしょう?
 法堂の前、「卍くずし」の勾欄(別の言い方なら欄干でしょうか)が中国風を醸し出しているところも見つけていただきたいです。
 次回に続きます。
コメント
黄檗山萬福寺はとても懐かしいです。
今から40年以上も前ですが、修学旅行でここの普茶料理を頂きました。食べ盛りの高校時代(三ツ沢にある高校ですが)で量は足りませんでしたが、梅干しの天ぷらなどが珍しくてよく覚えています。
いつかもう一度、ゆっくり味わってみたいと思っています。
【2013/11/07 07:47】 | 多摩NTの住人 #rId1tC1Q | [edit]
日本のお寺の建築が立派だと思います。
全体の配置なども、今に卒ない見ごたえありました。
松の調和が見事だと思いました。
【2013/11/06 19:26】 | ころん #- | [edit]
懐かしく拝見しました。

座禅のまねごとをして朝がゆをいただいたことがあります。
もう半世紀前のことでした。

三門を入るところが記憶にあるのですが
きっと本堂で座禅だったのかしら。
【2013/11/06 11:57】 | hirugao #J7S1TTU6 | [edit]
いんげん豆を伝えた、とされる隠元ですね
大阪では三度豆といいます

萬福寺には大きな木魚が吊ってあり、
形状も大きさも印象的なものでした
【2013/11/06 05:49】 | FREUDE #6AWUBD.o | [edit]
隠元和尚の名前は知っていても、萬福寺も黄檗宗も知りませんでした。勉強になります。

しかし大陸風の堂々としたお寺ですね。

宇治では鳳凰堂しか知りませんでした。
法党の画像、すばらしいです。

確かに卍づくしの欄干、おもしろいです。それにその下に組んでいる石も、色石がたくさん使われていて、なかなか派手です(笑)。

普茶、だけは知っています。幼いころ、花くまにある「普茶寮」という精進料理のお店によく連れて行ってもらったのです。生麩がおいしかったのを今でも覚えています(笑)。
【2013/11/05 23:19】 | takae h #XC9HH1gc | [edit]
萬福寺は1度行ったきりなんですよ。
それも10数年前かな。
だから、ついつい普茶料理のことくらいしか覚えていなくて。
でも、平等院よりもよかったという記憶があります。
ぜひまた行ってみたいです。
次回も楽しみ。
【2013/11/05 19:37】 | YUMI #2Qwf./yA | [edit]
こんばんは。

黄檗宗。あまり聞くことはないですけど、
日本の仏教史を学びますとやはり出てき
ますね。隠元さんと言うことでそちらか
ら知るケースが多いですかねぇ。

僕は萬福寺は訪ねたことがありません。
いつかは..

さて、今日は晴天でした。日中は暖かい
こんな季節が一番良いです。

【2013/11/05 18:39】 | 地理佐渡.. #s/KLKpB2 | [edit]
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