豪徳寺、世田谷城趾、松陰神社 〜 第76回San Poの会記録記事の最終回

2013.03.15(21:30)

【豪徳寺】

豪徳寺参道のアカマツ130302

 第76回San Poの会(3月2日)記録記事の第4回です。
 前回世田谷八幡宮で奉納相撲の土俵など見聞しましたが、今回は豪徳寺と世田谷城址公園から始まります。
 写真は豪徳寺参道のアカマツです。


豪徳寺正面130302

 豪徳寺の門を入り、正面は仏殿です。
 豪徳寺は吉良氏が創建した寺院なので、吉良氏についてもう一度復習です。
 吉良氏はもともと足利家の一門です。吉良氏には、奥州吉良氏、三河吉良氏、土地吉良氏があり、世田谷城主であった吉良氏は奥州吉良氏です。
 奥州吉良氏は戦国時代、後北条氏の傘下に入りましたが、秀吉の小田原城攻めで世田谷城は廃城となり、吉良家は世田谷の実相院という寺に蟄居させられたようです。
 世田谷以外に横浜市蒔田(まいた)にも所領があり、「蒔田氏」を名乗った時期もあるようですが、江戸元禄時代に三河吉良氏 吉良義央 が赤穂浪士と悶着を起こして断絶したため、また吉良氏を名乗るようになったそうです。


豪徳寺鐘楼130302

 上は鐘楼ほか境内の様子です。
 すでに述べましたように、豪徳寺は吉良氏が創建した寺院ですが、江戸時代に世田谷付近は井伊家の所領になりましたので、井伊家の菩提寺になりました。


招猫堂130302

 招き猫発祥の地とする説があります。Wikipedia によりますと、井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたということのようです。
 豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音を祀る「招猫堂」を置いています。
 写真がその「招猫堂」です。


豪徳寺の招き猫130302

 一般には、右手(前脚)を挙げている猫は金運を招き、左手(前脚)を挙げている猫は人(客)を招くとされているそうです。豪徳寺の「招福猫児(まねぎねこ)」は写真の通り。


井伊直弼の墓130302

 豪徳寺に、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓があります。
 井伊直弼が暗殺されたのは3月3日ですが、幕府がこれを隠そうとしたので、墓石には「三月二八日没」と彫られています。
 なお、以下は昨年六月の彦根新聞の記事です。

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 「東京都世田谷区の豪徳寺にある彦根藩十三代藩主・井伊直弼の墓に、石室などの埋葬施設が地下3㍍以内になかったことが、区教委などの調査で明らかになった。
 同寺は嘉永10年(1633)に二代藩主・直孝が井伊家の菩提寺とし、直弼ら江戸で亡くなった藩主やその家族、藩士らが葬られているとされる。清凉寺(古沢町)と永源寺(東近江市)と合わせ、彦根藩井伊家墓所として平成20年3月に国史跡に指定されている。
 区教委は直弼の墓石の傾きを直すため、平成21年から翌年に改修した際、地表から約1・5㍍までに石室がないことを確認。その後、東京工業大が行ったレーダー調査でも地下3㍍以内に石室は見つからなかったという。
 これまでは、直弼が安政7年(1860)3月3日に桜田門外で水戸藩士らに暗殺された後、その首を預けられていた遠藤家から井伊家家来が取り返しに行き、江戸藩邸で胴体と縫い合わせられ、喪が秘された後の4月10日に豪徳寺に葬られた―というのが通説になっている。また直弼が流した血がしみ込んだ土は天寧寺(彦根市里根町)に運ばれたとされる。
 豪徳寺に直弼の遺骨がないとした場合、天寧寺など彦根に埋葬された可能性も浮上するが、彦根市教委文化財部の谷口徹部長は「その可能性はないだろう。当時はまだ水戸藩などの不穏な動きもあったため、むしろ豪徳寺のほかの場所に埋葬されているのかもしれない」と分析する。
 真相の解明について、世田谷区教委文化財係は「直弼の墓は国の重要文化財に指定されているため、3㍍より下の発掘はできない。今のところ、どこにあるのか解明する予定はない」としている。

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【世田谷城趾】

世田谷城址130302

 豪徳寺は元は臨済宗、その後曹洞宗の寺院で、吉良氏の世田谷城の跡地にあり、現在では世田谷城址公園と隣接した形になっています。石垣、堀などが残っている様子で、少し写真を撮りましたが、どこがどうなっているのかまで詳しく見ている余裕はありませんでした。


世田谷城址2130302


【松陰神社】

松陰神社正面130302

 世田谷城趾から歩いて、東急世田谷線の若林駅方面へ向かいました。
 松陰神社はその途中にあります。
 吉田松陰が安政の大獄で処刑された後、門弟だった高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文らが小塚原刑場の回向院から松陰の遺骨をここへ移して、墓碑を建てたのが松陰神社の始まりであり、明治15年に神社として創建されたとのことです。


松陰神社拝殿130302

 松陰神社は現在、墓所がある東京都世田谷区と、松陰の生誕地である山口県萩市にあり、どちらも、学問の神様として参拝客は多いようです。


松下村塾の復元130302

 ここには松下村塾を模造した建物が立てられていて、松下村塾を偲ぶことができます。


松下村塾の復元2130302


吉田松陰の墓所130302

 吉田松陰の墓所です。


【若林交差点】

自動車優先の踏切130302

 最後は東急世田谷線と環七が交差する若林交差点。念のためですが遮断機はありません。だから「踏切」というより「交差点」です。この写真は世田谷線が赤信号の信号待ちをしていて、その前を自動車が通過しています。

 San Po の会は、例によって、このあとは三軒茶屋の近くにある銭湯「八幡湯」にて汗を流し、いつもの通り懇親会を開いて解散しました。


【きょうのひとこと】

 井伊直弼は安政の大獄などで必ずしも評判はよくないようですが、横浜という都市が発展したのは横浜が開港したからであり、つまりは井伊直弼のおかげだ、というようなことを、小学校で習ったように記憶しています。
 私は横浜の住人です。横浜の掃部山公園(かもんやまこうえん)には井伊直弼の銅像が建てられています。
コメント
豪徳寺は行ったことがありませんが、なかなか面白そうなところですね。
ディックさんのご説明はたいへん勉強になりました。
蒔田にも通じているんですね。井伊直弼のお話も元ハマっ子としてはとても興味深いです。
このルートは、我々の歩く会の候補として幹事に伝えます。
【2013/03/16 16:15】 | 多摩NTの住人 #rId1tC1Q | [edit]
皆さんといろんなところを歩けて良かったですね。

松陰神社は萩で随分前に見ました。
見ましたというのは喪中だったので・・・

暖かくなり出歩くことも多くなりましたね。
【2013/03/16 09:23】 | hirugao #J7S1TTU6 | [edit]
一昨年前、3カ月ほど時代物の小説を書いたとき
井伊直弼についても調べました
調べれば調べるほど、素晴らしい人材であったことを知ります

井伊直弼といい吉田松陰といい、
考え方の違いで多くの優れた人材が殺害された時代、
もったいない話であります
【2013/03/16 05:50】 | FREUDE #6AWUBD.o | [edit]
ディックさん おはよう御座います


san poの会いつも色々な所に出掛けられてる様子・・
良い仲間の皆さんとご一緒の様子が伝わります
安人は何時も一人で歩いてます(笑)・

月に1度k「京急ウォーク」が有りますがたまにしか参加して居ません

23日に市の体協主催でベルニー公園から観音崎美術館前まで10000ウォークに参加します

赤松 風格が有りますね
いつも素敵なblog有難う御座います
【2013/03/16 05:21】 | yokosuka 安人です #5ddj7pE2 | [edit]
招き猫の数にのけぞりました(笑)。
でも、かわいいですね。
もっとポップな生まれかと思ったら
なかなか由緒正しい生まれ。

みんなお顔が違うのがおもしろいです。
【2013/03/16 01:15】 | takae h #A5.soH/6 | [edit]
豪徳寺というのは思ったよりずっと由緒ありですね。
キーワードは「雪」。
井伊家の菩提寺であることは存じていましたが吉良家とも関係がありましたか。
松蔭神社の隣に友人が住んでる。元気かな。
【2013/03/15 23:27】 | 小肥り #mQop/nM. | [edit]
こんばんは
城跡公園、都会にあると石垣が城跡のひとつとは思えません。
でも、このようなところが残っているのはいいことですね。
【2013/03/15 22:02】 | YAKUMA #0p.X0ixo | [edit]
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