
ビヨウヤナギ(未央柳)はオトギリソウ科オトギリソウ属の半落葉低木。
Wikipediaによれば、
「枝先がやや垂れ下がり葉がヤナギに似ているので、ビヨウヤナギと呼ばれるが、ヤナギの仲間ではない」
ビヨウヤナギに未央柳(という字)を当てるのは日本の通称名。由来は、白居易の「長恨歌」に
「太液の芙蓉未央の柳此に対ひて如何にしてか涙垂れざらむ」
と、(唐の第6代の皇帝である)玄宗皇帝が楊貴妃と過ごした地を訪れて、
太液の池の蓮花を楊貴妃の顔に、未央宮殿の柳を楊貴妃の眉に喩えて 未央柳の情景を詠んだ一節があり、
美しい花と柳に似た葉を持つ木を、この故事になぞらえて未央柳と呼ぶようになったといわれている」そうだ。
飯田育浩著「教養の世界史」のよれば、
(唐の第6代)玄宗皇帝は、晩年には世界三大美女の一人に数えられる楊貴妃を寵愛し、政治への興味を失ったという。異民族の将軍などを辺境の防備に当てていた(節度使という)が、節度使の安禄山が部下の史思明とともに反乱を起こし(安史の乱)、楊貴妃の殺害を要求。やむなく玄宗は愛する楊貴妃に死を命じざるを得なくなった、という。
ビヨウヤナギは過去にも当ブログに写真があるが、SONYのミラーレス一眼の解像度を生かし、さらに AIによるノイズ除去も併用して、よい写真が撮れたように思うので、掲載することにした。
-------------------------------------------------------------------------------------------------
ちなみに、最近はかなり数多くの本を読んでいる。
上に掲げた「教養の世界史」(西東社)という本は、ただ政治や戦争、宗教の流れを追うだけではなく、「経済・金融」という視点に力が入っており、そのため、世界史の流れがとてもわかりやすくなっている。
本日はブログ「小肥りじいさんが見た風景」の小肥りさんのための「説明用」のための記事と写真です。
わかりやすくするためオンリーの目的でトリミングしてあります。

さて、1枚目、全体を取り囲んでいる周囲の装飾花の中央に、青い丸い粒々がたくさん見えて一見きれいですが、粒々のひとつひとつは花のつぼみであって、花はまだほとんど開花していません。
こういうアジサイをガクアジサイ(額紫陽花)といいます。周縁を装飾花が額縁のように取り囲んでいることから付けられた名前です。
囲まれた内側の花が咲いた状態というのは、2枚目の写真のような状態になったときに「花が咲いた」と言います。
1枚目の「粒々」はひとつひとつの花のつぼみで、これが咲いたら初めて、「ガクアジサイ(額紫陽花)の花が咲いた」と言えます。
なお、花のモデルは自宅庭のガクアジサイで、1枚目は5月30日、2枚目は6月6日の撮影でした。
次回以降、また通常の記事に戻ります。

孫たちにウイルス性の胃腸炎や中耳炎の疑いがあり、手分けして医者へ連れていったり、そんなことで右往左往していると、もう夕刻しかウォーキングに出て行く時間がありません。
写真は根岸森林公園の一画。iPhoneしかもっていないので、RAWモードにして3枚撮影。その中のよく撮れた1枚です。
ご覧の通り、見えているのはほとんどイチョウの実生苗です。芽吹いたばかり、上のほうに雌木があるのです。
15~20cmになるのに3、4年かかるらしい。でも、そのうち草刈りの順番がまわってくるので、それまで1ヵ月くらいの命でしょうけれど。

6月5日、アジサイを撮影しようとしていたら、ヒノキの幹を伐ったときに置きっぱなしにしておいた台の上に鉢が載っていて、その鉢ににコモチマンネングサが繁殖しているのを見つけた。
玄関付近の鉢にあった、と記憶していたのに、さっぱり見ないので、絶滅してしまったかと思っていたが、かみさんがその鉢を移動させていたらしい。
午前中、なかなか上手に撮影できず、午後になってもう一度再挑戦した写真を掲載しよう。
コモチマンネングサについては、知っているつもりでいたが、Wikipediaによると、「葯には花粉ができないことが多く、種子ができることもほとんどない」とのこと。なるほど今回マクロ撮影を試みた結果でも、2枚目の写真の花の様子では葯に花粉ができているようには見えない。
また「比較的乾燥した背の低い草地に生える。この類(マンネングサの仲間)は岩の上など他の草の生えない乾燥した環境に生じ、表面を覆う密な群落を作るのが普通だが、この種(コモチマンネングサ)はそういう場所では見られず、より湿った、他の植物も生えるような地面に見られる」とある。
これも十分納得できる。
わが家のツルマンネングサや先日紹介したオカタイトゴメは、コンクリートの割れ目、レンガの隙間などが大好きだが、コモチマンネングサはそういうところでは繁殖しない。
鉢の上の柔らかい土の上に広がっていて、その鉢をかみさんが移動させたから、私は「どこへ行った? 絶滅してしまったのか」と探していたのだ。
さて、コモチマンネングサ(子持ち万年草)の名は、ムカゴができて、それが地面に落ちることによって繁殖することによる。
しかし、1枚目、2枚目のの写真を見ても、どれがムカゴなのかわからない、という方も多いだろう。
そこで最後(3枚目)の写真を御覧いただきたい。
中央にある「ガマグチの蓋を開けた上にもうひとつ小さなガマグチが蓋を開けているようなもの」がムカゴの完成した最終の姿だ。梅雨時になると、これがポトリと地面に落ちて、それで増える。
だから1枚目と2枚目との写真を見て、花はもう傷んでいるように見えるではないか、という心配はいらないのだ。種(タネ)で増えるのではなくて、基本的にムカゴで増える。1枚目、2枚目の写真をざっと見ても、ムカゴはできかけているけれど、「二重のガマグチの蓋」にはまだなっていなくて、できかけのものが多い。梅雨はまだ、これからであるし、花はどうせ役に立ってはいないのだから、それでよいのだろう。