

5月10日に東京都美術館で「クリムト展」を観た後、7月26日に国立新美術館で「ウィーン・モダン、クリムト、シーレ 世紀末への道」という展示を観にいった。
クリムトというと、私が美術史の勉強を始めた頃は、「世紀末美術」ということで、まるで頽廃芸術のような扱い方をされていた。
しかし、世紀末とはいっても、20世紀に入るとフランスでは美術と音楽の革命が始まるわけで、見方を変えれば世紀末芸術は美術や音楽の革命的な変化を準備していた期間だとも言える。
マーラーは後期ロマン派の指揮者、交響曲の作曲家として知られているが、クーペリックがドイツ・グラモフォンに録音したCDのジャケットにはクリムトの絵が使われていた。
作曲家・指揮者マーラーと、旧態依然とした美術界を改革しようとしていたクリムトは、いずれも同時代のウィーンを舞台に活躍していたのだ。

花の名前:アザミの仲間
撮影場所:小石川植物園
撮影日:2019.09.28
撮影機器:Canon EOS 5D Mark III
レンズ:EF100mm f/2.8L Macro IS USM
デザイナーの西岡文彦さんという方が、マーラーとクリムトの2人を「骨格」と「装飾」という観点から語っている。マーラーの交響曲はさまざまな旋律を寄せ集め、散りばめるようにして作曲されており、管弦楽にはさまざまな楽器が鳴り響いてとても華やかである。一方、クリムトはジャポニズムの影響を受けて、自分の絵の細部を装飾的に飾り立てることに熱心だった。どちらも音楽や美術の骨格よりは、装飾のほうに気を取られているようだ、というのである。
このことは、20世紀の初めに起きたフランスでの音楽と美術の革命を、まるで準備していたかのように、私には聞こえてくる。
日本の絵画に親しんでいる私には、細部まで工夫された装飾的な画面は、それが「当たり前のサービス」のように感じられる。
花がメインの対象であれば横につぼみや果実もあり、余白のスペースには蝶も見えていたりする。できることならそのような写真をブログに載せたいものだが、現実にはなかなかよい機会に出会えない。

花の名前:シソ
撮影場所:自宅庭
撮影日:2019.09.28
撮影機器:Canon EOS 5D Mark III
レンズ:EF100mm f/2.8L Macro IS USM


聖光学院管弦楽団のコンサートというと、2015年10月4日に聴きにいき、当日のブログで紹介しているようだ。
あれから4年、何回か聴きにいくうちにずいぶんと上手になった。
私の母校聖光学院中高等学校の卒業生、父兄、その他関係者がメンバーになっている管弦楽団だが、メンバーを調べてみると、「学友」とか「賛助」とかの割合がかなり多い。プロに近い助っ人がかなり入っているのだろう、と推察している。
アマチュアの管弦楽団のレベルはピンからキリまであるが、2015年以来何回か聴きにいっており、現状かなりのレベルに達している、と思う。
下記が今回のコンサートだった。
聖光学院管弦楽団 第21回定期演奏会
指揮:田部井 剛
日時 2019年9月22日(日) 開場13:30 / 開演14:00
会場 聖光学院 ラムネホール( JR京浜東北根岸線 山手駅より徒歩8分)
曲目 ヴェーバー : 《オベロン、または妖精王の誓い》序曲
ヘンデル (ハーティ編曲) : 組曲《水上の音楽》
ブラームス : 交響曲第2番ニ長調作品73
最後のブラームスの交響曲だが、2015年10月は第4番で、今回は第2番だった。
ブラームスの交響曲というと、「作曲家独特の質感のある響きが再現できているかどうか」がどうしても気になってくる。2015年はまだそのレベルに達していなかったが、今回は「そうだ、これがブラームスの交響曲の音だよ」と感じたこともあり、それが今回の評価につながっている。
弦楽器から金管、木管まで、バランスのよい、安定感のある音で演奏できないと、ブラームス独特のオーケストラの響きは出てこないのである。

花の名前:シロバナヒガンバナ
撮影場所:自宅庭
撮影日:2019.09.26
撮影機器:Canon EOS 5D Mark III
レンズ:EF100mm f/2.8L Macro IS USM

イメージ写真です:私にはシランの花の下顎に鋭い歯が並んでいるように見えるので。
撮影場所:自宅庭
撮影日:2018.04.16
撮影機器:Canon EOS 5D Mark III
レンズ:EF100mm f/2.8L Macro IS USM
この夏のじぶんの「引き籠もり」状態を分析してみると、庭でアシナガバチに刺されたのは7月21日だった。
刺された痕が腫れ上がって再発したのが26日。
しかし、その前にもうひとつ私にとってはショッキングなイベントがあった。
私は若い頃に親不知を抜いており、それ以外の歯は、いろいろと治療はしてあるけれど、まだすべて自分の歯そのもので、抜いてしまった歯はひとつもなかった。
しかし、左奥、下側の歯が深いところで欠けてしまい、「抜歯する以外にない」との歯科医師の診断で、7月初めにとうとう左下奥の歯を1本抜いたのだ。
「たかが歯」だけれども、私は自分が一気に「年寄り」の仲間入りをしたような気分になってしまった。
このこともまた、長い引き籠もり生活の一因なのである。
さて、それはともかく「下の歯が抜かれて存在しない状態で、下顎の骨が治ってくるのを待つ」という。その治癒の状態を見て、インプラントとか義歯とか、治療の方針を決めるのだ。
だが、そのあいだに「上側の歯が下がってくる」という。そうなってしまうと今後の治療計画に差し支えるので、「就寝中はマウスピースを使う」よう指導があった。
「歯を食いしばるともろくなった歯に悪影響を与えることが多い」から、と過去にもマウスピースを勧められたことがあるのだが、私は激しく抵抗してきた。「そんなものを口の中に入れれば、たたでさえ寝が浅いのに、よく眠れなくなる」と理屈を言って抵抗した。
最終的に医師に降参してマウスピースを作ったが、就寝前に嵌めるのを忘れたり、後から水や薬をのみたくなったときに不便だったり、どうも面倒である。

花の名前:センニンソウ(仙人草)
撮影場所:隣の家・崖下から
撮影日:2019.09.07
撮影機器:Canon EOS 5D Mark III
レンズ:EF100mm f/2.8L Macro IS USM
ところが…。
ここからラグビー・ワールドカップの話になる。
アイルランド対スコットランドの試合をずっと観戦していて夢中になった。アイルランドは左右へ広く展開することなどまるで考えず、ボールはフォワードが持って押し込む。何が何でもモールを押し込む! モールからボールが出たらそれを再度近くの選手に渡し、もう一度モールで押し込む。この繰り返しの肉弾戦だ。
日本は28日にこの連中と戦わねばならないのである。怪我をしないよう祈りたい。
ところで、そうした選手たちが、試合が中断するたびにテレビ画面に大写しになるが、ほとんどの選手がマウスピースを付けている。
試合中に気軽に外したり嵌め込んだり、結構自由に付け外ししている。
「ああ、そうか、こんなふうに気楽に使えばいいのだ」と、突然これまで感じていた窮屈さ、違和感がなくなり、私はずいぶんと気楽になった。
ラグビー・ワールドカップには、私にとってこんな効用もあった、という話である。

撮影場所:横浜市・舞岡公園
撮影日:2017.07.29
撮影機器:Canon EOS 5D Mark III
レンズ:EF100mm f/2.8L Macro IS USM 下の写真も同じ
フランスのクラシック界の現代音楽作曲家にメシアン(1908-1992)という人がいた。
「鳥のカタログ」といって、鳥たちの鳴き声を採譜し、ピアノで演奏できるように作曲した曲集を作った。
ロシアのウゴルスキーが演奏したこの曲集をCDで入手し、それを聴いてみている。
聴いていて、2018年8月に舞岡公園で出会ったガビチョウを思い出した。
ガビチョウはさまざまな鳥の鳴き真似をする鳥だ。
以前ブログに書いたこともあるが、ガビチョウが真似るウグイスは3倍速でけたたましい。
写真のように、口を大きく開けて気持ちよさそうに歌っている得意絶頂のオペラ歌手のよう。それも男性テノール歌手のようだ。
ウゴルスキーの演奏するメシアンの鳥のカタログはとてもすばらしくて、作曲家メシアンと演奏者ウゴルスキーが「どうだ、おれたち、上手だろう!?」と誇っているかのよう。
ハイスピードの小鳥たちの鳴き声を、ピアノでよくここまで再現したものだ、と感心する。
梅雨が長く、あまりに蒸し暑く、天候の悪い日が続いた後にアシナガバチに刺されるなどの不運が続き、引き続く真夏のあいだも、私は花散策にすっかり意欲がなくなってしまった。
そんな引き籠もりのような生活を続けてきた中で、じつは数多くのクラシックを聴いてきた。
ドビュッシー以降の近現代音楽を開拓し始めたら楽しくて、これまで聴いてこなかった作曲家の曲を数多く聴いた。私の関心はすっかりそちらのほうへ行ってしまい、9月になっても花散策はせいぜい横浜市こども植物園とご近所、自宅の庭だけである。
このあとブログはどうなるのか。私にもわからない。
