
「大妖怪展/江戸東京博物館」(2016.7.5〜8.28)は、「国宝・重文が続々」と美術愛好家を呼び集める一方で、夏休みの家族連れ目当てで会場内を薄暗くして幽霊画を展示するなど、美術愛好家と夏休みの娯楽狙いの客の両方を狙った、客の立場からすればはなはだ礼を失したまずい展示の仕方をしていた。
それはともかく…。
現実には存在しない妖怪を、いかにも妖怪らしく見えるよう、しかもユーモアをまじえておもしろく描くか、江戸時代の画家たちがさまざまな工夫を凝らして見せてくれるのはじつにおもしろく、十分楽しめるのだが、美術的な見地からは、私は本展の section E「錦絵の妖怪」のコーナーで足がとまってしまい、このコーナーばかりをつい何度も繰り返して見てしまうのだった。


どうしても「舐めるように見てしまい、その前で足が止まってしまう」のは国芳の描いた錦絵だ。(北斎もすごいが展示枚数が少ない)
「源頼光土蜘蛛の妖怪を斬る図」「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」「相馬の古内裏」「大物之浦平家の亡霊」「大江山酒呑童子」ほか数枚の錦絵が展示され、構図のおもしろさ、絵柄のおもしろさ、奔放な空想力 など群を抜いていてる。
思い出してみると、私は2013年暮れから1月14日まで横浜美術館で開催された「はじまりは国芳〜江戸スピリットのゆくえ」という美術展を見たことがある。あのときはすっかり感動して、ブログ「ディックの本棚」に詳細な感想を掲載している。(↑アンダーラインのある太字をクリックしてみてください)
それにもかかわらず、「国芳が幕末・明治の画家たちの先駆者であった点」にばかり着目していて、国芳の絵そのものの魅力について忘れてしまっていたようだ。
「歌麿とか広重とか北斎とか写楽などが浮世絵だ」と思っていた自分は、歌川国芳、国貞、月岡芳年、河鍋暁斎ら幕末の絵師たちについて、「下手物趣味の、本流を外れた人たちなのかと思っていた」とブログ「ディックの本棚」で告白している。
当時の展示を見た後で「彼らは幕末期の時勢を反映した浮世絵師たちで、西欧の画風などもいち早く取り込み、さまざまな工夫を凝らしていた」とあらためて再評価していたにもかかわらず、彼らの絵の「あくの強さ」について、心の底からは受け容れていなかったのかも知れない。
あれから約3年半が経過し、私自身、いつのまにかすなおに受け容れるような感性へと変化してきたのだろう。