〈午前11時30分頃撮影したスイフヨウ〉

撮影場所:小石川植物園
撮影日:2016.08.31 以下すべて同じ
ご存じかと思いますが、スイフヨウ(酔芙蓉)は朝に白い花が咲き、ふつうは夕方から朝方にかけて赤くなってしぼみます。
小石川植物園正門の受付前のスイフヨウです。

受付の方によると、気温が高いと午前中からピンク色に染まるそうです。
台風明けの8月31日、午前11時30分頃と、帰りの午後3時20分頃、3時間50分でどれだけの色変化があったかという、写真記録です。

〈午後3時20分頃撮影したスイフヨウ〉

こうして見ると、色の変化だけではなくて、やはり花弁に傷みも目立ってくるようですね。

花弁が赤く染まる仕組みは、朝方の花弁にはアントシアニンがなく、午後になると細胞内でアントシアニンが合成され、花弁に溜まって赤色が濃くなっていくのだそうです。

なお、これらの写真はすべて同一の株で撮影しています。
1枚目の写真のみ、八重に見えない理由は不明。花ひとつひとつの個体差で、たまたま写真のような花が咲いたのでしょうか。

「大妖怪展/江戸東京博物館」(2016.7.5〜8.28)は、「国宝・重文が続々」と美術愛好家を呼び集める一方で、夏休みの家族連れ目当てで会場内を薄暗くして幽霊画を展示するなど、美術愛好家と夏休みの娯楽狙いの客の両方を狙った、客の立場からすればはなはだ礼を失したまずい展示の仕方をしていた。
それはともかく…。
現実には存在しない妖怪を、いかにも妖怪らしく見えるよう、しかもユーモアをまじえておもしろく描くか、江戸時代の画家たちがさまざまな工夫を凝らして見せてくれるのはじつにおもしろく、十分楽しめるのだが、美術的な見地からは、私は本展の section E「錦絵の妖怪」のコーナーで足がとまってしまい、このコーナーばかりをつい何度も繰り返して見てしまうのだった。


どうしても「舐めるように見てしまい、その前で足が止まってしまう」のは国芳の描いた錦絵だ。(北斎もすごいが展示枚数が少ない)
「源頼光土蜘蛛の妖怪を斬る図」「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」「相馬の古内裏」「大物之浦平家の亡霊」「大江山酒呑童子」ほか数枚の錦絵が展示され、構図のおもしろさ、絵柄のおもしろさ、奔放な空想力 など群を抜いていてる。
思い出してみると、私は2013年暮れから1月14日まで横浜美術館で開催された「はじまりは国芳〜江戸スピリットのゆくえ」という美術展を見たことがある。あのときはすっかり感動して、ブログ「ディックの本棚」に詳細な感想を掲載している。(↑アンダーラインのある太字をクリックしてみてください)
それにもかかわらず、「国芳が幕末・明治の画家たちの先駆者であった点」にばかり着目していて、国芳の絵そのものの魅力について忘れてしまっていたようだ。
「歌麿とか広重とか北斎とか写楽などが浮世絵だ」と思っていた自分は、歌川国芳、国貞、月岡芳年、河鍋暁斎ら幕末の絵師たちについて、「下手物趣味の、本流を外れた人たちなのかと思っていた」とブログ「ディックの本棚」で告白している。
当時の展示を見た後で「彼らは幕末期の時勢を反映した浮世絵師たちで、西欧の画風などもいち早く取り込み、さまざまな工夫を凝らしていた」とあらためて再評価していたにもかかわらず、彼らの絵の「あくの強さ」について、心の底からは受け容れていなかったのかも知れない。
あれから約3年半が経過し、私自身、いつのまにかすなおに受け容れるような感性へと変化してきたのだろう。

撮影場所:根岸外人墓地前路上
撮影日:2016.08.28
撮影機器:iPhone6
ブログを始めた当時、通勤途中の道端に大きなオシロイバナの繁みがあり、土日に撮影しようとするのですが、いつまでたっても花が咲かない。おかしいな、と悩んだことがありました。
ある日たまたま買い物か何かの帰りに満開になっているのを見つけ、あれこれ調べた上で、この花は午後3時頃にしか開花しない、と知りました。
ここ数年オシロイバナで気に入っているのは、この花の変幻自在性です。
上の写真は昨夕スポーツ・ジムからの帰りに iPhone で撮影したのですが、1本の茎から白とピンクの花を咲かせています。

撮影場所:北隣の叔母の家の前
撮影日:2016.07.08
撮影機器:CANON EOS5D MarkⅢ
2枚目以降は北隣の叔母の家のオシロイバナ。すべて同じ1本の茎から育って灌木状に拡がったもの。それがこれほど多彩な花を咲かせるのがおもしろい。
夕刻はあまりカメラを持って出歩かないので写真は少ないですが、いろいろな花を見られるので楽しい植物です。



ところで、「午後3時頃にしか開花しない」と書きましたが、7月、8月、9月と季節が進むに連れて、この原則は崩れていきます。
結構真っ昼間から咲いているのが見られるようになります。
朝でも前日からの花が咲き残っていることがあります。

なお、色が多彩だと感心している花弁に見えるものは、じつは萼だそうです。萼がこんなに色とりどり多彩だなんて、もっと感心してしまいます。

《付録》

撮影場所:東京六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリー52F窓から
撮影日:2016.08.25
撮影機器:iPhone6
昨日の記事に掲載するつもりで忘れていた写真画像です。
森アーツセンターギャラリーの出口の外、森ビルのタワー52階からの景色です。

撮影場所:六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリー
撮影日:2016.08.25
撮影機器:iPhone6 以下同じ
ルーヴル美術館自身の言明によれば、同館は「200年以上のその歴史において、あらゆる芸術と交わることでいつの時代もアーチストとの出会いと創造の場であり続けている」のだそうだ。
その「あらゆる芸術」の中には「建築」「彫刻」「絵画」「音楽」「文学(詩)」「演劇」「映画」「メディア芸術」の8つ芸術がある、とされてきたが、ルーヴル美術館は第9の芸術と呼ばれる「バンド・デシネ/漫画」に門戸を開き、「ルーヴル美術館BDプロジェクト」を始めた。
(注)今回の写真は許可されたコーナーでのみ撮影したもの。

手始めとしては、「漫画」という表現方法でルーヴル美術館の魅力を人々に伝えたい、として、主としてフランスと日本の漫画家12人を招待、「ルーヴルをテーマに自由に作品を書いてもらう」という企画を実行した。
実際に数多くの本が出版されているようだ。
森アーツセンターギャラリーのミュージアム・ショップでも販売されていたが、フランス語では簡単には読めないし、日本作家のものも1冊 2500円以上もするのではなかなか手を出せない。それはともかく…。

本展はそれら12人の作家の作品の原画を展示しつつ、物語の粗筋を要約するなどして、各作家の紹介にも努めている。
日本からは荒木飛呂彦、谷口ジロー、松本大洋、五十嵐大介、坂本眞一、寺田克也、ヤマザキマリのみなさんが参加している。
ちなみに、ぼくが真っ先に「おもしろいな」と思ったのはダヴィッド・プリュドム(David Prudhomme)の作品。ルーヴルを訪れるさまざまな人々の様子に眼をとめたもので、ひとコマひとコマがじっくりと鑑賞に値する楽しさがあった。

日本の漫画は主としてセリフと絵で流れるように物語を紹介していくことに主眼があるが、フランスの「バンド・デシネ」は上に述べたように、ひとコマ、ひとコマがじっくりと鑑賞に値するレヴェルで工夫されて描かれ、中には絵物語に近いものもある。もちろん作家によりさまざまな違いはあるにせよ、日本のような大量印刷、大量消費のマンガとは少し違う。

写真以外にパンフレットの写しもブログに収録したので、雰囲気を味わっていただきたい。
世界は広い。いつまでも「マンガなんて…」という感覚でいては、新しい芸術、新しい楽しみの存在を知らないまま時代の流れに取り残されてしまうだろう。

12人の作家の作品を眺めていると、あらためてルーヴル美術館の魅力を感じざるを得ない。
いろいろな場面が描かれているが、とくに強い印象を受けるのは「サモトラケのニケ」が展示されているスペースへと登っていく大階段の光景だ。多くの作家が採り上げているのは、やはり「サモトラケのニケ」の魅力か、あるいはそれを展示するルーヴル美術館の展示手法の巧みさなのか…。
(注)上の写真、中央で飛んでいるのが「サモトラケのニケ」
下の写真にも登場している。

じつは2、3年前に東京ミッドタウンでサモトラケのニケのレプリカを見て、その美しさに感動したことがあった。
写真も撮影したのだが、いつだったのかわからないまま写真を探し出せないでいる。ここへ掲載できないのが残念だ。
まあ、そんなこんなで、いつ実現できるかはわからないが、ぜひ一度実物を見に行きたい、と思っている。

会場出口のイラスト展示。
ところで、1、3枚目、垂直線、水平線が揃っているのは、PhotoshopCC のおかげ。
ヴァージョン・アップのおかげでコンピュータの手を借りていとも簡単に実現できるようになった。
4枚目はマニュアル修正。直しすぎるとかえって不自然と思ったので。

撮影場所:横浜そごう そごう美術館
撮影日:2016.08.10
撮影機器:iPhone6 以下すべて同じ
レンブラント という画家については、頭の中に「これがレンブラントだ」というイメージがきちんとできていなくて、私にとっては苦手な画家の一人でした。
暗い影の中に浮かび上がる愛想のない男たち。
それが名画だと言われても、そういう画像は、たとえ高級な印刷物の画集の場合でも、コントラストばかりが強く薄っぺらで味わいのない写真画像になりがちです。
細かいニュアンスなどはどこかへ飛んでしまい、「レンブラントのよさ」がどんなものなのかが伝わってはこない。
それに、たまに日本にレンブラントの実物がきても、展示数が少なくて、レンブラントの画業がいかなるものなのか全体像がつかめない。画風そのものでさえ、「これがレンブラントだ」としかとはつかめないままなのでした。
レンブラントの絵画というのは、せいぜいそんなイメージでした。
〈愚かな金持ち〉

レンブラントは工房を経営し、弟子たちを数多く抱え、量産させて自分のサインを入れていたという話もあって、世界中に散らばる約1000点のレンブラントの作品とされてきた絵画については、じつは真筆かどうかはわからない、と言われてきたそうです。
専門家泣かせの画家だったようです。
そうなると、「これがレンブラントだ」というイメージを自分の頭の中に作り上げるためには世界中あちらこちらを旅行せざるを得ず、とても困ります。
そこへ今回の『レンブラント〜リ・クリエイト展』がやってきました。作品数はなんと油彩画だけでも350点! エルンスト・ファン・デ・ウェテリンクさんというアムステルダム大学の先生が「これこそはレンブラント本人の絵だ」とした350点の、非常に精密なデジタル複製品の展示です。実物の絵ではないので撮影は自由。
〈獄中のパウロ〉

「複製品展示を見にいったのか」と言われれば「その通り」と答えざるを得ないのですが、そもそも約1000点のレンブラント絵画が個人所有も含め世界各地に散らばっていて、その中に本物でない絵も多いわけですから、真筆のお墨付きばかりを今回一時に見ることができるというのは、たとえデジタル複製品であってもチャンスなのです。
レンブラントの絵の勉強をして、どんな絵なのかを知って、「これがレンブラントか」とじっくりと味わいたい日本の西欧絵画ファンにとっては貴重な展覧会と言えましょう。
〈エマオの晩餐〉(習作)

過去に「絵画は実物を見ない限りわからない」と何度も発言してきた私が、どういう風の吹き回しで宗旨を変えたのか、と問われるかも知れません。
しかし、昨今のデジタル複製技術の進歩は並大抵の進歩ではないのです。何よりも大きさが現物と一致しているという点が大きい。「画集にするために縮小」ということはなく、実物大の精巧な複製品なのです。縮小さえしなければ、昨今の技術では画家のタッチまでも正確に再現できるところまできています。
もちろん、まったく同じではないにしても、同じに限りなく近い複製品なのでした。
「エマオの晩餐」は、カラヴァッジョとずいぶん違いますね。
それでも、以上3枚と後に続く「イエスの奉献」など、目立つ特徴として気が付くのは光と影と質感なのですが、おわかりになるでしょうか。
〈イエスの神殿奉献〉

昨年からの学習(旧約、新約の聖書、マリア伝説、聖人伝説など)の成果で、いまでは私は「エマオの晩餐」や「イエスの神殿奉献」くらいなら、題名を見なくても何を描いたものかがわかります。
〈テュルプ博士の解剖学講義〉

これは有名な絵「テュルプ博士の解剖学講義」。幾何学的空間表現によるのではない「空気遠近法」が使われています。
絵の中のこの部屋にいかにして「奥行き」を創り出すか、という工夫があります。
〈東洋風の衣装の男〉

衣装の質感表現がすごいです。
〈ガリラヤの海の嵐〉〜 盗難に遭い、未発見のまま

「ガリラヤの海の嵐」はボストンのイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館から1990年3月に盗まれました。
まだ未発見です。デジタル複製画展なら、盗難に遭った絵画であっても鑑賞が可能です。
〈フローラ(に扮するサスキア)〉

妻サスキアに女神フローラの扮装をさせて描いたもの。この時代の絵画を鑑賞するには、ギリシャ、ローマの神話に関する知識があると一層楽しめます。
〈アブラハムの供犠〉

「アブラハムの供犠」はよく似た弟子の作品の写真が添えられ、人体デッサンを中心に詳細な解説があっておもしろい展示でした。この絵画がどういう場面を描いたものかはご存じですよね? 映画「天地創造」を思い出しましょう。
〈夜警〉

有名な「夜警」ですが、元の絵画(原画)は1715年にアムステルダム市庁舎に移されたとき、柱の間に絵がきちんとおさまるように左端のかなりの部分と上部を少しカットされました。
中央の2名の人物が真ん中に来てしまい、なんとも妙な構図になっていることは、カットした部分を復元展示することによってよくわかるようになります。
写真の復元画は中央の人物がやや右寄りへ移動することによって落ち着きましたが、なんと、そごう美術館に展示する際、今度は天井の高さが足りないとのことで、上部を大幅カット!
絵画は主題を真ん中にもってくればよい、というものではないことがよくわかります。
ちなみに写真も同じ。みなさん気をつけましょう。
〈風車〉

たとえば上の風景画。線が入っている左上部分はカットされていて、あまりに構図がおかしいので「贋作」との評価が定着していましたが、さまざまな調査から左上部分がカットされていることが判明。修正展示されました。
さて、切りがないのでやめますが、re-create されたデジタル複製画というのも、なかなか役に立ち、おもしろいものだということを伝えたくて、今回の記事を書きました。
本展は9月4日まで横浜そごう「そごう美術館」で開催されています。
なお、カメラはすべて iPhone6 で撮影しています。
前々回の記事から少し日数が空いてしまったが、前々回は「草か木か」ということにこだわった記事を書いた。
『同じ「フヨウ」の仲間なのに「草」と「木」の別があるとは、不思議というより理不尽である』とのコメントもいただいた。
しかし、たとえばよく知られた例として「ボタン」と「シャクヤク」がある。どちらもボタン科ボタン属だが、ボタンは「木」で、シャクヤクは「草」である。
【シャクヤク】

撮影場所:自宅庭
撮影日:2015.05.09
〈木と草の接ぎ木〉
このことだけを聞けば「あ、そうか…」と何となく納得するが、一般に販売されているボタン(木)の苗は、シャクヤク(草)に接ぎ木して作られていることをご存じだろうか ? なんと「木」を「草」に接ぎ木しているのだ。
「なぜそんなことをするのか」その答えを想像してみるのはたやすい。一般に「木」に花を咲かせるには年数が必要で、園芸業者としては3〜5年もかけてボタンの苗を作っていたのでは資金がかかって大変なのである。1シーズンでしっかりと根を張ることのできる「草」に、ある程度育って太くなった「木」を接ぎ木できれば、植えてすぐに花を咲かせられる苗を量産できて楽ではないか。
「接ぎ木した個所は地面から浮かせるようにして苗を育てる」などのテクニックが必要で、これにも理由があるのだが、ここでは触れない。
【ボタン】

撮影場所:自宅ウッドデッキ上の鉢植え
撮影日:2015.05.29
〈シャクヤクとボタンの交配種〉
さらにきょうは新情報。最近は「ハイブリッドしゃくやく」というのがあるらしい。
すなわち、シャクヤクとボタンの交配改良種だ。
タキイ種苗の『花と緑の特別号(2016秋)』によると、「根元の茎は木質化するため雨や風だ倒れにくく、切り花にもぴったり」などと書かれているので、ハイブリッドしゃくやくの基本は「草本扱い」つまり「草」ということだと思われる。
庭植えで10年以上楽しめるそうだ。黄色、アプリコット色、オレンジ色など、多彩な花色の写真がカタログには掲載されている。価格はちょっと高い。下は2400円から上は5800円まであるようだ。
いわゆる「花ブログ」には「山野草を中心に掲載するブログ」と「園芸種を中心に掲載するブログ」があるようだ。
当ブログにはそのようなこだわりは一切ない。これからも双方を自在に往き来できるブログでありたい、と思っている。

撮影場所:横浜市こども植物園
撮影日:2016.08.18 下も同じ
久しぶりに訪れた横浜市こども植物園は、いつの間にかセミの鳴き声がツクツクボウシばかりになっていました。
ミンミンゼミやアブラゼミも鳴いていることは鳴いていましたけれど。

カメラを向けたら鳴きやんでしまいましたが、鳴いていたのだから雄です。
私にとっては、捕まえたり撮影したりするのはミンミンゼミよりずっと難しく、敏捷なセミだと感じているのですが、みなさんといろいろと会話してみると、ミンミンゼミのほうが捕るのがむずかしいとか、地方や人によっていろいろと違いがあるようです。