FC2ブログ

吉野山 峯の白雪踏み分けて

2015.02.27(18:00)

141016 吉野 町屋と蔵王権現の提灯1

 喜蔵院と勝手神社を見たあと、ぼくは「吉水神社」(よしみずじんじゃ)に向かった。
 もう、金峯山寺・蔵王権現の提灯が目立つようになっている。

 じつは、とにかく吉野山へ行くんだ、とろくに予習もしないで出掛けたために、ふつうの仏教とは違う修験道(修験宗)のあやしい雰囲気に、ずっと戸惑い続けていた。
 吉水神社が世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素の一つとなっていることも後から知った。


141016 吉野 吉水院 の門

 吉水神社のホームページにしたがって、簡単に紹介すると…
 「元は吉水院といい、天武天皇のときに役行者が創建した修験宗の僧坊でした。明治時代の神仏分離のときに、ここが後醍醐天皇の時に南朝の皇居であったことから、吉水神社に改められました」ということらしい。


141016 吉野 後醍醐天皇の玉座

 「後醍醐天皇の玉座」(上の写真)とか「頼朝に追われた源義経と静御前の潜居の間」(下の写真)とかがある。

 展示された宝物の中には後醍醐天皇が使われた硯箱など日常の品々があり、「えー? これ本物」と驚いたのは「蝉丸の琵琶」。朽ちかけていた。これで音を出せたとはどうも信じられない。
 例によって、怪しげな話も残っている。「弁慶の力釘」といって、弁慶が2本の釘を石に親指で押し込んだその石が残っている。その様子を見て頼朝の追っ手が恐れて逃げだしたのだそうだ。
 また、秀吉が吉野で花見の宴を催したとき、ここを本陣としたといい、それに関連した品々も残っている。


141016 吉野 義経潜居の間1


141016 吉野 義経潜居の間2

 こちらの写真では、「義経潜居(隠れ住むこと)の間」の右側に、弁慶控えの間が見えている。

 「後醍醐天皇の玉座」とか「義経の座敷」と「弁慶の控えの間」とか、そんなものを写真撮ってよいのか、と思ったが、とくに「禁止」の表示がない。
 なんとなく遠慮して、二、三枚をそそくさとしか撮らなかったのと、著しく暗いのとで、よい写真にはならなかった。
 ブログ記事にするのにやはり心配なので調べてみた。
 宮司の講演録が見つかった。「吉水神社では写真撮影を禁止していない。これは私の宮司としてのスタンスで、
重要な美術品は国民の財産だと考えている。是非、玉座の写真を撮りに来てください」と書いてある。
 
 この宮司さん、こうした発言の一方で、ヘイトスピーチでも話題となっている。当ブログではこの問題には深入りしないこととする。


141016 吉野 吉水神社の社殿と書院

 上の写真、左側の平屋建てに見えるのが、「後醍醐天皇の玉座」と「義経潜居の間」などがある書院だ。平屋建てに見えるが、この地域の建物は一筋縄ではいかない。
 下の写真を見ていただきたい。


141016 吉野 崖に立つ書院

 見晴らしのよい側へ回れば、このような建て方になっている。


141016 吉野 吉水神社書院から見える蔵王堂

 書院からは、金峯山寺の蔵王堂がこんなに近くに見える。


141016 吉野 書院の庭

 書院の庭の一部。


141016 吉野 吉水神社の多宝塔

 これは吉水神社の多宝塔。


141016 吉野 吉水神社のピラカンサ

 多宝塔の近くのピラカンサがきれいだった。

 朝からずっと歩き回っていたので、ぼくはかなり疲れていた。
 いろいろと物珍しい品々がある一方、怪しげなものもあるので、疲れもあって注意深く見て回ることができない。もう少し身を入れて見学すればよかった、と反省しているが後悔先に立たず。

 ただ、4月に再訪を考えている。下千本、中千本の桜と蔵王堂、吉水院くらいなら、ゆっくり見られるかも知れない。どれだけ混雑するのかは見当も付かないが…。

2015年02月27日

  1. 吉野山 峯の白雪踏み分けて(02/27)