
昨日17時、ローシャム・ハウス・ガーデンの最初の記事を掲載したあと、1月29日17時の予約記事でその続きを書いたところ、自分の操作ミスで29日の午前1時頃には公開されてしまったようだ。
「ハーハー」の記事しか読んでいらっしゃらない方は、是非、その前の記事にも目を通していただきたい。
ローシャム・ハウス・ガーデンは、ウイリアム・ケントという18世紀の建築家・造園家が、それまで「古典主義庭園」ばかりだった英国に、「風景式庭園」を提唱して造園した初期の風景式庭園が残っている、ということで知られているのだ。
ところが、真っ先に出会ったのは典型的な「古典主義庭園」だった。「予習してきたことと違うではないか」と困惑した私は、古典主義庭園の端っこの鉄扉を開けて、勝手に歩き始めたら、大邸宅とその周辺に広大な景色が広がっているのを見つけた、というのが、この一連の記事のストーリー展開なのである。
それでも、そこで見た景色はまだ、「風景式庭園」と呼ぶほどのものでもない。
見回しいていると、遠くの方に「風景式庭園」の気配を感じさせるものもあるので、とにかくそちらへ歩いてみよう、と私は歩き始めたのだった。
前回最後の、その写真が上だ。

トップの写真で何やら見えていたモニュメントはこれだ。
あとから調べたところ、P.Scheemaker という18世紀の人が制作した彫像で、ライオンが馬を襲っている様子をあらわしている。

そのモニュメントの後方の景色。放牧地に見えるのは多分牛。
後で調べたところでは、この放牧地の背後に Cherwell川が流れているが、それは見えない。
現場では、どこまでがローシャム・ハウスの敷地だろうかと訝ったが、平面図では Cherwell川の手前までらしい。
つまり放牧地はローシャム・ハウス・ガーデンの敷地だということだが、いくら何でも下まで下りていこう、とは思わなかった。
こんなふうに、川や林を自然のまま庭園の景色としてとり入れるのが「風景式庭園」なのだ、ととりあえず納得するしかない。

じつはローシャム・ハウスの入り口で、写真のような牛たちの出迎えを受けている。
放牧地も庭園の内、ということは納得できる。

振り返ってみると、自分は大邸宅 Rousham House の本体の前庭を真正面に歩いてきたらしい。
しかし、大邸宅の建物前では、たとえば下のような景色も見えていた。

そちらへ行っていたらどんな景色が開けたのだろう、とも思うが、だからといって、限られた時間で歩ける距離はたかが知れている。
それと、総勢20名のツァーの一行はまだ古典主義庭園の辺りにいるらしく、こんなところを歩いているのは私だけ。たった一人なのだ。
当初のイメージは以下のようなものだった。
「なだらかな起伏のある地形に広い芝地が広がり、小川が流れて湖水に注ぎ込み、こんもりとした林が湖水を囲んでいる。そんな林の陰から、たとえばローマの神殿風の廃墟だとかがちらっと姿を見せて、風景の中に目をとめるポイント(focal point or eye-catcher)を作っている。」
さてさて、よくよく考えてみれば「ハーハー」の語源で気が付くべきだった。
英国の風景式庭園は、日本人が徒歩で見物できるようなものであるはずがない。とても歩いて回れるものではなく、乗馬して散策すべきものなのだろう、と。
「仕方ない」なにやら不満は残るが、方向を変えつつ、ぼくは撤収することにした。

上の写真、ぼくは前庭を西の方角へと回り込みながら、振り返って写真を撮っているようだ。
後日調べていて気が付いたが、ローシャム・ハウス・ガーデンの敷地は放牧地の左奥(建物からは東南)に細長く広がっていて、池だの橋だの滝だのいろいろとあるらしい。地図を見る限り歩けない距離ではないが、それだけの時間はなかった。
参加したツァーは「バラの教室」のツァーなので、英国の庭園史を学ぶためのツァーではないのだから、大半の方が古典主義庭園のバラほか花々のほうに惹かれるのは仕方がないのだった。
なお、ぼくが抱いていた壮大な風景式庭園のイメージは、後に「風景式庭園」が全盛期を迎えた頃のもので、ローシャム・ハウス・ガーデンはごく初期のもの。ウイリアム・ケントは「こんなふうな庭園」というアイデアを出した程度のものらしい。
結局のところ、肝心なところは見逃した、という結論だが、この記事は次回へ続く。
古典主義庭園のほうへと戻っていく帰り路でも、まだけっこう見応えある景色に遭遇するのだ。

6月18日、真っ先に出会ったローシャム・ハウスの庭は、どう見ても「古典主義庭園」だった。
ぼくが抱いていた「風景式庭園」のイメージは、「なだらかな起伏のある地形に広い芝地が広がり、小川が流れて湖水に注ぎ込み、こんもりとした林が湖水を囲んでいる。そんな林の陰から、たとえばローマの神殿風の廃墟だとかがちらっと姿を見せて、風景の中に目をとめるポイント(focal point or eye-catcher)を作っている。」そんな景色である。
こうした景色は、前回の記事で紹介した英国式庭園を解説した書籍などの写真からイメージしたものだ。
だから、前回記事の写真は、ローシャムハウスの建物と、付属の「古典主義庭園」の写真であって、風景式庭園ではない。まったくイメージが違うのである。

それで、ぼくは古典主義庭園の外れに外へ出る扉を見つけ、とにかく塀の外へ出てみたのだった。
前回記事の最後の写真をもう一度掲載する。左のほうにある緑の鉄扉、ここから外へ出た(出てきた)ように記憶している。

建物の横を、花を見ながら少し歩いて行く。


いまは使われていない様子の大邸宅の前面に、広く開けた芝地が広がっていた。

ぐるりと見回してみた。

ただ、これはウォバーン・アビーなどでも見られた景色で、とくにわざわざ「庭園」と呼ぶほどのものではない。


建物の外れをうろうろしていたら、こんなところを見つけた。
「あっ!」と思った。
これは「ハーハー」(ha-ha)という。沈め垣とか空堀とか訳されている。屋敷の外側で放牧されている家畜などが、屋敷側に入れないようにしてあるのだそうだ。馬に乗った人たちが急に足元に空堀を見つけ、「ハーッ」と驚きの声を上げたのが名前の由来だという。
ハーハーは風景式庭園の特色と言われている。

ハーハー脇の建物のアルコーブには彫刻が見える。

ハーハーが見つかったのだから、ここからどんどん足を進めれば、風景式庭園らしき景色が見えてくるのではないか、とぼくは考えた。
そういえば、下の写真、遠くの方を切り取って見ているが、何かそんな雰囲気がするではないか。
あちらへ行ってみよう、と思った。

ただ、カメラで撮っているから写真では近くに見えるのだ。肉眼で見た様子では、かなり距離がある。
このときは「ハーハー」という言葉の語源を知っていたのに、よくは考えてみなかったのである。