
近所のマンションの植え込みのツバキです。
小さくて、かわいいツバキ。本格的に咲き始めるにはあと2週間くらいかかりますが、ぱらぱらと開花しています。いつも撮るのが遅くなるので、ことしは早めに撮ってみました。
【日常の記録】
1月24日、溜まった郵便物などの整理・片付け。義弟夫婦が来訪。夕刻に長女が孫・隼士を連れて来訪。
1月25日、根岸森林公園梅林散策。
1月26日、料理教室(豚の角煮、だし巻卵、長いもの梅肉あえ)。『ローマ世界の終焉(下)』(塩野七生)読書。
1月27日、スキップの散歩で根岸森林公園へ。ホイッスラー展/横浜美術館
1月28日、メガネ修理・調整。東山魁夷と日本の四季/山種美術館。
1月29日、平塚共済病院検査診療。左膝内側痛みほぼ解消。長女と孫が帰りました。
1月30日、『魂をなくした男(上)』(フリーマントル)読了。『ローマ世界の終焉(下)』(塩野七生)読了。これで『ローマ人の歴史』文庫版(塩野七生)全43巻を読了。
1月31日、スポーツ・ジムでストレッチ&筋力トレーニング。

「古典式庭園のほうへもどるしかない」と風景式庭園らしき景色を探し回るのを諦めた、というところで前回の記事は終わっている。
昨晩、かみさんに確認したら、ローシャムハウスの前庭へは出てきて、ハーハーも見たらしい。ぼくが真っ先に出てきて、うろついていた時間が長かったということのようだ。
ともかく、撤収を決意して後、
ローシャム・ハウスの大邸宅の前庭を西のほうへと回っていくと、こんなものが現れた。
最初「ハーム(herm)」(ヘルメス神像)を見つけたかと思ったが、胸の辺りをよくみると女神像のようだ。
ハームなら少し蘊蓄を書こうかと思ったのに残念だ(笑)。いずれにせよ、イングリッシュ・ガーデンでは散策路などに大きな壺だとか、神像だとかが配置されていて、目を楽しませるポイントを作るようになっていることが多い。
古典主義庭園の特徴だが、一部は風景式庭園にも受け継がれていった。

こんな小径、庭園用語で「ウォーク(walk)」沿いに置かれた。風景式庭園への過渡期のウォークは、古典主義庭園のウォークよりは少し自然な雰囲気だ。
ここで少し整理するが、
「なだらかな起伏のある地形に広い芝地が広がり、小川が流れて湖水に注ぎ込み、こんもりとした林が湖水を囲んでいる。そんな林の陰から、たとえばローマの神殿風の廃墟だとかがちらっと姿を見せて、風景の中に目をとめるポイント(focal point or eye-catcher)を作っている。」
そんなふうに馬でしか回れないような、いまでいう巨大公園風の庭ばかりでは、やはりやがて退屈になる。
古典主義庭園から風景式庭園へと流行が移っても、やがては飽きられる。そのあとにヴィクトリア朝の復活古典主義の時代がやってきて、それぞれのよいところを採り入れた現代の庭園へと流れが移っていく。
ローシャム・ハウスにも古典主義庭園が残っているように、現代の庭園では過去の庭園のよいところをいろいろと採り入れたものになっている、というのが実態らしい。
というわけで、とりあえずはこのように庭園史をまとめておいて、ダヴコットのある庭へと戻るまでに見つけたきれいな景色を並べておこう。





ローシャム・ハウスのメイン建物となる17世紀の建物はすでに紹介している。
その後、19世紀に建物が追加されたといい、全体像はつかみにくい。

パンフレットには、現在のオウナーはいまでも17世紀にローシャム・ハウスを建てたドーマー将軍と同じ家族だ、と書いてある。

今回のローシャム・ハウス・ガーデンのシリーズ記事では、写真を紹介すると同時に、読んでいただけるみなさんに英国の庭園史を少しでも理解してもらえればよい、と配慮した。
「古典主義庭園」が主流だったが、中産階級が力を持つにつれて「風景式庭園」に流行が移り、そしてまた古典主義の復活があって、いろいろな様式を採り入れて現代に至っている、ということだ。

以上、シリーズ4回の連続記事を読んでいただいて、ありがとうございました。

昨日17時、ローシャム・ハウス・ガーデンの最初の記事を掲載したあと、1月29日17時の予約記事でその続きを書いたところ、自分の操作ミスで29日の午前1時頃には公開されてしまったようだ。
「ハーハー」の記事しか読んでいらっしゃらない方は、是非、その前の記事にも目を通していただきたい。
ローシャム・ハウス・ガーデンは、ウイリアム・ケントという18世紀の建築家・造園家が、それまで「古典主義庭園」ばかりだった英国に、「風景式庭園」を提唱して造園した初期の風景式庭園が残っている、ということで知られているのだ。
ところが、真っ先に出会ったのは典型的な「古典主義庭園」だった。「予習してきたことと違うではないか」と困惑した私は、古典主義庭園の端っこの鉄扉を開けて、勝手に歩き始めたら、大邸宅とその周辺に広大な景色が広がっているのを見つけた、というのが、この一連の記事のストーリー展開なのである。
それでも、そこで見た景色はまだ、「風景式庭園」と呼ぶほどのものでもない。
見回しいていると、遠くの方に「風景式庭園」の気配を感じさせるものもあるので、とにかくそちらへ歩いてみよう、と私は歩き始めたのだった。
前回最後の、その写真が上だ。

トップの写真で何やら見えていたモニュメントはこれだ。
あとから調べたところ、P.Scheemaker という18世紀の人が制作した彫像で、ライオンが馬を襲っている様子をあらわしている。

そのモニュメントの後方の景色。放牧地に見えるのは多分牛。
後で調べたところでは、この放牧地の背後に Cherwell川が流れているが、それは見えない。
現場では、どこまでがローシャム・ハウスの敷地だろうかと訝ったが、平面図では Cherwell川の手前までらしい。
つまり放牧地はローシャム・ハウス・ガーデンの敷地だということだが、いくら何でも下まで下りていこう、とは思わなかった。
こんなふうに、川や林を自然のまま庭園の景色としてとり入れるのが「風景式庭園」なのだ、ととりあえず納得するしかない。

じつはローシャム・ハウスの入り口で、写真のような牛たちの出迎えを受けている。
放牧地も庭園の内、ということは納得できる。

振り返ってみると、自分は大邸宅 Rousham House の本体の前庭を真正面に歩いてきたらしい。
しかし、大邸宅の建物前では、たとえば下のような景色も見えていた。

そちらへ行っていたらどんな景色が開けたのだろう、とも思うが、だからといって、限られた時間で歩ける距離はたかが知れている。
それと、総勢20名のツァーの一行はまだ古典主義庭園の辺りにいるらしく、こんなところを歩いているのは私だけ。たった一人なのだ。
当初のイメージは以下のようなものだった。
「なだらかな起伏のある地形に広い芝地が広がり、小川が流れて湖水に注ぎ込み、こんもりとした林が湖水を囲んでいる。そんな林の陰から、たとえばローマの神殿風の廃墟だとかがちらっと姿を見せて、風景の中に目をとめるポイント(focal point or eye-catcher)を作っている。」
さてさて、よくよく考えてみれば「ハーハー」の語源で気が付くべきだった。
英国の風景式庭園は、日本人が徒歩で見物できるようなものであるはずがない。とても歩いて回れるものではなく、乗馬して散策すべきものなのだろう、と。
「仕方ない」なにやら不満は残るが、方向を変えつつ、ぼくは撤収することにした。

上の写真、ぼくは前庭を西の方角へと回り込みながら、振り返って写真を撮っているようだ。
後日調べていて気が付いたが、ローシャム・ハウス・ガーデンの敷地は放牧地の左奥(建物からは東南)に細長く広がっていて、池だの橋だの滝だのいろいろとあるらしい。地図を見る限り歩けない距離ではないが、それだけの時間はなかった。
参加したツァーは「バラの教室」のツァーなので、英国の庭園史を学ぶためのツァーではないのだから、大半の方が古典主義庭園のバラほか花々のほうに惹かれるのは仕方がないのだった。
なお、ぼくが抱いていた壮大な風景式庭園のイメージは、後に「風景式庭園」が全盛期を迎えた頃のもので、ローシャム・ハウス・ガーデンはごく初期のもの。ウイリアム・ケントは「こんなふうな庭園」というアイデアを出した程度のものらしい。
結局のところ、肝心なところは見逃した、という結論だが、この記事は次回へ続く。
古典主義庭園のほうへと戻っていく帰り路でも、まだけっこう見応えある景色に遭遇するのだ。

6月18日、真っ先に出会ったローシャム・ハウスの庭は、どう見ても「古典主義庭園」だった。
ぼくが抱いていた「風景式庭園」のイメージは、「なだらかな起伏のある地形に広い芝地が広がり、小川が流れて湖水に注ぎ込み、こんもりとした林が湖水を囲んでいる。そんな林の陰から、たとえばローマの神殿風の廃墟だとかがちらっと姿を見せて、風景の中に目をとめるポイント(focal point or eye-catcher)を作っている。」そんな景色である。
こうした景色は、前回の記事で紹介した英国式庭園を解説した書籍などの写真からイメージしたものだ。
だから、前回記事の写真は、ローシャムハウスの建物と、付属の「古典主義庭園」の写真であって、風景式庭園ではない。まったくイメージが違うのである。

それで、ぼくは古典主義庭園の外れに外へ出る扉を見つけ、とにかく塀の外へ出てみたのだった。
前回記事の最後の写真をもう一度掲載する。左のほうにある緑の鉄扉、ここから外へ出た(出てきた)ように記憶している。

建物の横を、花を見ながら少し歩いて行く。


いまは使われていない様子の大邸宅の前面に、広く開けた芝地が広がっていた。

ぐるりと見回してみた。

ただ、これはウォバーン・アビーなどでも見られた景色で、とくにわざわざ「庭園」と呼ぶほどのものではない。


建物の外れをうろうろしていたら、こんなところを見つけた。
「あっ!」と思った。
これは「ハーハー」(ha-ha)という。沈め垣とか空堀とか訳されている。屋敷の外側で放牧されている家畜などが、屋敷側に入れないようにしてあるのだそうだ。馬に乗った人たちが急に足元に空堀を見つけ、「ハーッ」と驚きの声を上げたのが名前の由来だという。
ハーハーは風景式庭園の特色と言われている。

ハーハー脇の建物のアルコーブには彫刻が見える。

ハーハーが見つかったのだから、ここからどんどん足を進めれば、風景式庭園らしき景色が見えてくるのではないか、とぼくは考えた。
そういえば、下の写真、遠くの方を切り取って見ているが、何かそんな雰囲気がするではないか。
あちらへ行ってみよう、と思った。

ただ、カメラで撮っているから写真では近くに見えるのだ。肉眼で見た様子では、かなり距離がある。
このときは「ハーハー」という言葉の語源を知っていたのに、よくは考えてみなかったのである。

2004年頃に『イギリス庭園散策』(赤川裕・著)という新書を買ってあった。
英国旅行の前にざっと目を通して、イギリス庭園の特徴と歴史を勉強してあった。
塀で囲ったという印象を避け、周囲の自然と調和・融合するよう作られているのがイギリス庭園の特徴であり、18世紀になって、それまでの古典主義庭園にかわり、樹木、湖水、広い芝地などを配した「風景式庭園」が主流となった。そうした流れを作った第一人者がウイリアム・ケントであり、彼が造園した庭園が今も残っているのがローシャム・ハウス・ガーデン(Rousham House Garden)である、と憶えていた。

ところが、2014年6月18日、オクスフォードから北へバスで30分、ローシャム・ハウス・ガーデンでまっ先に出会った庭がこれである。
しっかり塀で囲われて、低い灌木が幾何学的に植栽されたパーテア(Parterre)が庭の中心だ。これは典型的な古典主義庭園に見える。奥に見えるのはダヴコット(dovecote)すなわち鳩小屋で、これも古典主義庭園によくある造作物だと記憶していた。
「なんだ、話が違うではないか」と思った。


ダヴコットの内部。鳩もちょっとだけ写っている。

いまになってよくよく読み直してみると、
ローシャム・ハウスの建物は1635年に Sir Robert Dormer という陸軍の将軍が建てた居宅だった。
当時英国の進歩派貴族のリーダー格であったバーリントン第三伯爵という人がウイリアム・ケントの才能を見抜き、貴族や富裕層の人たちに次々とウイリアム・ケントを紹介した。ドーマー将軍はバーリントン第三伯爵から紹介されて、自宅の造園を任せたのだという。
だから、塀で囲われた古典主義庭園はあらかじめ家のそばに作られてあったのであり、周辺の自然を取り入れて新たに風景庭園を周囲に造ったということらしい。


古典主義庭園はなかなかのもので、たいへん美しく、思わず目を奪われたのだが、あらかじめ予習をしてあったから、わずかの自由散策時間を利用して、ぼくはできる限り周辺を歩いてみた。この庭園が有名になった理由は、ウイリアム・ケント自身が造園した初期の風景庭園が残っているからなのだから。
その様子はまた次回に。
【八重寒紅】

根岸森林公園では、野梅系の早咲き種の紅梅として、「八重寒紅」と「八重唐梅」という梅の木があります。
このふたつの区別がなかなかつけられずにいました。数年前から剪定の際に品種札が外されたままになる木も多く、「名札のない梅はどちらなのか」という問題も生じてきました。
・八重寒紅のほうが少し早く咲く。
・八重寒紅のほうが花数が多い。
・八重寒紅のほうが色が濃い。
などと思ったこともありましたが、陽当たりの具合だとか、単なる個体差の可能性もあり、決め手になりません。

上の諸点と同時に「なんとなく八重唐梅のほうがすっきりとして見える」という印象があるのですが、「なんとなく…」というのではとても困ります。
ここ二、三年、継続的に観察していて、昨年から「あ、そうか」と気が付いたことがあります。
それは、
● 「八重寒紅」は花弁のひとつひとつに皺が寄る。
ということです。
だから、花全体の様子もかたちが整わないし、陽の光を浴びると乱反射をおこし、妙にギラギラと光って見えるのです。本日の写真は陽の光がまだやわらかく、よく撮れたほうです。

アップで撮った「八重寒紅」の花を、ほかの梅と見くらべていただけばよくわかります。花弁がこれほどしわくちゃに見える梅はめずらしいのです。「なんとなく八重唐梅のほうがすっきりとして見える」のは、「八重寒紅は花弁に皺が寄っている」から、比較したときにそう感じられた、ということのようです。
しかし、アップにしたときはあまり美しくは見えない花でも、効用はあります。
白梅の多い早咲き種の梅林の中に、八重寒紅の木が入ると、梅林全体が急にはなやかな感じになります。雰囲気が明るくなり、「春が来たぞ」と散策の気分を盛り上げてくれるのです。
【八重唐梅】

比較対象の「八重唐梅」です。サンプルが一輪で残念ですが、開花していたのは数少なく、アップで撮ることができたのはこの花だけでした。

これは別の梅の木です。
名札が外されてそのままになってしまいました。
根岸森林公園は、2月から3月になると、階段に手すりを付けたり、崖崩れの防止工事をしたり、そういう土木工事が活発になります。予算を消化しようとするからではないか、とぼくは疑っています。
それでいて、紅梅に白梅の名札がかけっぱなしになって数年とか、名札が外されてそのままとか、そういうところはまったく疎かです。
だから自分で判定するしかありませんが、今までに述べた判定基準からすると、これは「八重唐梅」の花でしょう。
花全体ではなく、花弁の一枚一枚に着目します。多少不揃いでも、花弁の一枚一枚に皺が寄っている様子は認められません。

鎌倉市扇ガ谷(おうぎがやつ)にある海蔵寺は、室町時代に再建された臨済宗・建長寺派のお寺で、本尊は薬師如来です。
四季の花々を楽しめるお寺として、親しまれています。


マンリョウは、立ち姿と赤い実と濃い緑の葉が揃ったところが美しいのですが、その三拍子がなかなか揃いません。鎌倉のお寺では、こちら海蔵寺や、浄明寺町2丁目にある報国寺で美しいマンリョウを楽しめます。


和尚さんが夫婦で訪れた方たちに、先ほど「なんだ、花が咲いていない」と門前でUターンされたお客様がいらした、と話されていました。
まずはお参りしていただきたいです、とのこと。
お寺ですから当然ですが、「なんだ、花が咲いていない」とはどこをご覧になっているのでしょうね。こんなに美しいマンリョウがたくさんあるのに…。

また、「美しさ」というのは必ずしも決まりきったものではなくて、自ら発見してこそ楽しみがある、と思うのですが…。




ほかにスイセンもきれいでしたが、何回も当ブログに載せているので…。
ツバキも咲いていますが、もう少し時季を遅らせたほうがよさそうです。紅梅がちらほら咲き始めていました。