
10月15日、近鉄郡山駅から徒歩で約10分、箱本館「紺屋」を訪れました。
「箱本」とは豊臣秀長の頃から始まった自治組織のことです。
近世の都市においては、町屋敷地にかかる地子(農村の年貢に相当する)を領主権力が免除することがありました。城下町・宿場町などでは商工業振興のための町人誘致が行われ、地子免除が行われたと言うことのようです。
地子免除の特権を受けたのは十三の町で、特権を示す文書は朱印箱という箱(現物が残っている)に収め、封印して1ヶ月毎に十三町で持ち回っていました。当たり月の町を箱本と言い、治安、消化、伝馬などの問題を自分たちで協議し解決していたということです。ほかにも、藩からの通達事項の伝達、税の徴収、訴訟や株仲間の統制、南都祭礼への奉仕などの民政を担当していました。

そうした町の中に染め物(藍染め)を職業とする人たちが集まった職人町として「紺屋町」があり、豊臣秀長の時代に町ができたと見られているそうです。
江戸時代に大きく発展しましたが、明治維新後は紺屋を職業とする家が少なくなり、現在藍染めの博物館となっている「奥野家」は、紺屋の技術を現代に伝えてきたのだ、ということのようです。


写真の枚数が多くなりますが、それはやはり藍染めの色がとてもきれいで、安らぎと美しさの双方を感じるからです。


箱本の箱 付近の展示物を除いては撮影可となっていました。





余談になりますが、郡山のもうひとつの名物「金魚」に関しても多少の展示がありました。

螺鈿細工でしょうか、金魚の模様が美しい。

上は読んでみて「不気味な話だなあ」とびっくりしたものですから、写真をそのまま出しておきます。
なお、「奥野家」の一部では、藍染めの体験ができるようになっていまして、その施設の様子も撮影してありますが、枚数が多くなりすますので、それはまた次回に。