FC2ブログ

大和郡山で出会った風景

2014.11.11(18:00)

141015 養魚池の景色ワイド全景

 10月15日、近鉄郡山線の近鉄郡山駅に降り立ちました。
 市内を少し巡った後、南の方へ歩くと、上の写真のような景色が広がっています。
 プールではありませんし、田んぼでもありません。これは養魚池です。たいしておもしろい景色でもありませんが、こんな光景を見るのは初めてでした。


141015 養魚池とセイタカアワダチソウ

 江戸時代(1724年)、柳澤吉里が甲斐から郡山に入り、金魚を持ち込みました。そして江戸末期には、藩の下級武士の内職として金魚の殖産が奨励されたそうです。郡山の金魚の生産量は日本全国の半分を占めるまでになったそうですが、現在はどうなのでしょうか。
 昭和40年代くらいは、子どものいる家はどこの家でも金魚を飼っているというくらい流行りましたが、いまはあまり見ないような気がします。


141015 養魚池と金魚の資料館

 写真にも写っているのですが、郡山金魚資料館というのがあります(左端)。


【郡山金魚資料館の琉金】

141015 資料館の琉金

 まあ、それなりに、金魚の品種改良の系図表みたいなものもあるのですが、水槽は汚れていて中が見にくいし、めずらしい金魚だからこれは見てみたい、と思う品種に限って水槽の中が空(から)。そんな水槽がたくさんあって、ちょっといい加減。


【郡山金魚資料館のオランダシシガシラ】

141015 資料館のオランダシシガシラ

 もう少し観光に力を入れてもいいんじゃないか、とは思いますが、経営もたいへんなのだろうな、と察します。


【養魚池の向こうは古墳】

141015 養魚池と新木山古墳

 写真に木がこんもりとしたところが写っていますが、新木山古墳(にきやまこふん)というようです。
 その近くに「大納言塚」というのがありまして、大納言というのは豊臣秀長のこと。Wikipedia によれば「大和・紀伊・和泉の3ヶ国に河内国の一部を加え、約110余万石の大大名」。なかなかの名君だったようです。
 しかし、今回の記事は金魚の話。豊臣秀長については、いずれまた紹介いたします。

 つまらない写真ばかりだと言われるのがいやなので、取って置きの写真を出します。


【市内で見つけた電話ボックス】

141015 電話ボックスと張り子の金魚

 この写真なら、どうだ?!
 隣の空きスペースでは、祭りに使うのでしょうか、金魚の張り子を作っていました。


141015 金魚の電話ボックス全景

 最後にまとめです。 
 大和郡山というところは、郡山城の城下町。筒井順慶のあと、豊臣秀長がよい政治をしたらしいです。
 市内に藍染めの資料館がありまして、見学すると豊臣秀長が善政を行っていたことがわかります。
 そして江戸時代は1724年から柳澤吉里。柳澤吉里というのは柳澤吉保の長男であり、名君だそうです。吉里が大和郡山藩の初代藩主となって、以降郡山は廃藩置県が行われるまで柳澤家の支配下にありました。

 郡山城跡も訪ねましたので、いずれまた紹介いたします。


【日常の記録】

11月9日、草むしり。スポーツ・ジムでストレッチ&筋力トレーニング。
11月10日、料理教室(えびときのこのグラタン、かぶとベーコンのスープ、りんごとクレソンのサラダ)。草むしり。証券会社担当者と面談。

2014年11月11日

  1. 大和郡山で出会った風景(11/11)