
アンリ・ドルレアン(オマール公アンリ)というフランスの王族の方がいまして、彼がまだ8歳の時、名付け親だったコンデ公ルイ6世アンリが嫡子がないまま亡くなったため、シャンティイ城を含む膨大な遺産を相続しました。
フランスはその後1848年に2月革命が起きて、オマール公アンリはイギリスへ亡命しました。18歳の頃です。やがてフランスへ帰国し、1870年代にシャンティイ城を再建。
そして1884年、シャンティイ城を含むシャンティイの所領及び収集した美術品などをことごとくフランス学士院へ寄贈しました。
シャンティイ城は、だから最初モンモランシー家のために建てられたプチ・シャトーがあって、それが革命で破壊され、最後にオマール公アンリが修理・増築・再建した、ということになります。
フランスへ行く前に簡単な調査はしたわけですが、上のような複雑なことは到底憶えきれませんし、現地でひとめシャンティイ城を見たときに、事前調査したことなどは頭の中からどこかへ吹っ飛んでしまっていました。
上の写真は中庭から入り口を入ったところの左側にある大ホールです。
下へ階段が続いているのですが、このときはそれを撮っていません。
正面の奥へ入って行くと礼拝堂があるのですが、このときはそれを知りませんでした。

大ホールの天井画です。
さて、行く手は右と、左と、正面に別れています。
左はこのように大階段のあるホールになっているので、そこは後回しと決めて、次に右。

ここは「鹿のギャラリー」といって、狩猟場面を描写したタピストリーが掛かっています。オマール公のディナー・ルームだったそうですが、そういう情報は、後から調べてわかったのでして、「なんだ、タピストリーか…」と、数枚写真を撮って奥のほうをはどうなっているかと調べなかった。
じつは右奥へとたいへんな部屋が続くのですが、そのときは気が付かなかったのでした。


とりあえず正面へ進むと、そこは控えの間。左へ曲がるとすぐにこの「オマール公の図書室」がありました。
この光景にはびっくりしてしまいました。1万3千冊の本があるのだそうです。



そのあと「衛兵の間」「殿下の寝室」などと続いていくのですが、部屋の家具調度品があまりに豪奢なのに目を奪われ、先ほどの「鹿のギャラリー」のことなどはすっかり忘れてしまっていました。
〈追記〉
「室内なのにきれいな画」とコメントをいただいています。
たとえば「オマール公の図書室」は実際にはかなり暗いのです。ストロボなしで室内灯の明かりを頼りでの撮影ですが、みなさんにはある程度明るい画像を見ていただかないと、何が何だかわからない写真になってしまうので調整しています。
そんな暗い部屋でも撮影できるカメラなので、多少なりとも窓からの明かりがあれば、かなりきれいに撮ることが可能です。