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鎌倉幕府跡を歩く 〜 2014.3.11

2014.03.30(22:00)

【小学生が描いた鎌倉幕府跡の地図】

小学生が描いた大蔵幕府の図面140311

 いきなり地味な図面を出しましたが、これは清泉小学校の児童が「鎌倉幕府」(大蔵御所)の場所を示すために描いた地図です。
 いろいろな観光案内や歴史案内書を調べましたが、小学生が書いたこの地図が、鎌倉幕府の所在を正確に示していて、一番わかりやすい、と思いました。
 網掛けになっている部分が源頼朝の御所(鎌倉幕府)の敷地です。長方形の敷地の右上(北東部分)が、現在の清泉小学校の敷地です。


【周辺の観光案内地図】

大蔵幕府付近地図140311

 そうはいっても、付近の地図もないとわかりにくい、という方のために、下記の案内板の写真を添付します。
 小学生の絵地図の下側を横に(東西に)走っている道路には「六浦道」と書かれていますが、カラーの案内板は右が北ですから、「六浦道」は現在の「金沢街道」として、案内板ではまん中少し左寄りのところを縦に通っています。


【清泉小学校】

清泉小学校校舎140311


 写真が「清泉小学校」の校舎です。聖心侍女修道会を設立母体とする清泉女子大学(品川区)のグループで、私立の学校です。ぼくは以前「旧島津侯爵邸」を見学するため清泉女子大学にも行ったことがあります。

 この清泉小学校は、鎌倉幕府(大蔵御所)の敷地の北東部分(約4分の1)の角部分に建てられているので、小学校の歴史好きの子どもたちが、トップに示した図面と研究成果を、学校の周辺の立て看板に展示してくれています。


【鎌倉幕府跡を示す碑】
〈1〉大蔵幕府跡の碑

清泉小学校校舎と大蔵幕府跡の碑140311

 鎌倉幕府跡を示す碑は全部で3個所。幕府跡の中心部、清泉小学校の南西角の路上にひとつ、東側に「東後門跡」の碑、西側の通りに「西御門跡」の碑があります。
 それぞれの碑の写真を掲載します。

 上の写真は手前に見えているのが「大蔵幕府跡」の碑。ここが源頼朝の御所の敷地の中心部で、先ほどとは逆の方角から清泉小学校の校舎が見えています。その手前に碑があって、背後のスペースに小学生たちの研究成果が展示されています。

 
大蔵幕府跡の碑140311

 「大蔵」という呼び名は、鎌倉時代にはこの地域全体を「大蔵郷」と読んでいたことから来ています。

 源頼朝が「大蔵御所」に武家政権の実権者「鎌倉殿」として居を定めてから、征夷大将軍に任じられるまで12年ほど掛かっています。形式主義から1192年を鎌倉幕府を開いた年とするのはおかしい、言われるようになり、もう少し幕府を開いた年を早く考えるのが現代の主流となってきているようです。


〈2〉西御門の碑

西御門の碑140311

 大蔵幕府の西御門は、小学生の地図の西大路に面していました。
 この記事の2枚目の写真「観光案内地図」が、碑の左側に見えています。


〈3〉東御門

東御門の碑140311
 
 碑に書かれていますように、東御門と西御門の碑しかありませんが、御門は東西南北4個所にありました。
 「法華堂」について言及がありますが、それはいずれまた記事にいたします。


東御門川140311

 上の写真は東御門川。この川の右側が清泉小学校の敷地です。
 ややこしいことに、ここの地名は西御門町になっているようです。現代では西側の「西御門町」の町名のみが残り、本来の東御門付近までを含めて「西御門町」になっている、とのことで、現代の行政はややこしいことをしてくれます。

 前回の記事で「宇都宮辻子幕府跡を捜して」という記事を書きましたが、「宇都宮辻子幕府」の敷地も「若宮大路幕府」の敷地も、「大蔵幕府」(大蔵御所)の敷地に比較すればかなり小さいです。
 現地に出かけて、これらの碑を捜して歩き回ってみるならば、鎌倉殿(源頼朝)の権威の大きさを実感することができます。

 鎌倉がなぜ世界遺産にならないのか、という議論がありますが、日本で最初の武家政権などと騒いでみたところで、外国から来た観光客が見てまわることのできるのは、小学校の校舎や住宅街であり、そこに碑が三つ建てられているだけ。
 以前にも書きましたが、鎌倉を楽しむには、平家物語などの文学やテレビドラマなどで歴史に親しんでいるという下地の上に、想像力を膨らませることが必要なのです。
 外国から来訪した観光客にそれを望むのは、無理というものでしょう。
 形があって、見せられるものが数多くはないのです。 
 

《参考》清泉女子大学内の旧島津公爵邸(2011.7.23)

旧島津公爵邸110723再


〈注〉この記事の前に「ホトケノザ」のマクロ写真の記事があります。
   

ホトケノザ

2014.03.30(10:00)

ホトケノザ140323

 昨日の記事でも少し書きましたが、フラサバソウのように極端に小さな花は別にして、できれば Olympus E5 + 50mm Macro の世話にならず、ふだんから使用している CANON EOS 5D MarkⅢ + 100mm Macro だけで、大半のマクロ撮影をこなしたいと、意地でも腕を上げようと取り組んでいます。
 三脚を使わないでも、思い切り対象に近づいて、長めのレンズが振れないよう、対象との距離が絶対に動かないよう、細心の注意を払って撮影すれば、撮れるはずなのです。


ホトケノザ2140323


 CANON の 100mm Macro は、上手に撮れたときは自分で驚くほど美しい表現力を持っているので、これを使わないのはもったいない。近づけば近づくほど被写界深度が浅くなり、ピント合わせはシビアになりますが、そこは「何が何でも撮るぞという自分への厳しさ」で失敗をなくそう、と努力しています。


ホトケノザアップ140323


ホトケノザアップ2140323


〈注〉この記事の前に「根岸森林公園・馬の博物館のイトザクラ」があります。
   今年初めての本格的な桜の記事です。
   次回「鎌倉幕府跡を歩く」は本日の晩遅くに更新いたします。


【日常の記録】

 3月29日はかみさんが花屋さんをやる日でした。朝9時〜11時頃が客足のピーク。ご近所の花好きのみなさんにかなり期待されているようでした。
 ぼくは午前中スキップを根岸森林公園へ散歩に連れて行きました。あとはアイロン掛けなどの家事、片付け、Photoshop のビデオ学習などをしていました。

2014年03月30日

  1. 鎌倉幕府跡を歩く 〜 2014.3.11(03/30)
  2. ホトケノザ(03/30)