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鎌倉幕府・問注所跡 〜 鎌倉市立御成小学校

2014.03.25(23:30)

鎌倉市・御成小学校付近全景140317

 鎌倉幕府の創設はいつか、という議論があるようですが、それを議論するにはそもそも「幕府とは何か」という定義をはっきりさせなければなりません。
 幕府を機能面から考えると、軍事・警察を担当する侍所、公文書の発行・管理を行う公文所(後の政所)、訴訟を担当する問注所などが必要とされたらしいですが、それらを統括するのが武家政権の実権を握っていた源頼朝です。
 それなら、頼朝そのものが幕府ではないか、とも言えそうです。
 これを形式面から「実権者は征夷大将軍に任官していなければならない」とするのが従来の通説。
 この通説に合わせて、源頼朝の居所であった大蔵郷の御所を大蔵幕府として、初期の鎌倉幕府の所在地としてきたようです。
 機能面からは、少なくとも侍所と問注所は大蔵御所内にあったようですが、訴訟にきた連中が怒鳴り合う声が聞こえてうるさい、というので、頼朝は問注所の移転を決め、後に問注所は少し離れたところへ移転したそうです。

 その問注所が移転した場所というのが、現在の鎌倉市立御成小学校です。


御成小学校正門140317

 ところで、明治政府は明治32年に皇女であった富美宮・泰宮らの避寒のため鎌倉に御用邸を建設。その敷地を昭和6年に鎌倉市に払い下げて、そこへ鎌倉郡立御成尋常高等小学校(現在は鎌倉市立御成小学校)が開校しました。
 校門は御用邸の冠木門を利用したというので、このような立派な門になっています。


御成小学校・旧講堂外から140317

 昭和8年に建てられた古い講堂がまだ残っていて、門構えと同様、独特の景観となっています。


御成小学校・旧講堂見上げ140317

 3月17日は鎌倉駅西口を出て、真っ直ぐ正面へ歩いた「市役所前」の交差点を左折、今小路という通りを南へ歩き始めるとすぐこの御成小学校が右に見えます。
 今小路通りをさらにそのまま進むと「六地蔵」の交差点。そのまま今小路通りをさらに進むと、やがて江ノ電の「和田塚駅」に着きます。
 ここで3月24日の記事の通り「和田塚」を見学し、江ノ電で「長谷」へ出て、長谷駅から線路沿いに歩いて3月21日の記事の「権五郎神社」へお参りしたのでした。

 ついでですから、下に「六地蔵」交差点の写真も入れておきます。


六地蔵交差点140317 

 さらについでに、今小路通りを和田塚まで行く途中、古い銀行の出張所跡を見つけたので、下へ入れておきます。


横浜何とか銀行由比ヶ浜出張所140317

 横浜興信銀行由比ヶ浜出張所跡。昭和2年竣工。


【日常の記録】

 3月23日は朝のうちにカメラを持って近所をまわり、あとは一日中おとなしくしておりました。津から帰って来ていた長男も、千葉の谷津から来ていた長女と孫も、夕刻帰っていきました。
 3月24日、晴天。9時過ぎに出て北鎌倉へ。山ノ内から亀ヶ谷坂切り通しを抜けて扇ガ谷まで歩いて見ました。薬王寺へお参りして仮粧坂から源氏山公園へ登りました。ちょうどツバキの最盛期。いろいろとよい写真が撮れました。
 3月25日、横浜線で橋本へ出て、バスで「城山かたくりの里」へ行ってみました。昨年は遅すぎたので、意識して少し早めに行ってみました。それなりの成果はありました。いずれ記事にいたします。

庭のスイセン

2014.03.25(12:00)

庭のスイセン正面横並び140318

 3月中旬に新たに開花した花壇のスイセンです。
 3月18日撮影。


庭のスイセン縦140322

 3月22日撮影。


花壇の八重のスイセン140318

 以前紹介した八重のスイセンもまだ元気です。
 3月18日撮影。

2014年03月25日

  1. 鎌倉幕府・問注所跡 〜 鎌倉市立御成小学校(03/25)
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