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第91回 San Po の会 鎌倉ハイキング(その2)

2014.02.25(18:00)

 第91回 San Po の会 鎌倉ハイキングの続きです。
 宝戒寺と腹切りやぐらを訪ねた後、金沢街道(旧 六浦道)を東へ向かい、「杉本寺」を経て、バス亭「浄明寺」まで到着しました。
 このハイキングは、ここで「報国寺」と「浄妙寺」を訪ね、さらに「十二所神社」バス亭まで歩いて、そこから「朝比奈切り通し」へ向かい、切り通しを上って抜ける、というコースですが、とりあえずは San Poの会メンバーに、「報国寺」と「浄妙寺」を案内し、どこか昼食をとる場所を探さねばなりません。


【雪の報国寺】

報国寺・雪に埋もれる石仏群140222

 さて、バス亭から右へ折れて少し歩くと「報国寺」です。
 積雪がひどく、境内がかなり荒れています。これはこれでおもしろいのですが、ぼくは「報国寺は積雪がないほうが美しい」と感じました。
 たとえば上の写真、2月3日は下のような様子でした。

報国寺・並ぶ石仏・石塔やぐら

 カメラが コンパクト・デジカメだから…、とかいうことではなくて、雪が苔の緑や置いた石などを覆い隠し、庭園を荒れた様子にしてしまっているのです。


雪の竹藪の石仏たち140222

 雪景色は、雪の翌朝すばやく撮らないと、むしろ汚くなってしまうように感じました。


報国寺・本堂裏のやぐら140222

 報国寺の開基は足利尊氏の祖父足利家時、あるいは上杉重兼ともいわれ、いずれにせよ足利時代の寺院です。本堂裏の竹林とやぐら(足利家時ほか一族の墓、と言われている)がよく知られ、「竹の寺」と言われています。
 上の写真は San Po の会リーダーのNさんが撮影されました。


《参考》2月3日のマンリョウ(2月3日撮影)

報国寺のマンリョウ140203

 竹林横のマンリョウは、雪で全滅。雪から頭をもたげているのを San Po 会メンバーに見てもらえた程度。残念でした。


【浄妙寺】

浄妙寺の梅と本堂N140222

 「報国寺」の次は「浄妙寺」。
 「浄妙寺」は、頼朝に従っていた鎌倉幕府の御家人・足利由兼(あしかがよしかね)が創建した寺で、もとは真言宗。建長寺から住職がきて禅寺となり、大寺院となりましたが、火災で衰退しました。
 それを再興したのが尊氏の父「足利貞氏」であるといわれ、貞氏は「浄妙寺殿」と呼ばれていたので、地名まで名前をいただいて「浄妙寺」とするのは畏れ多いと「浄明寺」という地名になったとか…。

 紅白の梅と本堂の写真は San Po の会リーダーのNさんが撮影されました。


《参考》茶室 喜泉庵(2月3日撮影)

浄妙寺喜泉庵からの枯山水庭園140203

 茶室・喜泉庵の障子が閉められていて、枯山水庭園を覗けませんでした。いずれにしても、積雪で庭園の様子がさっぱりわからない状態でしたので、San Po の会メンバーのため、参考に2月3日の写真を掲載しておきます。


【三宝荒神(本寂堂)】

三宝荒神(本寂堂)140222

 「浄妙寺」の境内でお弁当を食べるわけにはいかないので、「鎌足稲荷神社」へ登ってみましたが、日陰で座るところがなく却下。「鎌足稲荷神社」の手前に「三宝荒神(本寂堂)」のある丘を見つけ、そこで昼食タイムとしました。
 「鎌足稲荷神社」は先日記事にしたばかりなので、San Po の会メンバーのためにリンクを設置します。

 クリックしてください → 「鎌足稲荷神社」の紹介記事

 上の写真はお弁当タイムでひと休みした社とその境内です。
 三宝荒神は、三面六臂で仏・法・僧の三宝を守る神(浄妙寺鎮護の神)とのこと。かつて浄妙寺には、足利義兼が発願し、北条政子が造らせたという荒神像、不動像を安置する本寂堂があったといいますが、ここがその本寂堂の跡地なのでしょうか。

 昼食を済ませてほっとしたので、いよいよ十二所(じゅうにそ)めざして出発です。
 十二所(じゅうにそ)という地名は、熊野十二所権現の社があったことから付いた地名だそうです。したがってこの地名は全国にあります。何が十二なんだ? と始めると複雑な話になるので省略します。ぼくもまだよく理解できておりません。

 次回は、朝比奈切り通しの記事になります。「速報」写真に少し加え、さらに文字情報を充実させます。


【日常の記録】

 2月25日、久しぶりの快晴、しかも暖かくなるというので、大船フラワーセンターまで自動車を走らせました。
 カメラ2台、レンズ4本、アングル・ファインダー2本のフル装備です。
 各種のツバキ、雪割りイチゲ、オオミスミソウ、セツブンソウなどを楽しんできました。

2014年02月25日

  1. 第91回 San Po の会 鎌倉ハイキング(その2)(02/25)