【勧修寺の門】

摂関家の藤原良門(よしかど)には高藤(たかふじ)という若君がいて、鷹狩りの好きな好青年でした。
高藤はその日、家来を連れて南山科へ狩りに行きましたが突然雷雨に見舞われ、ある屋敷に駆け込んで雨宿りをさせてもらいます。
酒と食事のもてなしを受けるのですが、給仕してくれたのは13、4歳くらいの少女でした。長い髪が美しくとても可愛い。夜になり、頼んで先ほどの少女を寄越してもらい、高藤は少女を抱き寄せました。
共寝をした明くる朝、「親が嫁がせようとしてもそんなことはしないでくれ。これを約束の証に置いていく」と少女に太刀を与えて高藤は帰りました。
【勧修寺・宸殿】

高藤が帰らないので心配していた父の良門は、息子の帰還を喜び、以降勝手な外出はいけない、と息子に禁じてしまいます。
さて…。
やがて良門は亡くなり、自由になった高藤はあらゆる縁談を断りつつ、あの少女を捜します。あの雨宿りの日から、もう五、六年がすぎていました。
【勧修寺・宸殿の額】

【勧修寺・宸殿の前庭】

田舎から以前の家来が上京したので、高藤は「あの少女の屋敷を憶えているか」と尋ねました。
「もちろん、憶えていますとも」
というわけであの屋敷を訪ねてみると…。
いっそう美しくなった娘の傍らには五つくらいの可愛い女の子が控えていました。枕元のほうに眼をやると、あのときの太刀があります。幼い女の子をよく見れば、自分にそっくりなのでした。
【勧修寺・書院】

高藤は母と子を自分の屋敷に引き取りました。女はさらにふたりの男の子を産み、高藤も、ふたりの男の子たちも出世しました。女の子は宇多天皇の女御に入内し、やがて皇子が生まれました。これが後に賢帝と言われた醍醐天皇です。
あの少女は、とうとう天皇の祖母になったのです。
【勧修寺・書院前の這柏槇(ハイビャクシン)】

「雨宿りのロマンス」いかがでしたか。
若き高藤が少女と出会った屋敷はその辺りの郡の長官の屋敷で、その屋敷を寺にしたのが、ここ醍醐の勧修寺(かじゅうじ)、雨宿りのロマンスの跡だと伝えられています。
上の物語は『今昔物語』の中にあるのだそうで、それは田辺聖子さんの『田辺聖子の古典まんだら』(新潮社)に教えてもらいました。
【勧修寺・水戸光圀デザインの灯篭】

【書院前の老梅】

勧修寺(かじゅうじ)は、京都市山科区にある門跡寺院で真言宗山階派大本山です。
創建は醍醐天皇、本尊は千手観音です。物語にある通りですので、皇室と藤原氏にゆかりの深い寺院ということになります。寺名は「かじゅうじ」を正式の呼称としていますが、地名は「かんしゅうじ」と読むようです。
地下鉄東西線の小野駅で下りて徒歩十分弱ですが、駅前に案内板がなく、道は通りがかりの方に聞かないとわかりにくくなっています。
【勧修寺・宸殿と書院】

境内東側には手前から宸殿、書院、五大堂、本堂などが建ち、境内西側は氷室池を中心とした庭園です。池に面して楼閣風の観音堂(昭和初期の建立)が建っています。それらを順番に紹介しています。
【勧修寺・宸殿の裏】

明日は、観音堂の紹介です。
新しい建物ですが、池の前に建てられていてたいへん美しいのです。
なお、この記事は予約投稿しています。
本日はSan Po の会に参加していて、帰宅が遅くなる場合、みなさんのところへおうかがいするのは明日になるかも知れません。