
阿部氏は飛鳥時代から奈良時代に大臣級の高官を輩出した一族で、平安時代以後は「安倍」と称して、安倍晴明以後は陰陽師の家系として知られるようになった。
遣唐使で留学生として唐に渡った仲麻呂もこの一族の一人だ。百人一首の「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」で知られている。このときはまだ、姓は「阿部」表記だった。奈良時代の話だ。
安倍晴明が出てくるのは平安中期のことだ。
安倍文殊院は奈良の南方、JRまたは近鉄の桜井駅の近くにある。昨年(2012年)10月16日當麻寺などを訪れた帰りに、ぼくはこの安倍寺へ立ち寄った。
安倍文殊院は文殊菩薩をお祀りしていて、大化改新とのときに左大臣となった安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が安倍一族の氏寺として建立したものである。当時はこの地の約300m南西にあったらしいが、江戸時代に移されたらしい。

この寺は安倍晴明が陰陽道の修行した場所と言われている、という。
しかし、今般はただ、たまには秋らしい景色を出したい、というだけで昨年の写真を掘り出してきた。
近年はコスモスの美しい寺として知られているらしい。
安倍仲麻呂や安倍晴明など安倍一族をお祭りするために「金閣浮御堂」が池の中に建てられ(昭和60年竣工)、その屋根がコスモスの向こうに見えているのが一枚目の画像だ。
上の写真は、めずらしく前ボケが大きいが、西日に輝くお堂を強調したかったのだろう。

コスモスを迷路仕立てに植えた区画もあり、一段と高い位置の「晴明堂」から見下ろすとこんな感じだ。

撮影はすでに日没直前のことで、ぼくにしてはめずらしく日没写真も残っている。
昨日から、浴室の補修工事をしていて、どうも落ち着きません。
今年はガス機器の更新、居間の床下暖房敷設、浴室の補修工事と、ずいぶんいろいろとやりました。
追記(23:02): 申し訳ありません。誤変換がありまして、安部 → 安倍 と訂正いたしました。