【橋の向こうに見えてきた清水祖師廟】

台湾旅行の最終日、三峡にある「清水厳祖師廟」を見てきました。
この地の神様「清水祖師」を祀る寺院ということらしいのですが、川に架かった橋を渡っていくと、低いところになにやら古ぼけてくすんだ屋根が見えてくる。まわりには商店などのけばけばしい看板やテント屋根が見えたりして、何やら雑然としています。
【「これが清水祖師廟なの?」と少し幻滅】

【全貌が見えてもまだ幻滅状態だったが…】

【正面入り口から中へ】

幻滅状態・半信半疑だと、カメラワークも「撮れればいい…」といい加減になってきます。
【正面入り口の柱】

この石柱を見て、急にシャキっとしてきました。
東洋のサグラダ・ファミリアとか言われているらしいですが、ガウディに当たるのは李樹梅といいう人らしい。
日本の統治に反対する戦渦で痛んだ祖師廟をこの人が指揮して再建。まだ建設中なのだ、ということです。
【内部の拝殿】

見学に先立って、現地のガイドさんから参拝の仕方など教わりました。しかし、とても複雑で憶えきれません。参拝の前に占いのようなことをやって、神様の意向を確かめてから正式な参拝となるような、何やらそんな内容でした。
仏教とかキリスト教とかならある程度知っていて理解できますが、ぼくが知っているのとはまったく別の世界の信仰という感じです。清水祖師は「福建省の安渓の人々の間で信じられている神様で、その地域の人々が台湾のこの三峡へ移住したときに、やはり守護神としてこの廟に祭った」とあるサイトに説明がありました。
内部はこのとき混み合っていまして、ガイドさんの説明を聞きながら撮影します。
露出とか、シャッタースピードとか、細かく考えている余裕などありません。
【正面入り口の石柱 〜 この精緻な細工を見よ!】

観光客として驚かされるのは寺院の装飾です。
別世界の装飾と感じられる理由は、徹底した細部の描写です。精緻で細かい!
台北の故宮博物館の有名な名品で「象牙球」というのを見てきましたが、大きな象牙の球体の内部を17層にも彫ってあって、精緻な細工は親子三代で制作したとか…。
どのようにして彫ったのか想像も付かず、誰もがただ唖然として見とれてしまう逸品でした。

日本的な感覚では、たまにこのような精緻な工芸に圧倒されることはあっても、日本美術がそういう方向へ走ってくということはありませんでした。
「美が人に与える感動の本質的なところはこれだ!」と大掴みに感じ取り、肝心なところはしっかりと気合いを入れて表現するけれど、「余分なところまで精細な描写をしたらかえって感動の邪魔になる」からと、そのほかの部分は大胆に省略する、という方向へ進むのが日本人の美的感性です。
ところが、中国の人たちっていうのは、どこまでも徹底して精緻な細工を追求する。
感性が違う、としか言いようがありません。その差に驚かされているわけです。
石造りの柱をご覧頂きましたが、上と下とか、表と裏とか、別々に制作して後から合体させたような、「寄せ木造り」ならぬ「寄せ石造り」ではなくて、一本の石を彫ってあるのです。
忙しないツァー旅行でなければ、コンパクト・デジカメでなく一眼レフを持って行き、せめて二、三時間は粘って、柱やレリーフなどのひとつひとつをじっくり鑑賞しているところです
【二階を見上げる…】

何となく上の方を見上げて撮っています。
二階に人が上がっているのは、ぼくの目には入っていません。そのくらい余裕がないのです。
近くに「三峡老街」という古い町並みがありまして、「三峡老街」とこの「清水祖師廟」を合わせて40分の時間しかありません。
ぼくとかみさんとS夫妻の4人はすぐここを出て「三峡老街」を見に行きましたが、大したことはないので、ぼくは残り15分というときにまた「清水祖師廟」へ戻ってきました。
【清水祖師廟入り口】(以下、再訪してからの写真)

ひとりになると、急にやる気が出てきて、構図などいろいろと考え始めました。
同じ入り口でも、先ほどの4枚目とは撮し方が違っています。同じ建物でも、ボリューム感が出て、奥行き感もあります。
このあと、「集合まであと十分」というときに、二階への階段を昇る人たちを見つけ、「え、二階へ上がれるの?」と慌てて二階へ上がりました。
そんなわけなので、この後の写真は明日の記事といたしますが、今晩の記事よりおもしろく多彩な写真が楽しめると思いますので、明晩も是非当ブログへご再訪くださいませ。