
ウッドデッキ前のサルビアです。
昨日のオミナエシもそうですが、どういうふうにでも撮れそうな花 というのはとても悩ましいです。それが家の花壇となりますと、まず午前に撮るのか、午後に撮るのか、陽の当たったところを撮るのか当たっていないところを撮るのか、そうしたところから決断しなければなりません。
ひらめくまでずっと待っていると、撮るべき時季が過ぎてしまう。そうなってしまったかと思っていましたが、涼しくなると元気になるのですね。
一般的には、背景が明るいとソフトな感じの仕上がりになるようです。
忙しくなってくると、写真一枚でごまかそうとします。ごめんなさい。

9月9日、昭和記念公園での撮影です。
絞ったり、逆に開いてボケを利用したり、ソフトに撮ってみたり、がっちりとした印象にしてみたり、いろいろな撮り方を試みてみました。






根岸森林公園は、ハナミズキとは相性が悪いのか、花はあまりきれいに咲かないし、紅葉する前に葉は茶色くなり、ほとんど赤い実を見たことがありません。
今年はどうしたことか、この一本の木だけ、たくさんの実を付けていました。
このような姿を見るのは、ブログを始めてから初めてのことです。
今晩は写真一枚だけ、というのには理由があります。
朝8時に家を出て、夕刻5時過ぎまで鶴見にある理化学研究所の横浜研究所一般公開のイベントに参加しておりました。
タンパク質の立体構造解析の方法とか勉強してきた次第ですが、NMR(核磁気共鳴)施設を使うNMR測定とシグナル解析とか、X線解析法とか、施設見学から原理の学習まで、理科系でないぼくにとっては頭をフル回転させなければなりません。
また、イベント参加するためには、整理券入手から始めねばならず、一日中ほとんど立ちっぱなしでした。
というわけで、くたくたでして、写真を整理するだけの気力が出てきません。
ただ、遺伝子解析施設の写真とか、NMR施設の写真とか撮ってきましたので、いずれまた、みなさんに紹介したいと思います。

今朝は、庇で雨が当たらないところだけ水撒きをして、久しぶりに根岸森林公園を一周しました。
セイタカアワダチソウが、写真を撮ってほしい、とばかりに並んでいました。

今年はなかなか出会うことのなかったゲンノショウコです。

例年の草刈りで、ソメイヨシノの林のヒガンバナは絶滅状態ですが、梅林に近いほうへ進出しています。
三本のバランスがよかったし、いかにも野に咲いたという感じですので、明暗差の厳しい状況にもかかわらず、挑戦してみました。

ノハラアザミとキチョウということでよいのでしょうか
詳しい方のご教示をいただければ嬉しいです。

9月9日、昭和記念公園で撮影しました。
ハイノキ科ハイノキ属だそうですが、サワフタギという木を見たのは初めて。
よい時季を過ぎてしまっていたようですし、写真としてもあまり出来映えがよくはないのですが、ぼくは初めてサワフタギの青い実を見た、ということでとてもうれしく感じていました。
本日は目の調子が悪く、焦点がよく合いません、疲れ目だと思います。一晩眠れば治るでしょう。
というわけで、みなさんのブログの巡回は、今晩は諦めることにしました。ごめんなさい。
ところで、9月23日の祝日、ブログ「山手の木々」の 山手の木々 さんがトロンボーン奏者として参加されているMETT管弦楽団の第36回定期演奏会を聴きにいきました。ななごうさん と一緒でした。
ディックの本棚に感想を掲載しました。下記のリンクをクリックするとジャンプいたします。
クリックした下さい → METT管弦楽団 第36回定期演奏会 の感想記事

京成バラ園が作出した日本産のハイブリッド・ティーローズです。
前回庭で撮影したときは、「月光」というよりは、まるで「サンシャイン」と名付けたほうが似合っている感じの輝かしい花でした。
台風に備えて、かみさんが鉢を部屋の中に入れたところ、室内で開花しました。

たまたま、父の居間だった部屋の塗り壁の前で、背景と花の組み合わせがとてもよいように感じ、室内でもISO感度を上げずに、三脚を使用して低速撮影で撮影しました。
なお、壁の汚れを取るレタッチを施してあります。
本日の日経新聞の朝刊に、元禄時代に行われた貨幣改鋳について書かれていました。
勘定吟味役(のち勘定奉行)荻原重秀(おぎわらしげひで)の献策による景気浮揚策で、これをアベノミクスと比較しています。
ブログ「退職教師の日本史授業」の YUMI さんの記事「金銀の含有量が少ない!」ほかを思い出しました。
江戸時代、明治時代にもいろいろと洗礼はあるようです。
これまでのところアベノミクスの景気浮揚策は成功しているかのように見えますが、このままうまく走り続けられるかどうかはわかりません。失速すればじつに怖ろしいことになります。
一方、YUMI さんの記事によると、萩原重秀の後に新井白石や間部詮房が正反対のことをやろうとした「正徳の治」はデフレを招き、不況になってたいへんだったそうです。
とても困難な時代に突入しようとしていることは確かです。
【大倉山記念館】

記録記事としてはかなり遅れているが、7月20日の「第83回San Poの会」の記録記事である。
第84回は8月24日だったが、ぼくは体調不良のため参加しなかった。
さて、この日は大倉山を散策し、大倉山記念館を見学して、港北ニュータウンに移動、横浜歴史博物館を見学するというコースだった。

横浜市の大倉山というと梅林で有名だ。
以前は東急東横線の綱島近辺に住んでいて、大倉山の隣り駅だというのに、ぼくは大倉山の梅林へは一度しか行かなかった。
綱島に住んでいた頃は、梅の花にはさっぱり興味がなく、現在は裏庭と言ってもよい距離に根岸森林公園の梅林があるから、大倉山へはなかなか足が向かない。
近くに住んでいたのに、いまも同じ市内なのに、大倉山記念館も一度外から眺めただけで、建物の由来すら知らなかった。

地域交流の拠点のようにして使われているようだが、ここを所管している「公益財団法人 大倉精神文化研究所」とはどういう団体なのか調べてみた。
明治46年生まれ、昭和46年になくなられた大倉邦彦さんという方がいらしたそうだ。洋紙店を経営した方の婿養子になって大正九年に社長に就任。わが国の教育界・思想界の乱れを憂い、いくつかの学校などを創立したほか、昭和7年に大倉精神文化研究所を開設した。第十代の東洋大学学長だったという。
東洋大学の前身は哲学館であり、哲学館の創立者は井上円了さんだ。
以前 San Poの会でも立ち寄った哲学堂公園は井上円了氏を記念したものだった。そうすると、大倉精神文化研究所は、仏教哲学の研究が中心なのだろうか。同研究所のホームページをちょっと覗いた程度ではよくはわからない。

地域住民はそういうこととは関係なしに、大倉山記念館のホールなどをコンサートなどに、その他のスペースを集会室や展示会などに利用しているようだ。
記念館の建物は古代ギリシャの様式を採り入れたようで、堂々として美しい。
【大塚・歳勝土(さいかちど)遺跡】

大倉山公園で昼食後、新羽駅まで歩き、横浜市営地下鉄に乗ってセンター北駅へ移動した。
たなみに、駅の名前の語源については、あまりまじめな考えない方がよいらしい。
駅前の横浜歴史博物館を見学した。
ボランティアの方に案内をお願いして、館外にある大塚・歳勝土(さいかちど)遺跡を案内していただいた。

大塚遺跡は弥生時代中期の環濠集落の遺跡だ。歳勝土遺跡では、大塚遺跡の環濠とその周囲に広がる土塁に近接した一帯から方形周溝墓群が発見され、大塚遺跡に住んだ人びとの墓地であった、ということらしい。

上は、集落を囲んでいた環濠を復元したもの。
横浜としてはかなりの内陸部で、しかも高台なのに環濠集落とはどういうことか、などの疑問点は、歴史博物館の展示によって解決できた。
いわゆる海岸線は、この時代以降大きく変化している、ということを考慮しておかねばならないようだ。

自分だけ竪穴式住居内へ残って撮影している。

上はネズミを入れないための工夫らしい。
【都筑民家園】

都筑民家園の旧長沢家住宅は近郷(旧都筑郡牛窪村)にあった江戸時代(18世紀後半)の民家を移築したもの。地域の人々のボランティアに支えられて活用保存されている、とのことだった。

暑い時季であり、早めに「湯けむりの庄」という日帰り温泉に立ち寄ることになっていた。
二時間たっぷり入浴を楽しみ、歩いて十分ぐらいのサイゼリアで懇親会とした。
なお、ウォーキングが主目的なので、今回の写真は Olympus のコンパクト・デジカメにて撮影した。
きょうは久しぶりの人間ドックだった。
バリウム検査の後、どうも下剤が効きすぎたようで、午後は腹痛で半分つぶれてしまった。
浴室の補修も、家の仕様が現代に合わず、いろいろと難しいようだ。
とりあえず健康に問題はないが、うまく運ばないことも多い。