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琵琶湖疎水(その2)

2013.06.24(15:00)

舟溜まりから台車に乗った舟121009

 前回は京都市の蹴上(けあげ)のインクライン(傾斜鉄道)を紹介し、舟を引き上げる台車の写真で幕を引きました。
 ちなみにこの「蹴上」という地名の由来ですが、二説あるようです。

 もっとも一般的に言われているのは、源義経が奥州へ向かう途中にこの地で平家武者の一行とすれ違い、そのとき、武者の乗っていた馬が泥水を蹴り上げて義経の衣服を汚したので、腹を立てた義経はその武者と従者計十人を斬り殺してしまった、という事件があった。そこが「蹴上」だというものです。

 上の写真、前回記事の最後の写真を、舟溜まり側から撮影しています。舟のかたちがはっきりと見えています。


舟溜まりの水門等施設121009

 この付近、京都市上下水道局の浄水場など施設がたくさんありまして、水門だの、導水管だの、古くて由緒ありそうな建物の写真とか、何枚か撮りましたがどれが何なのかよくわかりません。


いずこかへ繋がる導水管121009

 10月8日(月)が体育の日だったため翌9日は「琵琶湖疎水記念館」が休みということで、見学できなかったのが響きました。
 次回また京都へ出かけたときは、この「琵琶湖疎水記念館」と、会津藩が本陣を置いていた「金戒光明寺」の見学は第一優先だ、と考えております。


水路閣1121009

 さて、何枚か写真をご覧いただいたので、いきなり「南禅寺」へとジャンプいたします。
 蹴上と南禅寺とは隣り合っているのですが、歩いていくと、金地院崇伝の金地院とか南禅寺派の寺院が並んでいて脱線してしまうので、なかなか目標の「水路閣」まで辿り着きません。琵琶湖疎水の流れをもう一度目にするのは、南禅寺の一番東の奥まで行ってようやくなのでした。

 上の写真以降、「水路閣」の写真が続きます。


水路閣2121009

 「りんどうのつぶやき」の mico さんが何回も紹介されてまして、ぼくはずっと前から自分の目で見たいと思っていましたが、ようやく昨年10月9日になって実現しました。
 前回の記事では琵琶湖からの第1疎水を紹介しましたが、第1疎水はインクラインの南禅寺舟溜まりまで。そこから先は鴨東運河が引き継ぎます。
 一方そこから北へ枝分かれした疎水の分線が流れています。その基点の辺りに、この水道橋があるのです。「水路閣」と名付けられています。インクラインからここまでの距離は約500m だそうです。


水路閣3121009


水路閣4121009


水路閣の真下121009

 上の写真は水路閣の真下で撮影しています。


水路閣横から見下ろす121009

 水路閣を上から見てみようと坂を登っています。


水路閣の上の水路121009

 水路閣の水路は、閉ざされた柵の向こう側。上へ出て行くと危険なので、柵で閉じられています。


水路閣の水路の行き先121009

 では、水路が流れていく先はどうかというと、このようにトンネル内へ消えていきます。
 その先はというと、ずっと北へ歩いて行くと、どこからかまた通常の水路に戻っていまして、その水路に沿って散歩道があります。


哲学の道121009

 上の写真は南禅寺から北上していく「哲学の道」です。
 西田幾太郎さんが思索に耽りつつ歩いた道なのでそう呼ばれるようになったとのこと。
 上の写真の右側に水路が流れています。それが南禅寺の水路閣から流れてきた「疎水分線」です。


哲学の道脇の疎水分線1121009

 名前に惹かれてこの「哲学の道」を銀閣寺まで歩き通しましたが、適当にしておいて金戒光明寺のほうへ下りるべきだったか…、などと、いま思えばそんな気もするのです。


哲学の道脇の疎水分線2121009

 さて、ふつう京都の川は北から南へ流れるのですが、疎水分線は小高いところを南から北へと流れています。
 どこまでも歩き続けるわけにはいかないので、銀閣寺で疎水分線を辿るのを止めましたが、鴨川の合流するところを越えた辺りで分線は西へ向かい、最後は堀川へつながっていた、ということのようです。

 二日間にわたり「琵琶湖疎水」の記事を読んでいただいて、ありがとうございました。

2013年06月24日

  1. 琵琶湖疎水(その2)(06/24)