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方広寺・豊国神社から耳塚へ/京都旅行記

2013.02.27(18:00)

方広寺釣り鐘拡大121010

 昨年10月10日、午前中に清水寺、河井寛次郎記念館などを見てまわったぼくは、そのまま歩いて「方広寺」へ向かった。
 あの有名な釣り鐘の文字を、自分の目で見てみたい、と思っていた。


方広寺釣り鐘全体像121010

 「方広寺」というのは、そもそもは秀吉が発願した大仏造立のための寺院だった。開山は大徳寺の古渓宗陳を招聘した。 
 地震で倒れた方広寺の大仏殿を豊臣秀頼が再建することとなり、その鐘楼の梵鐘に銘が入れられたとき、家康はその文言に重大な言いがかりをつけた、というのが「方広寺鐘銘事件」として知られている。
 「国家安康」という句は家康の名をふたつに切ったものであり、「君臣豊楽、子孫殷昌」は豊臣を君として子孫の殷昌(繁栄)を楽しむ、と解釈されるので、徳川を呪詛して豊臣の繁栄を願うものだ、としたのだ。


方広寺鐘楼121010

 大仏殿はほぼ完成し、1614年4月には梵鐘が完成したが、7月下旬、「梵鐘の銘文の内容に問題がある」などとして開眼供養と大仏殿上棟・供養の延期が命じられた、という。


方広寺鐘楼部分121010

 鐘楼はふだんは内部へ観光客を入れていないようだが、「どうぞ、かまいません」と気軽にぼくを入れてくれた。
 細かい文字がたくさんある中で、よくぞこの2カ所に文句を付けたものだ、と感心する。
 はたして家康や崇伝の謀略であったかどうかはわからないが、少なくともこちらの梵鐘を守っておられるご婦人や、あるいは大徳寺の各塔頭でお話しした方々など、「京都の人たちはおおよそ秀吉びいきで家康嫌い」という印象をぼくは抱いた。
 こうした人気・不人気が「物語」を作り、やがてそれが事実であるかのように一般にも信じ込まれる。歴史とはそのようなものと、歴史学者ではないぼくはそんな印象を抱いている。


豊国神社正面121010

 豊国神社は、もともとの方広寺の敷地内にあるということで、現在も方広寺の釣り鐘を見たその足で隣の豊国神社を見てまわることができる。
 後陽成天皇から豊国大明神の神号を賜ったとのことで、豊臣秀吉が祀られている。


豊国神社正面2121210


豊国神社の千生り瓢箪121010

 上と下の写真のように、千成瓢箪や太閤出世ぞうりの飾り物がいかにも豊国神社らしくてよい。


太閤出世ぞうり121010


耳塚130210

 豊国神社から歩いて数分のところに、この供養塔(五輪塔)がある。
 耳塚として知られている。豊臣秀吉の朝鮮出兵のうち、慶長の役で戦功の証として討ち取った朝鮮・明国人の耳や鼻を削いで持ち帰ったものを葬った塚だそうだ。
 当初は「鼻塚」と呼ばれていたらしい。しかし林羅山が鼻そぎでは野蛮だからと著書の中で「耳塚」と書いて以降、耳塚という呼称が広まった、とされている。二万人分の耳と鼻が埋められているそうだ。
 戦功の証というが、ぼくには戦争のむごさの証のように目に映る。


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 ところで、ぼくは先月 Amazon の Kindle PaperWhite という読書用タブレットを買いました。
 すでに「吾輩は猫である」、「風の又三郎」、「高野聖」(泉鏡花)、「武蔵野」(国木田独歩)、「生まれ出づる悩み」(有島武郎)、「人間失格」(太宰治)、「五重塔」(幸田露伴)などを Kindle で読みました。
 古い作家の本は無料でダウンロードさせてくれて、字の大きさを自分が読みやすい大きさに調整でき、古くさい漢字熟語などはその場で辞書を検索できます。明治時代の作家の小説などを読むのに楽であり、期待が外れても無料だから損をした気分にならないで済むのです。(現在の著作権法では、作家の死後50年で著作権が切れるので、1963年1月以前に亡くなった作家であればタダで読めることになります)
 価格はWi-fi 接続のみの安価なほうが 7980円です。
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2013年02月27日

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