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源氏山公園から長谷の大仏、長谷寺、光則寺へ 〜 第75回San Poの会「鎌倉ハイキング」

2013.02.19(18:00)

【源氏山公園】

源氏山公園中心部源頼朝像130209

 2月9日 第75回 San Poの会「鎌倉ハイキング」記録記事の第2回です。
 化粧坂(けわいざか)切り通しを下に見ながら尾根道を進んでいくと、源氏山公園の中心部分に着きます。どこからどこまでを源氏山公園というのかはっきりしませんが、源頼朝像のある辺りが公園の中心部分、ということのようです。
 ぼくが単独で源氏山公園へ来るときは、寿福寺の裏山を登ってツバキを楽しみ、化粧坂切り通しを下りて海蔵寺へ向かうので、前記事の葛原岡神社付近は初めてでした。
 大きなトンビが昼食を狙って上空から滑空してきます。頼朝像付近では家族連れの方たちがトンビの襲撃を受けていました。
 私たちは少し離れた大きな木の枝が上を覆っているベンチのある場所で昼食としました。
 周りでは寒椿の赤い花が咲いています。本来の椿にはまだ少し早いようでした。今年はかなり開花が遅れています。2月下旬以降が見頃でしょう。


【長谷・高徳院の大仏】

長谷・高徳院の大仏130209

 昼食後ふたたび頼朝像のある広場、化粧坂切り通しの下り口付近を通り、少し戻ります。大仏ハイキングコースへの道が左手へ分岐しており、そちらへ入っていきます。このコースは適度にアップダウンがあり、手軽なハイキングコースとして人気があるようです。
 大仏の裏側にある山の尾根をぐるっとまわるようにして、最後は鎌倉駅と大仏を結ぶ自動車道のトンネルの出口辺りへ出ました。
 
 俗に鎌倉の大仏と言われるこの像は、神奈川県鎌倉市長谷(はせ)にある浄土宗の寺院「高徳寺」の本尊で「長谷の大仏」とも言われています。阿弥陀如来像(国宝)です。大仏殿については、従来、室町時代に地震と津波で倒壊したとされてきました。この地震または津波の発生した年については諸説があるようです。


長谷・高徳院大仏アップ130209


【長谷寺】(はせでら)

長谷寺のお堂130209

 大仏の次は、長谷寺にて長谷観音にお参りしました。
 本尊の十一面観音像は、大和の長谷寺の十一面観音像と同木から造られたといわれているそうです。楠の大木から二体の十一面観音像が造られ、その一体を本尊としたのが大和の長谷寺であり、もう一体を祈請の上で海に流したところ、その十五年後に相模国に流れ着いたのだとか…。
 堂内は撮影禁止ですので、観音像の写真はありません。
 上の写真のように、境内はきれいに整備され、居心地のよいお寺です。

長谷寺の緑萼梅130209

 長谷寺は六月になるとアジサイ見物で大勢の観光客が殺到しますが、この季節、マンサクやウメなどもたいへんきれいです。
 上は境内の緑萼梅。下はマンサクの花。


長谷寺のマンサク130209


【光則寺】(こうそくじ)

光則寺130112再調整

 長谷寺のすぐ北側にある「光則寺」も訪ねました。
 光則寺は宿屋光則という鎌倉幕府の御家人の屋敷跡で、宿屋光則の名がそのまま寺の名前となっています。
 上の本堂の写真と、下の本堂を横から撮影した写真のみ、1月12日に撮影した写真を流用しました。


光則寺のカンツバキ130112

 紅い花はカンツバキです。


光則寺の土牢130209

 日蓮(にちれん)が佐渡へ流された時、高弟の日朗(にちろう)が幕府に捕らえられて、宿屋光則(やどやみつのり)の邸内の土牢に監禁されました。しかし日郎上人の態度がたいへん立派であったことから、光則は感化されて日蓮宗に心を寄せる様になり、後に邸を寺として、日朗を開山と仰ぎ光則寺を創建した、と伝えられています。
 写真は日朗商人がとらえられていた土牢です。


光則寺のソシンロウバイ130209

 境内のソシンロウバイ。
 ぼくが1月12日に訪れたときはまだ開花したばかりでしたが、満開になっていました。


光則寺の侘助130209

 侘助(わびすけ、椿の品種)も相変わらずきれいでした。

 長くなりますので、今回はここまで。次回でSan Poの会「鎌倉ハイキング」の記事は終了予定です。

2013年02月19日

  1. 源氏山公園から長谷の大仏、長谷寺、光則寺へ 〜 第75回San Poの会「鎌倉ハイキング」(02/19)