【大徳寺・瑞峯院】

京都旅行記のうちの大徳寺、今回の塔頭は「瑞峯院」だ。
「瑞峯院」は大友宗麟が創建した寺である。
上は門内へ入ってから振り返って撮影したもの。

門内のススキ。

瑞峯院の玄関。
【瑞峯院・独坐庭】

「瑞峯院」の見どころは「独坐庭」と称する方丈前の枯山水の庭園である。
枯山水の庭園の白砂はふつうは海をあらわしているが、この独坐庭の海は荒波でうねっているようにみえる。見るからに雄壮な景色なのがよい。打ち寄せる荒波にもまれながら悠々と独り坐す蓬萊山の崇高な姿を表している、のだそうだ。


上の写真は、その一枚上の写真の向こう側から撮影している。
【瑞峯院・閑眠庭】

方丈裏の庭は「閑眠庭」という。七個の石が十字架を象っているという。大友宗麟がキリシタン大名だったことから、そのように作られたらしい。
下の写真は逆側から撮影したものだが、十字架の形というのはこれかな、と察せられる。
石は七つある。

「瑞峯院」の庭園は大友宗麟の創建といっても、当時のものではなく、以前にも紹介した重森三玲(しげもりみれい)氏が造ったものである。
方丈の襖絵や茶室も拝観したように記憶しているが、建物内部は写真を撮ることができないので、記憶が混乱して、どうなっていたかなどはもうわからなくなってしまっている。
【大徳寺・黄梅院】

今回は塔頭をもうひとつ「黄梅院」(おうばいいん)も紹介してしまおう。

「黄梅院」は織田信長が入洛した際に秀吉に命じて父・信秀を弔うために建立した小庵を、後に「黄梅院」と改称したものだ。織田家菩提寺としてすでに「総見院」を紹介しているが、のちに「黄梅院」となる小庵が「亡き主君の墓所としては小さい」として、秀吉が「総見院」を建立した、と「黄梅院」のパンフレットには書かれている。
「黄梅院」の名は小早川隆景の法名をとったもので、本堂を造営したのが隆景だったため、隆景の死後に改称されたものだ。

「黄梅院」では、庫裡前庭以外は撮影禁止となっていて、写真が少ししかないので、瑞峯院の記事に併せて紹介することとした。自分の記憶ではたいへん美しい庭だったと記憶している。
ご覧のように庫裏の前庭もかなり美しく作られている。

大徳寺の紹介は今回で終了し、次回は豊臣秀吉と北の政所に関係する寺社・史跡を巡った記録記事とする予定でいますが、梅の満開が間近でいよいよ春めいてきていますので、どうしても季節の便りを優先せざるを得ないかも知れません。