
2月9日 第75回 San Poの会「鎌倉ハイキング」記録記事の最終回です。
光則寺を出た後は鎌倉の街中ウォーキングとなりました。
まずは甘縄神明神社です。甘縄神明神社は、710年に建立され、鎌倉最古の神社といわれているそうです。祭神は天照大神ほか。源頼義、義家など源氏の信仰が厚かったようです。


甘縄神明神社境内の白いツバキ。

鎌倉の住宅街の道を通り、次は鎌倉文学館へと向かいます。
写真は「鎌倉市長谷子ども会館」です。明治41年に建てられた洋館が鎌倉市に寄贈され、現在も使われています。

鎌倉文学館は鎌倉ゆかりの文学者たちの直筆原稿や手紙、愛用品などを収集保存し、展示しています。ここの建物は旧侯爵 前田利継(第15代当主)家の別邸だったもの。季節になりますと、庭園のバラ園が賑わいます。
この日、庭園では観光用の人力車の脇できれいな着物を着た女性を男性が盛んに写真を撮っていました。
人力車の車夫の方にプロのモデルさんの撮影ですか、とSan Poの会メンバーのTさんが尋ねてみたところ、旦那さんが人力車を借り切りにして観光スポットで奥さんの写真を趣味で撮っているとのことでした。

鎌倉文学館では「ミステリー作家・翻訳家」という企画展を開催中でした。テレビドラマ放映中(主演:剛力彩芽さん)の『ビブリア古書堂の事件手帖』の原画展もやっていました。
鎌倉文学館を出たあとは、女人平家などを書いた吉屋信子記念館の前を通り、刑場の跡地と言われている六地蔵を経由して鎌倉駅へ向かいました。
途中にあった御成小学校の建物や校門にはびっくりさせられました。調べてみると、昭和6年に廃止された鎌倉御用邸の払い下げを受けたもののようです。写真は撮ってありませんが、Wikipedia に写真があります。

小学校は撮り損ねたので、別の建物を紹介します。
上の写真の建物は、昭和11年、鎌倉彫の彫師佐藤宗岳氏の店舗併用住宅として建てられたもの。店舗部分は近代洋風建築なのに、全体としては寺院建築と城郭建築が合体したような建物となっています。鎌倉彫寸松堂のこのお店の建物はかなり知られているようです。
鎌倉駅からは横須賀線に乗り2駅先の大船駅で降りて「常楽湯」へ行き、汗を流して後、懇親会は大船駅近くのサイゼリヤとなりました。
【玄関前のジョウビタキ】(付録)

わが家の玄関前、かみさんが見つけて教えてくれたジョウビタキ(♂)。

初めて撮りました。嬉しいです。
【源氏山公園】

2月9日 第75回 San Poの会「鎌倉ハイキング」記録記事の第2回です。
化粧坂(けわいざか)切り通しを下に見ながら尾根道を進んでいくと、源氏山公園の中心部分に着きます。どこからどこまでを源氏山公園というのかはっきりしませんが、源頼朝像のある辺りが公園の中心部分、ということのようです。
ぼくが単独で源氏山公園へ来るときは、寿福寺の裏山を登ってツバキを楽しみ、化粧坂切り通しを下りて海蔵寺へ向かうので、前記事の葛原岡神社付近は初めてでした。
大きなトンビが昼食を狙って上空から滑空してきます。頼朝像付近では家族連れの方たちがトンビの襲撃を受けていました。
私たちは少し離れた大きな木の枝が上を覆っているベンチのある場所で昼食としました。
周りでは寒椿の赤い花が咲いています。本来の椿にはまだ少し早いようでした。今年はかなり開花が遅れています。2月下旬以降が見頃でしょう。
【長谷・高徳院の大仏】

昼食後ふたたび頼朝像のある広場、化粧坂切り通しの下り口付近を通り、少し戻ります。大仏ハイキングコースへの道が左手へ分岐しており、そちらへ入っていきます。このコースは適度にアップダウンがあり、手軽なハイキングコースとして人気があるようです。
大仏の裏側にある山の尾根をぐるっとまわるようにして、最後は鎌倉駅と大仏を結ぶ自動車道のトンネルの出口辺りへ出ました。
俗に鎌倉の大仏と言われるこの像は、神奈川県鎌倉市長谷(はせ)にある浄土宗の寺院「高徳寺」の本尊で「長谷の大仏」とも言われています。阿弥陀如来像(国宝)です。大仏殿については、従来、室町時代に地震と津波で倒壊したとされてきました。この地震または津波の発生した年については諸説があるようです。

【長谷寺】(はせでら)

大仏の次は、長谷寺にて長谷観音にお参りしました。
本尊の十一面観音像は、大和の長谷寺の十一面観音像と同木から造られたといわれているそうです。楠の大木から二体の十一面観音像が造られ、その一体を本尊としたのが大和の長谷寺であり、もう一体を祈請の上で海に流したところ、その十五年後に相模国に流れ着いたのだとか…。
堂内は撮影禁止ですので、観音像の写真はありません。
上の写真のように、境内はきれいに整備され、居心地のよいお寺です。

長谷寺は六月になるとアジサイ見物で大勢の観光客が殺到しますが、この季節、マンサクやウメなどもたいへんきれいです。
上は境内の緑萼梅。下はマンサクの花。

【光則寺】(こうそくじ)

長谷寺のすぐ北側にある「光則寺」も訪ねました。
光則寺は宿屋光則という鎌倉幕府の御家人の屋敷跡で、宿屋光則の名がそのまま寺の名前となっています。
上の本堂の写真と、下の本堂を横から撮影した写真のみ、1月12日に撮影した写真を流用しました。

紅い花はカンツバキです。

日蓮(にちれん)が佐渡へ流された時、高弟の日朗(にちろう)が幕府に捕らえられて、宿屋光則(やどやみつのり)の邸内の土牢に監禁されました。しかし日郎上人の態度がたいへん立派であったことから、光則は感化されて日蓮宗に心を寄せる様になり、後に邸を寺として、日朗を開山と仰ぎ光則寺を創建した、と伝えられています。
写真は日朗商人がとらえられていた土牢です。

境内のソシンロウバイ。
ぼくが1月12日に訪れたときはまだ開花したばかりでしたが、満開になっていました。

侘助(わびすけ、椿の品種)も相変わらずきれいでした。
長くなりますので、今回はここまで。次回でSan Poの会「鎌倉ハイキング」の記事は終了予定です。
【文殊】

「文殊」はネットで調べてみても、埼玉県の「花と緑の振興センター」か、私が紹介している根岸森林公園の「文殊」ぐらいしかヒットしません。
めずらしい品種なのでしょうか。しかし、ぼくはこの「文殊」が大好きで、毎年この花の開花を待ち望んでいるのです。
【古今集】

「古今集」は野梅系、野梅性の一重咲き。満開になっても花弁がぴんとして伸びていて、姿がきれいです。
【見驚】(けんきょう)

「見驚」は淡紅から移り白(蕾のうちはピンクで開花すると白色)、野梅系野梅性の八重咲きです。見た目がかなり派手な感じです。ぼくは濃いめの化粧をした性格の強い女性を連想します。
【蓮久】(れんきゅう)

「蓮久」は裏紅(花弁の裏が紅で、表が淡色)、花弁が波打つ傾向があり、「見驚」と似た感じがします。
【大輪緑萼】(たいりんりょくがく)

「大輪緑萼」は野梅系青軸性の八重咲き。この品種も花が比較的平たい感じに見えます。
つぼみも枝も緑色。この木は梅林の中で異彩を放っています。
【鹿児島紅】(かごしまこう)

「鹿児島紅」は緋梅系紅緋梅性の八重咲き。花弁に波がないので平たく見えます。
色が強烈な紅色です。シベまで紅色です。
【玉牡丹】

「玉牡丹」は野梅系の八重咲き。この花も比較的平たく見える品種です。
一昨年の梅林改造のときに植えられた品種で、当ブログでの紹介はこれが初めてです。
【朱鷺の舞】

「朱鷺の舞」は野梅系の八重咲き、淡い紅色です。青梅市の原産種だそうです。
【田子の浦】

「田子の浦」は一重咲き。ほかの大輪種と比較すると、花がやや小振りな感じです。
【塒出の鷹】(とやでのたか)

「塒出の鷹」は淡紅色。野梅系の一重咲きです。「塒」というのは「鳥小屋」だそうですから、鷹狩りの鷹が小屋から出てくるというイメージでしょうか。
【錦光】

「錦光」(キンコウ)は緋梅系紅梅性の八重咲き。雄しべが比較的短く平たく見えるといいますが、言われてみればそんな気もします。一昨年の梅林改造のときに植えられた品種で、当ブログでの紹介はこれが初めてです。
【日月】(じつげつ)

「日月」の札が掛かっていますが、根岸森林公園の名札はいい加減なので間違っている可能性が大です。
「日月」は野梅系、野梅性の一重咲き。紅梅と白梅を咲き分ける品種ですが、ここでは淡紅色の花しか見たことがありません。それでもここに写真を掲載するのは、たとえ名前が不明の梅であっても、この梅はとてもきれいだ、と感じるからです。
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以上こうして並べてみて気がついたことは「花弁がどの程度波打っているか」というのは、八重咲きの梅の花の観賞では重要なポイントになるように思います。
先日「八重寒紅」を「お転婆な感じの梅」と評しましたが、八重咲きで濃いピンク色である上に、花弁が荒く波打っているので、そんな感じに見えてくるのだ、と思います。
「鹿児島紅」は強烈な紅色ですが、花弁が波打たず平たい感じに咲くので、色が濃い割には案外と落ち着きが感じられます。
「文殊」や「大輪緑萼」をぼくは好んでいるのですが、どちらも花弁は波打つことがなく、平たい大輪で、それが落ち着いた品のよさを醸しだしているようです。

鎌倉・明月院の門前です。
この花架けの様子から、明月院がとくに四季の花々に気を遣っている寺であることが伝わってきます。
【ソシンロウバイ】

ソシンロウバイが満開でした。
今回は花の様子を満喫していただくこととして、明月院がどんな寺院であるかとか、そういうことは省略させていただきます。





【ロウバイ】





「水心鏡」は先に紹介した「八重野梅」とよく似た野梅性の八重咲き、白さの目立つ品種です。
ぼくの感覚では、「八重野梅」よりもやや落ち着いた品のよさのようなものを感じます。
根岸森林公園の梅林の中では、「一歳」「冬至」に続いて「八重野梅」「八重寒紅」が咲きますが、追いかけるようにして「水心鏡」が開花しますから、かなり早咲き種のように思います。

この撮影は2月11日ですが、ご覧のように開花が進んでいます。
いままではこの「水心鏡」だけをとり上げてじっくりと紹介したことはないのですが、たいへん美しい梅なので、今年はよい写真をとってあげよう、ととくに気を遣って撮りました。




昨晩は横浜バロック室内合奏団の定期演奏会で帰宅が遅くなり、みなさんのところへうかがえませんでした。
第65回演奏会の様子は、下記をクリックしていただきたいと存じます。
→ 横浜バロック室内合奏団第65回定期演奏会「モーツァルトとその時代」

2月9日 第75回 San Poの会「鎌倉ハイキング」に参加しました。
コースは 浄智寺〜葛原岡神社〜源氏山公園〜大仏ハイキングコース〜長谷・高徳院大仏〜長谷寺〜鎌倉文学館〜鎌倉駅で、距離はあまりありませんが、そこそこのアップダウンがありました。
11時北鎌倉駅集合で、まずは浄智寺を訪ねました。

浄智寺は臨済宗円覚寺派り寺院で鎌倉五山の第4位の寺です。鎌倉五山とは鎌倉幕府が制定した禅宗の寺格をいい、第1位建長寺、2位円覚寺、3位が寿福寺(先日紹介しました)です。
江戸時代になって鎌倉がさびれるとともにもこの寺も勢いを失ったようですが、いまでも背後の山は浄智寺の寺域だとのこと。境内はかなり広いようです。

これはかなり風変わりな三門です。一見して中国風です。

上層が鐘楼を兼ねている珍しい形式のものでした。
花頭窓も目立ちます。

鎌倉七福神の一つである布袋像。

飲料水確保のために掘られた水窟などはいかにも鎌倉らしい感じがします。


本尊の三世仏(阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来)を安置する曇華殿(仏殿)です。

境内のソシンロウバイの花がきれいでした。
(ぼくは2月13日にも北鎌倉を訪れ、明月院の境内を見てきましたが、ロウバイ、ソシンロウバイの本数が圧倒的に多く、どれも満開で、驚かされました。その様子は後日に別記事にいたします)

浄智寺の横の道から登りとなります。
ところどころ急な山道です。

葛原岡神社へ着きました。
ここに祀られている祭神は日野俊基。彼は建武の中興の前1331年に発覚した二度めの討幕計画である元弘の乱で捕らえられ、ここ葛原岡で処刑されました。
明治維新後に俊基は倒幕の功労者として評価されるようになり、葛原岡神社が創建されました。

辞世の句がすごいです。「秋を待たで葛原岡に消える身の露のうらみや世に残るらん」
このあと尾根伝いに源氏山公園を歩いて昼食をとりますが、源氏山公園以降は次回の記事といたします。

ヒヨドリの隙を狙って、来てくれました。
今晩はちょっと記事が間に合わず、メジロでご勘弁を。


