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箱根・精進池周辺の古石仏群をめぐる

2012.11.19(18:20)

【精進池と駒ヶ岳】

精進池と駒ヶ岳121110

 第70回 San Po の会 は11月10日小田原駅10時集合にて開催されました。
 メンバーのみなさんが余裕を持って集まったので、10時発の伊豆箱根バスに乗車し、正月の大学駅伝のコースを「六道地蔵」へと向かいました。
 箱根には箱根登山バス(小田急系)と伊豆箱根バス(西武鉄道系)の2系列があり、ほとんど同じ路線を競合して走っています。伊豆箱根バスを利用したのは女性係員からの勧誘があったからでしたが、小田急系のクーポンを持っている方は乗車してこないので、ゆったりと景色を楽しみつつ箱根を登っていくことができました。
 「六道地蔵」着は11時30分頃でした。
 精進池と駒ヶ岳の景色を楽しみつつ、箱根町が経営している「石仏群と歴史館」を訪れ、それからハイキングの開始です。
 石仏群の写真がたくさんあるので、精進池と駒ヶ岳の景色は今回は一枚だけ。今回は「石仏群編」とし、次回を「ハイキング編」として、二回に分けます。ハイキングの様子は次回に。


【六道地蔵】

六道地蔵を見に行く121110

 歴史館を後にして先ずはバス停名にもなっている「六道地蔵」の見学です。
 お釈迦様が亡くなってから弥勒菩薩がこの世に現れるまでの仏のいない時代に、人々は地獄・飢餓・畜生・阿修羅・人・天の六道に輪廻して彷徨い、苦しむ、と言われていました。そんな人々を救ってくれるのが地蔵菩薩です。だから「六道地蔵」といわれるのだと思われます。
 浄土信仰が普及した平安時代以降、浄土に生まれ変わることのできない衆生は必ず地獄へ堕ちる、といわれていました。だからお地蔵様に対しては、地獄における責め苦からの救済を強く願うようになりました。
 そして、ここ箱根は火山の痕跡が強く残るなど、地獄への入り口のような様相を呈しています。そこに地蔵菩薩の石像をもうけて地獄へ落ちないよう道案内していただく、という意味が込められたのではないでしょうか。


六道地蔵アップ121110

 このお地蔵様は石仏群の中で一番大きく、鎌倉時代に彫られたもの。
 覆屋は復元されたものです。

 六道地蔵から応長地蔵、八百比丘尼の墓、多田満仲の墓、二十五菩薩、曽我兄弟と虎御前の墓と遊歩道に
沿って見て行きました。


【応長地蔵】

応長地蔵121110

 応長地蔵というのは、やや小ぶりな岩盤に三体の地蔵が彫られ、応長元年の銘があることから「応長地蔵」と呼ばれているもののようで、由来などは何も伝えられていないようです。


【八百比丘尼(やおびくに)の墓】

八百比丘尼の墓121110

 八百比丘尼(やおびくに)の墓の話題はリーダーのNさんの解説が詳しいので、簡単にまとめます。
 もともとは若狭の国の話が全国へ流布したようで、日本全国に似たような話があるとのこと。
 日本の人魚伝説では、人魚の肉を食べた人は不老不死となると言われています。むかし若狭の国の漁師が浜で拾った人魚の肉を村人へふるまいました。誰もが気味悪がって捨ててしまったのですが、一人だけ家へ持ち帰った村人の娘が、知らずにそれを食べてしまい、十代の若さのままでその後八百年にわたって生き続けた、というのです。だから八百比丘尼と呼ばれます。
 やがて、連れ合いも両親も死んでしまい、ひとり生き続ける彼女は村人たちから化け物扱いされたので、出家して尼さんとなり、諸国を巡って人助けをしたといいます。最後は自ら世を儚んで岩屋へ隠れてしまったそうです。
 この箱根の山中に、八尾比丘尼が隠れ住んだ岩屋でもあったのでしょうか。
 Nさん曰く、「世の中の女性の永遠の若さへのあくなき追求」に対するの戒めといった意味合いもあったのかも知れない、とのこと。天命で決められたときが来るまでは、健康で楽しく過ごしたいというくらいの願望が、結局は一番よいのではないか、というのがNさんの感想でした。


【多田満仲の墓】

多田満仲の墓121110

 上は多田満仲の墓。多田満仲は平安中期の武将で、いろいろな政変にからんで大勢の人を殺したといわれているようです。
 987年、多田の邸宅において郎党16人及び女房30余人と共に出家して、彼は満慶と称したといいます。「殺生放逸の者が菩薩心を起こして出家した」と記した貴族の方がいるそうです。
 その多田満仲の墓がなぜこんなところに…。
 石仏群は埋もれかけていたものを発掘、整備し、言い伝えや碑文で名前が付けられています。箱根町のホームページはいちいち「俗称・○○の墓」と断り書きしているくらいです。どうしてここに多田満仲の墓があるのか、伝承や碑文が正しいのかどうかも、ほんとうのところはわからないようです。


【磨崖仏(俗称二十五菩薩)】

磨崖仏・二十五菩薩121110

 磨崖仏(俗称二十五菩薩)はご覧の通りです。崩れないようにいろいろな保存作業が行われたとの記録が箱根町のホームページにありました。


磨崖仏・二十五菩薩2121110


磨崖仏・二十五菩薩3121110


【石造五輪塔(俗称曽我兄弟・虎御前の墓)】

五輪塔・曽我兄弟・虎御前の墓121110

 写真は裏側から見ているのですが、道路側から見て左側2基が「曽我兄弟の墓」、右の1基が「虎御前の墓」と呼ばれています。
 「五輪塔」というのは、上から空輪、風輪、火輪、水輪、地輪の五輪を重ねた塔という意味のようです。

 以上、ほとんどの石仏が国の重要文化財に指定されているそうです。

 石仏群を見てまわり、湯坂道入口から鷹ノ巣山まで軽い登り道が続くのですが、以降はまた「ハイキング編」として次回の記事といたします。次回はリーダーのNさんの写真も拝借して記事を構成していく予定です。

2012年11月19日

  1. 箱根・精進池周辺の古石仏群をめぐる(11/19)