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浦賀から観音崎へ 〜 第69回San Poの会ウォーキング記録(2)

2012.11.12(16:50)

観音崎28サンチ砲121027

 第69回San Poの会ウォーキング記録のつづきです。
 前回はペリー記念館、浦賀湾の渡し船、叶神社などをめぐってようやく観音崎に辿り着いた、というところまででした。
 観音崎自然博物館を横目で見て、少し先にある海が見える展望台で休憩としました。
 ここには旅順要塞攻略で有名となった28センチ砲の実物大のハリボテが置いてあります。鉄板を張り合せて黒く塗っただけですので近くで見ると失望します。それでも大砲の大きさが実感できます。
 観音崎の砲台は、帝都東京を守るため明治政府が整備した東京湾周辺の軍事防衛施設の一部です。日露戦争の旅順攻囲戦においては、米が浜砲台より6門、箱崎高砲台より8門、他4門の28サンチ榴弾砲が旅順へと送り込まれました。米が浜砲台は横須賀中央付近にいまでもその遺構が残っているようです。


観音崎最初の展望台から弾着観測所121027

 ここからは岩礁上の弾着観測所の戦争遺跡が見えます。


観音崎北第一砲台121027

 園内の道がわかりにくいので、私が道案内をして北門第一砲台跡へ向かいました。
 ご覧のようにここは明暗差が著しく、コンパクトデジカメではほとんど満足な写真が撮れなかったため、以下砲台跡の写真2枚は6月に私がここを訪れたときの写真を使わせてもらいます。

観音崎北第一砲台跡120614修正

 緑の色が生き生きとし過ぎているほかは、何も変わっていません。
 北門第1砲台は左右一対2門の砲座からなり,24センチ口径のカノン砲が2門設置されていたそうです。
 海側の壁にある半円形の窪みは何か、というのは、以前にも一度議論がありました。今回もメンバーから疑問が提示されましたが、この疑問は解決していません。
 砲台跡の遺構については、以前は見られた部分が次々と閉鎖、立ち入り禁止になっていき、何の解説、説明書きもないままに放置されている、というのが現状のようです。


観音崎北第一砲台跡2120614

 写真に見える小さなトンネル通路で、左右の砲台を往き来できるようになっています。


観音崎灯台120614

 なぜかまともな観音崎灯台の写真を撮っていなかったので、灯台の写真も6月の写真を使いました。
 観音崎灯台は上の展望台が狭く、床が前方へ傾斜していて、昨年訪れたときに非常に怖い思いをしましたので、ぼくは遠慮して、上からの写真はリーダーのNさんにカメラを渡して撮影をお願いしました。


灯台からの風景121027

 ご覧のように海に突き出た崎の高さに灯台の高さが加わった、迫力ある写真が撮れています。(Nさん撮影)


観音崎を振り返る121027

 観音崎を後にして、最後の見学先である走水神社へ向かいました。
 海岸で振り返ったときに見える灯台はNさんの写真にも見えていますが、古い観音崎灯台ではなく、海上保安庁・東京湾海上交通センターの敷地内にある現代の灯台です。東京湾海上交通センターは、東京湾における船舶交通の安全性及び効率性を向上させることを任務としています。浦賀水道は貨物船、コンテナ船、タンカーなど、1日に500隻ほどが航行しているといわれ、見ているあいだに次々と船舶が通過していきました。

 途中海岸にある板張りの道であるボードウォークを少し歩き、京急ホテルを過ぎてしばらく行くと走水神社へ着きました。


走水神社の参拝121027

 「古事記」によりますと、日本武尊やまとたけるのみことが東夷征伐のためこの地から出船しましたが、海が荒れて進めなくなりました。海神の怒りのためだと考えた后の弟橘媛命おとたちばなひめのみことが、自らこの沖で入水して、航海の安全を図りました。


走水神社裏山の碑

 神社の裏山には明治の陸海軍の長老達が合同で建立した記念碑がありました。(東郷平八郎、乃木希典等の名前があります。この記念碑の写真も6月の写真です)


走水神社から海を見下ろす121027

 走水神社から浦賀水道方面を見下ろしています。

 ここで最後の休憩とし後は本日の入浴先である湯楽の里(ゆらのさと)へ向かいました。
 館内にある食堂で懇親会としました。懇親会の後は馬堀海岸まで歩き、そこから各自帰路に就きました。
 長いウーキングになりましたが、気候はウォーキングに最適で、みなさん最後まで頑張りました。

2012年11月12日

  1. 浦賀から観音崎へ 〜 第69回San Poの会ウォーキング記録(2)(11/12)