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方丈記

2012.11.09(18:00)

河合神社門121012

 方丈記と下鴨神社とどういう関係かと思われる方があるかも知れない。
 しかしなにしろ姓が鴨だ。鴨長明は下鴨神社の神事を統率する鴨長継の次男として生まれた。下鴨神社には「河合神社」という摂社があって、長明はそこの禰宜(ねぎ)(神官の最高位)の地位に就くはずだった。ところが「あいつはふさわしくない」と横槍が入って果たせずに拗ねたらしい。
 (上の写真は「河合神社」の門)


河合神社境内121012

 歌の道など芸術方面ばかりに熱心で、神職のほうを真剣にやってこなかったことが禍したらしいのだが、禰宜の職に就き損ねて、ますますそういう方面ばかりに熱心になった。
 琵琶の名手なのだが、琵琶の師が亡くなったあとに、演奏することを許されていない曲を演奏したりして、それがバレたりしている。和歌の道もなかなかのもので、後鳥羽院に認められて新古今和歌集の編纂室に寄人として迎えられたりしている。
 (上は河合神社の境内の様子)


「定家と長明」展チケット  スタジオ・ジブリの「定家と長明」という組み合わせは目の付け所がおもしろいが、京都産業大学の小林一彦教授は「長明は定家からあまり好意的に見られていなかった」と書いている。


方丈の草庵2121012

 さて、長明は晩年、日野山(京都市伏見区日野町)に方丈(一丈四方)の庵を結んだことから、自ら書いたものを『方丈記』と名づけた。
 その方丈の庵が河合神社の境内に再現されていた。
 草庵の生活といえばなんだか格好いいように思うが、覗き込んだ印象では、冬のことなど考えると、私はまっぴら御免だ。


方丈の草庵121012

 有名になった『方丈記』だが、平安末期は飢饉など庶民の暮らしが大変だったと私が書いてきたその証拠は『方丈記』の天災・飢饉に関する記録にもあり、すさまじい迫真力ある描写で、読むと当時の人々が気の毒になる。
 安元の大火(1177年)、治承の辻風(竜巻)(1180年)、養和の飢饉(1181年)、元暦の地震(1185年)と、わずか 8年間のあいだに立て続けに続くのだ。
 このような世の中では、社会的な有力者となり、財を蓄えて裕福になったところで、家屋だの物(もの)に執着していれば心配で仕方ないだろう。いっさいの執着を断った草庵の生活こそ理想だ、と長明は格好よく構えて見せる。そのくせ、歌道とか琵琶とか、そちらの方面には激しい執着があった人だ。

 ほんとうに悟っているなら、わざとらしく『方丈記』と題した随筆など発表しなくてもよいのだが、「どうだ、おれはこういう心境に達したのだぞ」と世間の奴らに言ってみたい、見返してやりたい、のだった。
 NHKのEテレで10月に「方丈記」を講義された小林一彦教授(京都産業大学)によると、『方丈記』の人気は、上で書いたように、著者長明が、立派に悟っているようでじつは悟りきれない、等身大の人間として感じられるところにあるのではないか、とのことだ。

 さて、こんなことを書いてしまうと身も蓋もない話になってしまうが、他人の観光旅行の写真なんて、眺めてもたいしておもしろいものではない。
 ところが当方は自分の記録の意味もあってブログを書いているので、当然のことながらギャップが出てくる。
 これを多少なりともおもしろくするには、物見遊山の記録ではなく、いろいろな情報を盛り込むことだと思っている。自分の心の中を探ってみれば、いろいろな背景知識やら、事情やらがあるから、自分も楽しかったのであって、それをさらけ出して記録しなければ、自分の記録も大して意味のないものになってしまうではないか、と思うのだ。


【庭の花々】(付録)(11月7日撮影)

玄関前のヒメツルソバ121107

 ヒメツルソバはいまが最盛期。これは玄関前の様子です。
 11月下旬になると、急に葉が汚くなって傷み始め、霜が下りたら終わりです。ほとんど刈り取ってしまっても、少しでも残っていれば春になると復活します。


庭のツワブキ121107

 北東向き花壇のツワブキ。葉もきれいです。


庭のキク1121107

 以下は、亡父から受け継いだキクの仲間。品種名はわかりません。
 色飛びさせたのかと思われるかも知れませんが、色も形も妙に不揃いなのがこの花の魅力と言えば魅力。
 濃いピンクのほうは、色も繁殖力も安定している感じがします。


庭のキク2121107


庭のキク3121107


庭のキク4121107


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 明日10日はまた、San Poの会があります。ブログはお休みさせていただきます。

2012年11月09日

  1. 方丈記(11/09)