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曼荼羅

2012.10.29(18:00)

東寺五重塔120111

 飢餓、貧困、死と隣り合わせの世界、それが平安時代だと書いてきた。

 平安京ができた頃は、おそらくもう少し世情は安定していたのだろうと思う。
 羅城門(らじょうもん)は、平安京を南北に貫いた朱雀大路の南端に構えられた大門だった。(「羅城」とは都城の城壁のこと)
 羅城門をくぐると右手に東寺があり、左手に西寺があった。つまりは東西の寺が対になった官寺のひとつとして東寺が創建された。しかし、飢饉による困窮など国内は荒れ、平安京も右京が荒廃していき、洛南の羅城門付近の治安は悪化の一途をたどり、羅城門周辺は夜ともなれば誰も近付かぬほど荒れはてた。
 そんな時代、嵯峨天皇の823年に「東寺」は空海に下賜された。新しい仏教である密教への期待があったのだろう。
 飢餓、貧困、死と隣り合わせの世界から、既存の仏教は救ってくれない。西方の唐の国から伝来した新しい仏教は神秘的な力を持っているようだ、との期待があったのだと思う。
 上の写真は五重塔。公開は11月2日から25日のみ。拝観はかなわなかった。


東寺の紅葉121011

 手元に『最澄と比叡山』(池田宗讓監修)という新書がある。
 最澄は天台教学を唐で学び、日本を法華経による大乗仏教の国に変えていこうとしていた、という。最澄はまた、唐で「密教」も伝授されて帰ったのだが、皮肉なことに平安時代の貴族たちに人気を博したのは天台の教えではなく「密教」のほうだった。
 上の写真は紅葉を中心に撮っているが、背後の右側の建物が講堂、左側奥が金堂だ。


東寺金堂121011

 最澄が密教を伝授されて帰日したあと、こんどは空海が唐へ渡り、さらに新しい密教を伝授されて帰って来た。
 最澄と空海のあいだの書簡などが残っていて、過去には一般にも公開(国立博物館平成館の展示)されている。
 最澄は何度も空海へ手紙を送り真言密教の経典を貸してほしいと頼んだが、空海は、「密教の教えはその性質上口伝にて伝授すべきものであり、経典など読んでも役には立たぬ」と断った。(なんとなく意地悪な感じ…)
 真言密教は、最澄が空海に請い願うほどに、平安京の人々の心を捉えていたのだ。
 上の写真は金堂。東寺ではいわゆる本堂に当たる。本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されていて、拝観することができた。


東寺金堂の影から講堂を望む121011

 宇宙の中心に大日如来がいらして、釈迦如来、阿弥陀如来など他の仏たちは大日如来が仮に姿を変えた存在だという。全ての宇宙の実在は大日如来に集約されるのだ。
 それを言葉で言ったのではわからないだろうから、よりわかりやすくするため大日如来を中心に、多くの尊像を一定の秩序のもとに配置し、密教の世界観を象徴的に図に表したものが「曼荼羅」である。
 思うに、不思議な曼荼羅の絵図があり、統一感のある考え方の仏教で、護摩を焚いたり、真言を唱えたり、加持祈祷や調伏が見るからに効き目がありそうに見えたのだろう。
 上の写真は金堂の横から講堂を見ている。


東寺講堂121011

 曼荼羅の頂点ともいうべき「立体曼荼羅」が東寺の講堂(上の写真)にある。絵に描く代わりに諸仏の像を組織的に並べたのだ。
 写真は禁じられているので仕方がないが、内部の諸仏像群の大多数が国宝に指定されている。一時にこれほどたくさんの国宝を目にすることのできる寺院はほかにはないだろう。 


東寺御影堂全景121011

 写真は御影堂だ。真言宗で「御影堂」とか「大師堂」といえば弘法大師空海の像を安置してある塔頭のことをいう。


東寺御影堂121011

 同じく御影堂を横から眺めている。


観智院五大の庭121011

 なお、この日、秋期特別公開として食堂(じきどう)、観智院(真言宗の勧学院)、宝物館が公開されていた。
 食堂は大したことはないが、観智院客殿(国宝)前には「五大の庭」が広がり、書院では浜田泰介さんが各部屋ごとに「春の朝」「初夏の芽」「秋の音」「新雪」をテーマにした襖絵、床の間の壁などを描かれていて楽しむことができる。宮本武蔵筆の荒鷲の図というのもあるが、かなり傷んでいて、「鋭い筆致」と言われてもぼくにはいまひとつよくわからなかった。
 建物内部の写真は撮ることはできない。宝物館では弘法大師行状絵巻(重要文化財)を楽しむことができた。
 上の写真は「五大の庭」だが、ぼくはあまり感心していないのであれこれ書くつもりがない。
 むしろ下の写真の中庭のほうがよほど風情があると感じた。 


観智院中庭121011

 さて、期待された密教の世界だったはずだが、『源氏物語』などを読むと、物の怪退散などの加持祈祷に呼ばれるのが密教の僧侶たちであり、平安貴族たちの心の支えとなっていたのはむしろ「浄土信仰」だったようだ。
 平安末期、法然によって興された浄土宗は、圧倒的な力を持って広がっていった。
 現代においても、浄土宗、浄土真宗の信者の数は1800万人超とされ、仏教宗派の中で断トツのトップだと聞いている。

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 というわけで、次回は「浄土信仰」について書く。空也上人像を見たくて、「六波羅蜜寺」を訪ねたのだ。
 しかしその記事は明後日に回して、明日は花の記事などで一服したい、と思う。

 わが国における仏教史については、ある程度のみ込んでしまえばどうということはないのだが、仏教の流れを何も知らないとわけがわからない感じがする。それでは京都や奈良を訪ねても、清水寺で「すごい舞台だなあ」と感嘆する程度になってしまうだろう。そういうことでは古都も物足りなく感じられよう。
 読者のみなさんの中にも、仏教の宗派についてはほとんど何も知らない、とのコメントがあった。
 できればこの連載を通じて、京の人々の生きる不安を救うためにどのような宗派が起こり、仏教がどう変わっていったのか…、簡単な変遷の歴史くらいは理解していただけるように、と考えている。

2012年10月29日

  1. 曼荼羅(10/29)