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ならの小川

2012.10.24(00:01)

上賀茂神社外幣殿121012

 10月12日、上賀茂神社へ辿り着いたのは午後三時少し前だ。十月ともなると、三次半頃になれば陽がかなり傾いたと感じ始め、今日の散策はもうここまで…、と諦めねばならない。神社や寺院の受付も四時で閉めてしまうからだ。
 旅行の初日には八坂神社が華美なばかりであまりにも風情がなくがっかりしていたので、この日もさほど期待はしていなかった。紫式部邸跡に建てられた廬山寺から相国寺などを回って賀茂川の畔まで出たとき、たまたまバス便があったので上賀茂神社まで来てしまった。
 予想はよい意味で裏切られた。
 写真は上賀茂神社で真っ先に目につく建物で「外幣殿」だが、檜皮葺きの屋根が優美で美しい。
 (注:「外幣殿」は上皇や摂関家などの偉い方々がお参りにこられたとき、真っ先にお通しする建物「著到殿」として使われていた、と立て札あり)


上賀茂神社楼門121012

 上賀茂神社というと旅行ガイドブックなどに必ず掲載される朱塗りの「楼門」も檜皮葺きで、八坂神社よりずっと上品に感じられる。


上賀茂神社の蝶と萩121012

 楼門を通ってお参りを済ませる。
 萩や藤袴が美しい。


上賀茂神社の藤袴121012

 秋の七草のひとつ藤袴の写真は当ブログでは初めてだ。


ならの小川横121012

 参拝を終えて上賀茂神社を後にしようとする頃、もう日は傾き初めていた。
 木々が生い茂る中を、川に沿って歩いて行く。水量がかなりある。あれは何か…。


ならの小川と紅葉縦121012

 抑揚をつけた、祈祷と掛け声の混じったような響きが聞こえる。彼らは神官たちらしい。


上賀茂神社ならの小川の禊ぎ121012

 木の間からのぞき見ると、肌の色がまぶしい。川の流れから上がると、輪になって儀式的な舞踊を行う。これが「禊ぎ」だろうか。

 風そよぐ ならの小川の 夕暮は みそぎぞ夏の しるしなりける
 藤原家隆 が詠んだ百人一首の98番歌である。

 なんという偶然だろう、まさにこの歌とおなじような場面に出会っていた。
 (季節は夏ではなくもう十月で、水がずいぶんと冷たそうに感じられたが…)


葵橋からの賀茂川121012

 「ならの小川」と詠まれたこの川は、現在名は「明神川」という。
 今回の京都の旅では川にこだわった。古来から京都にとって水はとても大切だったからだ。陰陽師や密教の僧侶たちの祈祷においても「雨乞い」は重要な仕事だった。
 それに、「川」を知れば、京都の地理も容易に理解できる。
 上賀茂神社の脇を流れている川は「賀茂川」だ。
 写真は下流の葵橋から撮影した賀茂川である。


賀茂川合流地点121012

 「賀茂川」は下鴨神社の南方で「高野川」と合流し「鴨川」になる。
 上の写真で左側が高野川、右側が賀茂川、合流地点から先が鴨川だ。

 京の宿は鴨川に面して、十階のレストランからは高台寺ほか東山の寺院がよく見える。
 弁慶と牛若丸が出会ったとされる「五条大橋」西詰(西側の袂)から少し北へ歩いた「松原橋」のすぐ近くだ。本来の五条橋は、この松原橋の位置だという。伝説の牛若丸と弁慶の出会いはこの旧橋ということになる。
 豊臣秀吉が1589年に現在の五条通に架け替えさせた。
 こんなふうに、何かと「川」が脳裏を離れぬ旅となった。

 (注: 京都の上賀茂神社で「ならの小川」というのは紛らわしいですが、調べたところ「なら」は「楢」のようでした)

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 帰宅してみると、旅行中に apple 社からPCのリコールの知らせが届いていました。
 近日中にハードディスクの交換のためもう一度数日間お休みさせていただきますので、ブログの再開日を少し早めました。

2012年10月24日

  1. ならの小川(10/24)