
観音崎公園に近い
「古事記」によりますと、

日本武尊は、わが身を犠牲にして海を鎮めてくれた弟橘媛命を偲び、村人の敬慕の念を謝して冠を下賜されました。村人たちはこの冠を石櫃におさめて土に埋め、その上に社殿を建立して日本武尊を祀りました。そして明治の終わり頃、近隣に祀られていた弟橘媛命を合祀したのが、現在の走水神社ということになっています。

弟橘姫命の像が刻まれています。

この奥の細い道を登り、一段と高いところに登ると、弟橘媛命の記念碑があるとのことでしたが、昨年は観音崎公園の海岸を延々と歩いた後で、心臓も不調になり始め、さらに登ることを諦めていました。
今回は6月14日、ちょうど体調がどんどんよくなり始めていたところでしたので、記念碑を確かめに登りました。

裏山から見下ろす走水神社の向こうに、浦賀水道が見えています。
弟橘姫命が入水したのは、もう少し右側の観音崎寄りのほうでしょうか。

上がその記念碑、下が文面です。


裏山から防衛大学校走水海上訓練場の辺りを見下ろして撮りました。

走水神社付近のオオトキワツユクサです。
私がこのような古事記の世界に興味を持ち、あれこれ勉強を始めたきっかけは mico さんのブログ「りんどうのつぶやき」のおかげです。ありがとうございました。
《参考》クリックして下さい → 2011年10月の走水神社
上をクリックしていただくと、広角での写真については、この9ヶ月でかなりきれいに撮せるようになってきたように思います。アマチュア・カメラマンとしては、これはとても喜ばしいことです。