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観音崎・北門第一砲台跡

2012.07.24(18:30)

観音台砲台跡右の道から120614

 観音崎は昨年5月に訪れていますが、昨年から三浦半島へ出かけるたびに、三浦市、横須賀市、神奈川県といった観光に力を入れるべきセクションは、何か大きな勘違いをしているのではないか、という気がしています。
 灯台、海岸風景、岩礁地帯の奇岩、海の景色などについては、懇切ていねいに地図や案内図が整備されていますが、神社、砲台跡のような史跡については、ろくに案内図がなく、近くまで行っても気がつかず、何か別の手段で情報を仕入れ、一生懸命に捜さないと見つかりません。
 団塊の世代の中高年者は続々と退職年齢を迎えて、リュックを背負い、カメラをぶら下げた一人~数人のおじさんグループが多いのですが、彼らは必ずしも景色のよいところばかりを捜しているのではないのです。


砲台跡右階段上から120614

 横須賀歴史読本という本から引用します。
 ----三浦半島の先端に位置する観音崎は、東京湾を防備する要であった。明治初期、日本陸軍はこの地に近代的な砲台の設置を計画、明治13年、第一砲台の建設が開始された。その後、砲台建設は続けられ、やがて観音崎は東京湾の入り口を固める要塞と化す。現在、所在が確認されるのは9カ所。石材と赤煉瓦を使った巨大な施設は、今も訪れる人を圧倒する。

砲台跡、右から左を臨む120614

 正直に言って、観音崎公園内でこの「北門第一砲台跡」を見つけるのは大変でした。簡略な地図にぽつっと書いてあるだけで、道がわかりにくいのです。
 簡単に見つかるのは展望園地の「南門砲台」で、鋳つぶされかけたような28サンチ榴弾砲のレプリカが置いてあるだけ。よく調べないで訪れてこれを見たら、みなさん幻滅して帰ってしまうでしょう。
 団塊の世代もあまり戦争のことを知らない。彼らがこうしたことを若い世代に伝えていかなかったら、日本の歴史はぶつ切りになってしまうのです。彼らがいま退職年齢を迎え、史跡を訪ねて歩き始めているのだから、三浦市、横須賀市、神奈川県といった観光に力を入れるべきセクションは、このような情勢に合わせていく必要がある、と思われます。

砲台左道から全景120614

 というわけで、観音崎へは2回目の訪問でした。6月14日のことですが、ボツにしてしまうのはもったいないので、記事にしました。また、Olympus のカメラはこのような明暗の激しいシチュエーションでは白飛びしたり真っ暗になったりしますので、見やすいようにレタッチ・ソフトを使ってかなりの修正を施した画像です。
 「北門第一砲台」は真ん中のトンネル通路を隔てて右側と左側に別れていました。ここにそれぞれ海へ向けて24サンチカノン砲が設置されていたものと思われます。なお、このような説明はすべて本で調べたことで、現地には何の説明もありませんでした。


砲台付近のアジサイ120614

 北門第一砲台付近のアジサイ。


砲台付近のアカンサスモリス120614

 北門第一砲台付近のアカンサス・モリス。

 
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 昨晩は、旧 nifty serve の会議室FADVで知り合った友人たちと、横浜市中区末広町の Jazz Spot 「酔いどれ伯爵」で楽しんできました。
 青柳陽子さん(vo)、杉山泰史さん(g)の歌と演奏で、事実上の貸し切り状態。この歌と演奏を数人でしか聴かないというのは、じつにもったいない気がいたします。

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 ブログにルビを振る実験をしてみたいと思います。
 山苧環ヤマオダマキ
 おお、紗真紗 さん、ありがとうございました。livedoor 方式で成功です。
 このような便利なものは、すぐに使えるよう、いくつかデスクトップのメモに貼り付けて保存・活用しています。


2012年07月24日

  1. 観音崎・北門第一砲台跡(07/24)