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三渓園・三重塔と松風閣の廃墟

2012.07.19(18:02)

 7月10日の横浜・三渓園から、三重塔とその近くの展望台からの風景を紹介します。

垣間見える三重塔120710

 三重塔は、もと京都府相楽郡加茂町の燈明寺にあったものを大正3年に三渓園に移築したものです。燈明寺は天平7年(735年)聖武天皇の勅願によって建てられた寺院だそうですが、この三重塔の様式は室町時代に立てられたもので、関東では最古の塔だということです。
 三渓園には、このように京都などの建築物がたくさん移築され、保存されています。
 中でもこの三重塔は三渓園の顔といってもよいでしょう。


間近で見る三重塔120710


間近で見る三重塔2120710


松風閣の廃墟120710

 三重塔まで登って行くと、海岸側の断崖はさらに高いところにあることがわかります。
 そちらのほうへ歩いて行くと、このような廃墟が見つかります。
 これは「松風閣」です。
 「松風閣」は初代・原善三郎が別荘として明治20年頃に築造した建物で、伊藤博文が「松風閣」と命名しました。
 廃墟は煉瓦造りの玄関部分だそうです。松風閣の一室には原三溪が支援していた下村観山の「四季草花図」の障壁画があったそうですが、関東大震災で建物とともに焼失したそうです。

廃墟と現代の展望台120710

 現在は写真のように、奥の一段と高いところにはコンクリート造りの展望台が作られています。


展望台からの工場風景120710

 古い松風閣では風光明媚な東京湾を一望できたそうですが、現在はご覧の通りです。
 この真下がどうなっているかというと、下の写真のような断崖が連なっています。


三渓園の断崖と上海との友好の建物120710


 写真の建物は横浜と上海の友好のため建てられましたが、現在では老朽化し危険とのことで閉鎖されています。(ぼくは閉鎖される前に入って見学したことがあります)
 この後ろの断崖が三渓園を囲むように繋がっていて、右のほうへぐるっと回っていったその先の断崖の上に三重塔と松風閣があるようです。いつも自動車で通ってしまうので、見上げて確かめてはいませんが…。

 ぼくの記憶では、幼い頃はこの上海友好園のあるところまで浜になっていて、海水浴ができたはずです。ただ、当時(昭和30年頃)からもう海は汚れていて、気持ちが悪かったことを憶えています。この記憶がトラウマとなり、小学生時代は「海へ連れて行ってやる」と言われても嫌がっていたように思います。

 間近にこのようなところがありながら、いままでなぜほとんど紹介をしなかったかと言いますと、これにも「トラウマ」の話題が絡んできます。
 昭和30年代の横浜市中区では「幼稚園」や「小学一年生」の遠足はまず第一がこの「三渓園」というお決まりのコースになっているのです。幼稚園児や小学校の一年生をこのような日本庭園へ連れてきますと、「三渓園というのはつまらないところ」という強い印象が幼い心に刻み込まれ、それがずうっと大人になっても尾を引いて、続いていくのです。
 横浜市中区に古くから住んでいるぼくのような市民は、人から誘われでもしない限りなかなか三渓園に足を踏み入れず、実際にはどのようなところかのかよく知らない、という妙なことになってしまうわけです。

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 昨日のクイズについて。
 「シニア割引」という制度がありまして、ぼくは「横浜ブルク13」などの映画館は1000円で利用できますが、「三渓園」は一般大人の500円でないと利用できません(笑)。免許証などの提示を求められると、そういうことになります。
 ご存じない方も多いので、「三渓園」の窓口は念のため「一般大人の入場券でよいのですね」と確認の言葉をかけてきます。だからといって、明らかに引っ掛からない外見であれば声をかけないわけです。

2012年07月19日

  1. 三渓園・三重塔と松風閣の廃墟(07/19)