
観音崎は昨年5月に訪れていますが、昨年から三浦半島へ出かけるたびに、三浦市、横須賀市、神奈川県といった観光に力を入れるべきセクションは、何か大きな勘違いをしているのではないか、という気がしています。
灯台、海岸風景、岩礁地帯の奇岩、海の景色などについては、懇切ていねいに地図や案内図が整備されていますが、神社、砲台跡のような史跡については、ろくに案内図がなく、近くまで行っても気がつかず、何か別の手段で情報を仕入れ、一生懸命に捜さないと見つかりません。
団塊の世代の中高年者は続々と退職年齢を迎えて、リュックを背負い、カメラをぶら下げた一人~数人のおじさんグループが多いのですが、彼らは必ずしも景色のよいところばかりを捜しているのではないのです。

横須賀歴史読本という本から引用します。
----三浦半島の先端に位置する観音崎は、東京湾を防備する要であった。明治初期、日本陸軍はこの地に近代的な砲台の設置を計画、明治13年、第一砲台の建設が開始された。その後、砲台建設は続けられ、やがて観音崎は東京湾の入り口を固める要塞と化す。現在、所在が確認されるのは9カ所。石材と赤煉瓦を使った巨大な施設は、今も訪れる人を圧倒する。

正直に言って、観音崎公園内でこの「北門第一砲台跡」を見つけるのは大変でした。簡略な地図にぽつっと書いてあるだけで、道がわかりにくいのです。
簡単に見つかるのは展望園地の「南門砲台」で、鋳つぶされかけたような28サンチ榴弾砲のレプリカが置いてあるだけ。よく調べないで訪れてこれを見たら、みなさん幻滅して帰ってしまうでしょう。
団塊の世代もあまり戦争のことを知らない。彼らがこうしたことを若い世代に伝えていかなかったら、日本の歴史はぶつ切りになってしまうのです。彼らがいま退職年齢を迎え、史跡を訪ねて歩き始めているのだから、三浦市、横須賀市、神奈川県といった観光に力を入れるべきセクションは、このような情勢に合わせていく必要がある、と思われます。

というわけで、観音崎へは2回目の訪問でした。6月14日のことですが、ボツにしてしまうのはもったいないので、記事にしました。また、Olympus のカメラはこのような明暗の激しいシチュエーションでは白飛びしたり真っ暗になったりしますので、見やすいようにレタッチ・ソフトを使ってかなりの修正を施した画像です。
「北門第一砲台」は真ん中のトンネル通路を隔てて右側と左側に別れていました。ここにそれぞれ海へ向けて24サンチカノン砲が設置されていたものと思われます。なお、このような説明はすべて本で調べたことで、現地には何の説明もありませんでした。

北門第一砲台付近のアジサイ。

北門第一砲台付近のアカンサス・モリス。
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昨晩は、旧 nifty serve の会議室FADVで知り合った友人たちと、横浜市中区末広町の Jazz Spot 「酔いどれ伯爵」で楽しんできました。
青柳陽子さん(vo)、杉山泰史さん(g)の歌と演奏で、事実上の貸し切り状態。この歌と演奏を数人でしか聴かないというのは、じつにもったいない気がいたします。
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ブログにルビを振る実験をしてみたいと思います。
おお、紗真紗 さん、ありがとうございました。livedoor 方式で成功です。
このような便利なものは、すぐに使えるよう、いくつかデスクトップのメモに貼り付けて保存・活用しています。

ずっとずっとむかしまだマンション住まいだった頃、卓上の観葉植物のつもりでラミウムの小鉢を買ったことがあります。
そのラミウム(シソ科)も庭へ下ろして地植えにすると、こんなふうに広がるのです。

「臨春閣」とか、写真たくさん、下調べもして文章もたくさん、という記事を書いていると疲れますので、きょうはちょっとひと休みさせていただきます。JAZZ スポットで夜の会もありますし…。

三渓園には、子どもたちがあまり入ってこない静かな一画があります。
「臨春閣」という建物です。
紀州徳川家初代の徳川頼宣が1649年に和歌山県那珂郡岩出町の紀ノ川沿いに建てさせた夏の別荘で、「巖出御殿」と言われ、吉宗もここで育ったそうです。
それを大正6年に三渓園へ移築したのがこの「臨春閣」ということで、書院造りの建物を繋げたようなかたちになっており、とくに池へ張り出した廊下の部分など、たいへん美しく見えます。
三渓園の建物でベスト1を挙げよと言われたら、ぼくは三重塔よりも先に「臨春閣」をベスト1に推すでしょう。

ここへは門をくぐって一枚目の写真のずっと右の方からはいってくるのですが、全体像もよくわからないまま、座敷の内部を覗くことができます。


トップの写真の左側にはまだ建物が繋がっていまして、こんなふうになっています。

廊下が池の上へ張り出している部分をズームアップします。

庭園を左へ左へと回っていきます。

見え方が少し変わってきます。

瓢箪紋手水鉢というそうです。豊臣秀吉が愛用したもので、後年藤堂高虎が下賜され、伊賀上野城にあったものだそうです。

先ほどの全体写真の二枚目、左側に繋がっていた建物のところから、廊下のガラス戸越しに外を見ています。

ということは、当然内部も覗くことができます。

前庭へ出られるところまで出て、構図が一番よさそうなところを捜しました。
えー、ぼくのように大昔の思い込みから「三渓園なんて…」思われている方がいらっしゃるようなら、横浜近郊にいてこの景色を楽しまないのはもったいないですよ、と申し上げておきましょう。

かねてより、不思議に思っていることがありました。
日本国のために戦争へいき、戦死した方たちを祀っている神社へ行って、すなおに頭を下げて祈るというのは、日本人としてきわめて素朴で、当たり前の心だと思うのですが、それが「靖国神社」というだけで、なぜあれほど大騒ぎして、各政治勢力やマスコミが大舌戦を繰り広げるのか。
戦犯がどうのこうのとか、ぼくがとくに不勉強というわけではありません。ただ心情として、なぜこれほどこじれるのかどうも納得がいかない。
というわけで、自分の目で見てみようと出かけました。

境内には若い特攻隊員の遺書など掲げられていたりして、目頭が熱くなる内容でした。

お参りして、博物館となっている「遊就館」に入ります。

玄関ホールで零式艦上戦闘機とか眺めているうちは、このコックピットに座っていざ出撃するとき、若者たちは何を考えていたのだろうかとか思い巡らせましたが…。

800円で券を買って展示室へ入室、展示物を見始める前に、映像ホールで「私たちは忘れない」という50分間の映画を見ました。日清日露戦争から始まって、太平洋戦争までの戦争史です。「教科書では教えられない真実の歴史が、今よみがえる…」という謳い文句はよいのですが…。たしかに、「かけがえのない命を国に捧げた先人たちの尊い歴史を忘れないようにしよう」という気持ちは伝わるのですが、映画が進むにしたがって、いったいどういう人がこの映画を監修したのだろう? と疑問に感じざるを得ませんでした。
中国人、列強諸国、とくに米国が一方的に悪いのであって、日本人は経済的に追い詰められ、謀略にあってやむを得ず戦い、恥ずべきことはいっさいやっていない。こんな一方的な歴史観の映画がどうして作られるのか。戦争をやっているのですから、戦力の強い米国が勝ち、戦勝国米国の意向に合わせた教育が徹底され、戦後に教えられた歴史は歪んでいるのだという、その主張はわかるのですが、だからといって「日本人は被害者だ、日本人だけが正しいことをやってきたのだ」なんて、ちょっと無茶苦茶な映画なのでした。

なるほど、「これがここの神社の姿勢だ」というのなら、マスコミなどが突っつきたくなるのは無理もない、と思いました。そりゃあもしかしたら逆で、なんだかんだと世間が突き回すから、靖国神社側が身を守ろうとしてどんどん偏向していったのかも知れませんが、いまさらそんな経緯にぼくは興味はありません。
なぜ「靖国神社」というだけで政治問題化するのか、その理由はわかったような気がします。
その後の展示物などについては、ここだけでしか見られない充実した内容でしたが、詳細な戦争史等については、とてもひとつひとつ見ていく気にはなれません。歴史に片寄りは付きものとはいえ、かなり一方的に書かれている可能性もありますしね。

上の写真は人間魚雷回天です。これで出撃して百余名の若者たちが命を散らしたそうです。
召集され、若くして亡くなった方たちに、上で書いたようなことというのはまったく関係のないことで、戦死者が多数祀られている靖国神社がこのようなことになっている、というのは、「日本というのは不幸な国だな」という想いに駆られざるを得ないのでした。

こう撮れば構図もよく、夏の陽射しも取り込むことができるだろう、とは思いましたが、道の向こうが明るく光っていて、手前は薄暗がりの中に地味なギボウシの花が咲いている…。そんな写真をわかりやすく撮ることができるだろうか。ダメだろうな、と思いつつシャッターを切りました。
正直言って、いままでなら諦めていた、失敗確実のシチュエーション。
このテンプレートは写真を大きくすることができるので、手前の花は何とか見えるだろう、とは期待はしていましたけれど…。

炎天下の白っぽいハナショウブにフォーカスを当てて、白飛びしないように撮るとなりますと、きっと全体に暗い写真になり、木の舟なんかほとんど真っ黒に写るだろう。
それを自分の現像力でなんとかカバーできるだろうか…、とこれもかなり無茶な挑戦でした。
ハナショウブを、なんだかわけがわからない白飛び写真にしてしまうつもりなら、簡単なのですが…。

上二枚ほどはむずかしくないけれど、日陰でこういう写真を撮ると、花も葉の白い部分も必ずや白飛びして、細かいところがわからなくなります。
その白い部分をしっかり撮って、なおかつ葉の緑を明るい感じに撮ろうという課題でした。
どれも人の目から見るならば、どうということのない景色なのですが、カメラで写真に撮ろうとすると、どれも「明暗差」が激しく、一枚目なんぞはごちゃごちゃしてわけがわからない写真になりそうです。
二枚目も、花が何の花だかわからなくていい、雰囲気さえ撮れれば…、というなら簡単ですが。
三枚目は、やっかいにはちがいないけれど、細かくならないから、それほど難しくはないですね。
悩ましいシチュエーションでなんとかできるか! という挑戦でした。
7月10日の横浜・三渓園から、三重塔とその近くの展望台からの風景を紹介します。

三重塔は、もと京都府相楽郡加茂町の燈明寺にあったものを大正3年に三渓園に移築したものです。燈明寺は天平7年(735年)聖武天皇の勅願によって建てられた寺院だそうですが、この三重塔の様式は室町時代に立てられたもので、関東では最古の塔だということです。
三渓園には、このように京都などの建築物がたくさん移築され、保存されています。
中でもこの三重塔は三渓園の顔といってもよいでしょう。



三重塔まで登って行くと、海岸側の断崖はさらに高いところにあることがわかります。
そちらのほうへ歩いて行くと、このような廃墟が見つかります。
これは「松風閣」です。
「松風閣」は初代・原善三郎が別荘として明治20年頃に築造した建物で、伊藤博文が「松風閣」と命名しました。
廃墟は煉瓦造りの玄関部分だそうです。松風閣の一室には原三溪が支援していた下村観山の「四季草花図」の障壁画があったそうですが、関東大震災で建物とともに焼失したそうです。

現在は写真のように、奥の一段と高いところにはコンクリート造りの展望台が作られています。

古い松風閣では風光明媚な東京湾を一望できたそうですが、現在はご覧の通りです。
この真下がどうなっているかというと、下の写真のような断崖が連なっています。

写真の建物は横浜と上海の友好のため建てられましたが、現在では老朽化し危険とのことで閉鎖されています。(ぼくは閉鎖される前に入って見学したことがあります)
この後ろの断崖が三渓園を囲むように繋がっていて、右のほうへぐるっと回っていったその先の断崖の上に三重塔と松風閣があるようです。いつも自動車で通ってしまうので、見上げて確かめてはいませんが…。
ぼくの記憶では、幼い頃はこの上海友好園のあるところまで浜になっていて、海水浴ができたはずです。ただ、当時(昭和30年頃)からもう海は汚れていて、気持ちが悪かったことを憶えています。この記憶がトラウマとなり、小学生時代は「海へ連れて行ってやる」と言われても嫌がっていたように思います。
間近にこのようなところがありながら、いままでなぜほとんど紹介をしなかったかと言いますと、これにも「トラウマ」の話題が絡んできます。
昭和30年代の横浜市中区では「幼稚園」や「小学一年生」の遠足はまず第一がこの「三渓園」というお決まりのコースになっているのです。幼稚園児や小学校の一年生をこのような日本庭園へ連れてきますと、「三渓園というのはつまらないところ」という強い印象が幼い心に刻み込まれ、それがずうっと大人になっても尾を引いて、続いていくのです。
横浜市中区に古くから住んでいるぼくのような市民は、人から誘われでもしない限りなかなか三渓園に足を踏み入れず、実際にはどのようなところかのかよく知らない、という妙なことになってしまうわけです。
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昨日のクイズについて。
「シニア割引」という制度がありまして、ぼくは「横浜ブルク13」などの映画館は1000円で利用できますが、「三渓園」は一般大人の500円でないと利用できません(笑)。免許証などの提示を求められると、そういうことになります。
ご存じない方も多いので、「三渓園」の窓口は念のため「一般大人の入場券でよいのですね」と確認の言葉をかけてきます。だからといって、明らかに引っ掛からない外見であれば声をかけないわけです。

三渓園の南口まで、自動車で15分あれば十分です。
ただ入場料が500円と駐車場代が1時間200円。10日に行ったときはさすがにハスには少し早かった。そのときはハスは諦めていろいろ撮ってきましたが、それはまた後日。

昨年と比較すると、蓮池が荒れた感じで、全体の花数も大きさもかなり貧弱です。台風の影響でしょうか。
上や横から花芯を覗くことのできる花が見つかりません。花数そのものが少ないのだから、どうしようもありません。
だから、こんなふうに並べて、想像してみます。
クリックしてください → 昨年の「三渓園のハス」
樂 さんから、昨年よりも貧弱なのかと質問がありましたので、リンクを上に増設しました。
クリックすれば答えは明らか!
画質はともかく、モデルのハスは昨年はかなりのものでした。

そんな工夫をしていたら、思わぬ名場面が!

山の下から見上げた三重塔ですが、10日には近くへ登っています。
海の見える一番高いところには、以前「松風閣」という建物があったのですが、それはまた次の機会に…。

ハスの花がなんとなく消化不良の感じのまま帰宅ですが、帰り際に睡蓮も撮ってきました。
シベが見えない? ごもっともですが、根岸森林公園ではシベのきれいな花が見られますが、これほど葉がきれいではない。きれいな葉と、並んだ様子を撮りたかったのです。
南口の係員さんと話をしました。入場のときの話です。
「一枚下さい」
「一般の大人の券でよろしいでしょうか?」
クイズ! 上の質問の意味を当ててください(笑)
「祝日の翌日だから、もしかしたら休みかと思っていました」
「大晦日と三箇日以外は年中無休ですよ」
「そうでしたか。ありがとうございます」