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乃木神社と乃木希典邸 ~ 第62回SanPoの会の記録記事(2)

2012.05.05(17:36)

 前回は高橋是清翁記念公園(是清邸跡)を訪ねた、というところまででした。
 この後は約18分歩いて乃木坂へ向かいます。乃木坂には乃木希典大将を祀る乃木神社があります。
 大正元年9月13日、乃木希典は明治天皇大葬が行われた日の午後8時ころ、妻とともに自刃して亡くなりました。殉死です。
 乃木の死去を受け、読売新聞のコラムで、乃木神社建立、乃木邸の保存、新坂の乃木坂への改称等を希望するとの意見が示され、その後、日本の各地に乃木を祀った乃木神社が建立されたということです。


結婚式の記念写真 1120421 結婚式の記念写真2120421

 乃木神社では結婚式が行われていて、記念写真撮影の真っ最中の中へ入ってしまいました。
 その様子を眺めていて、乃木神社の写真を撮るのを忘れました(笑)。


乃木希典邸120421

 乃木神社は乃木希典大将が住んでいた邸宅と隣り合っていました。
 乃木邸は明治35年に新築、殉死までのあいだ彼はここに住んでいました。将軍がドイツ留学中に見たフランス軍隊の建物を模範にして建てたというものです。建坪168㎡で簡素な山荘いった感じです。


乃木希典邸玄関120421

 表玄関です。


乃木希典邸側面120421

 右側面。応接間のようです。内部を見られるのは毎年9月12、13日のみということのようです。


乃木希典邸厩120421

 この建物には、煉瓦造りの馬小屋が付属していて、こちらのほうがずっと立派に見えるのがおもしろい。看板には「馬をかわいがり大切にした大将の人柄が偲ばれる」とありました。

厩内部120421 乃木希典邸厩裏120421

 『坂の上の雲』の描き方は乃木に対してかなり批判的なものでしたが、朝日新聞の今年2月8日の報道では、
日露戦争後に学習院院長に就いた乃木が親交のあった修道中学校の佐藤正校主に送った直筆の手紙が見つかったとのこと。
その中で、日露戦争で多くの兵士を死なせたことへの自責の念がつづられているらしい。乃木の手紙は過去にも見つかっていますが、こうした心情が率直に書かれたものは貴重だそうです。
 乃木大将は日露戦争で息子2人を失い、中国・旅順攻略を指揮した際には約6万人の戦死傷者を出したわけですが、手紙には「戦死病没者ノ遺家族ニ対シテ申訳ナク」との思いが書かれ、息子の戦死で面目を保つことができた、とする記述もあった。養子については「弊家ハ小生共一代ニテ」(自分の家は自分一代で、の意)とし、後継ぎは考えていないとの気持ちを伝えていた、とのことでした。

 乃木神社を出た後はまた次回とします。

2012年05月05日

  1. 乃木神社と乃木希典邸 ~ 第62回SanPoの会の記録記事(2)(05/05)