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赤坂・豊川稲荷から高橋是清記念公園へ (第62回San Poの会記録記事)

2012.05.03(17:30)

【豊川稲荷・東京別院】

豊川稲荷120421

 4月21日の第62回SanPoの会の記録記事です。
 この日はかなりの曇天であり都内コースでした。午後1時に赤坂見附駅へ集合後、青山通りを歩いて豊川稲荷神社(港区元赤坂1丁目4-7)を訪ねました。

 Wikipediaを調べてみると、なかなかおもしろいことが書かれています。


豊川稲荷参拝120421


【赤坂の豊川稲荷の経緯】

 大岡越前守忠相が豊川稲荷から吒枳尼天(だきにてん)を勧請し、屋敷稲荷として自邸で祀ったのが由来。
 大岡家では、三河時代から豊川稲荷を信仰していた。越前守のとき、江戸の下屋敷に吒枳尼天を勧請して祀った。その後、下屋敷が赤坂一ツ木に移転となり、豊川稲荷も引き続き移転先の屋敷で祀られた。
 江戸では稲荷信仰が盛んであったため、大岡邸では毎月2回は門を開け、一般庶民の稲荷への参拝を許した。
 その後、文政11年(1828年)、信徒の要望により、妙厳寺が一ツ木の大岡邸の敷地の一部を借り受け、豊川稲荷の江戸参詣所を建立した。これが豊川稲荷の東京別院の創建。これにより一般信徒も毎日参拝できるようになった。
 明治9年、東京府が「私有地で祀られる社堂への無許可での一般参拝」を禁止した。これにより東京参詣所も一般参拝ができなくなり、大岡邸の吒枳尼天の分霊は豊川の妙厳寺本院へ還された。2年後許可が下り、一般参拝を再開。
 明治20年、大岡邸の一角では手狭になり、現在地に移転した。


豊川稲荷の木組み120421

 ところで、最近少しずつ神社や寺院建築の勉強を始めました。
 お参りしたときには、やはり組物に注目して記録してこないといけないようです。日本は一般住宅には組物はありませんが、中国や韓国の住宅には組物がある、という話を聞きました。
 それと「紋」。稲荷神社では「抱き稲」紋が多いようです。ここ豊川稲荷の紋は「二つ穂変わり抱き稲紋」と言われているようです。


キツネの灯籠120421



【草月会館のロビー】

イサムノグチの石庭120421

 豊川稲荷を出て青山通りをさらに歩くと「草月会館」(港区赤坂7-2-21)という建物があります。
 華道・草月流の総本部がある「草月会館」は、丹下健三が設計し77年に建てられたそうです。会館を入ると「石庭」があり、これが彫刻家イサム・ノグチの作品だそうです。
 イサム・ノグチは横浜美術館で個展が開かれて見に行ったことがあります。彼の抽象彫刻は横浜美術館の主要なコレクションになっています。

 この彫刻家が「草月会館」とどのような関係があるのか調べてみました。
 イサム・ノグチは草月流創始者の勅使河原蒼風と1951年に出合い、それ以降交流を深めたそうです。
 蒼風はノグチの作品をコレクションし、草月会館を新築する際に1階全体をノグチに依頼しました。石の庭<天国>はそうした経緯でここにある、ということのようです。
 同行のN氏は「理解できない」とつぶやいていましたが、この作品は「石庭」ですから、上へ昇って眺め、回遊して眺める作品で、土曜日で誰もいない様子だからと遠慮して下から見上げていただけでは理解できなくて当たり前でしょう。ぼくはイサム・ノグチの諸作品がとても好きなのですが、石庭を下から眺めていただけでは、Nさん同様に何も感じられませんでした。


【高橋是清翁記念公園】

高橋是清公園120421

 少し歩いて「高橋是清翁記念公園」(港区赤坂七丁目3番39号)に立ち寄りました。
 第20代の首相・高橋是清の邸宅跡です。是清邸の敷地は約二千坪、現在公園に隣接しているカナダ大使館も往時は高橋邸の一部だったそうです。
 邸宅の建物のほうは小金井公園内の「江戸東京たてもの園」に移築されました。同じSan Poの会で「江戸たてもの園」へ行ったときに内部をすでに見ています。
 下は高橋是清像です。

高橋是清象120421


 記念公園を出て、隣にあるドイツ文化会館のパン屋さんで、お土産用のドイツパンを買いました。
 その後は乃木神社へ向かいますが、それはまた次回。
 
 なお、今回はコンパクトデジカメでの撮影ですが、曇天だったせいか比較的よく撮れているようです。

2012年05月03日

  1. 赤坂・豊川稲荷から高橋是清記念公園へ (第62回San Poの会記録記事)(05/03)