
5月23日、港の見える丘公園付近を散策しました。
お目当てはイギリス館のバラ園です。
イギリス館は、昭和12年に上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として、現在の地に建てられました。 昭和44年に横浜市が取得し、コンサートや会議等に利用されています。
本日は明日からの休暇を控えていろいろと準備があり、写真2枚だけとさせていただきます。

「ほのか」は、2004年京成バラ園作出の四季咲中輪バラです。クリーム色の花弁を桃紅色が縁取る様子が上品で、好感をおぼえます。フロリバンダ系です。Floribunda は、花束を意味する語で、中輪で枝分かれをしてたくさんの花を咲かせる種類を言うのですが、バラの品種についてよく出てくる言葉なので憶えておくと便利です。
23日はこのあと日大生物科学資源部(藤沢キャンパス)のバラ園も訪ねて、1日で700枚以上の写真を撮っています。5月11日の鎌倉散策でも「光明寺」という大物紹介が残っていまして、庭でも次々と花が咲いてますし、これで月曜日から一週間休んでしまうとどうなるのか、ちょっと心配でもあります。
「ディックの本棚」でも、美術展や読書の感想で書いていないものが残っています。
休んでいる最中に花菖蒲や紫陽花が咲き始めそうですし、復帰後はまたずいぶんと忙しくなりそうです。
それでは、また6月3日~4日頃に当ブログでみなさんをお迎えできるでしょう。

5月19日の「第63回San Poの会記録記事」の続きです。
東京ゲートブリッジを下りて、若洲キャンプ場から海岸のほう、「若洲海浜公園」のほうへと回っていきます。
振り返ると、東京ゲーブリッジの反対側が見えます。

正面のタワー(何に使われているのかわかりません)の上空に羽田へ降下していく旅客機が見えます。

海沿いのサイクリングロードを歩きます。このサイクリングロードは、小肥りさんもプレーしたことがあるという若洲ゴルフ場の脇を海沿いに若洲橋まで続いています。
自転車もあまり多くなく、いてもほとんどが家族連れですので、安心して歩けます。ところどころヒルザキツキミソウがかれんなピンクの花を咲かせています。
また、スタート地点から東海道五十三次の安藤広重の浮世絵に因んだ宿場町の名前がゴール地点の日本橋まで続いており、飽きさせない工夫もされています。
海岸の遠くを眺めると、ギシギシ(だと思う)が生い茂る向こうに遠く目的地の葛西臨海公園が見えます。
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その前に渡らなければならない「荒川河口橋」も見えていますが、歩けども歩けどもなかなか橋が近くに来ません。


若洲ゴルフ場の入口から若洲橋を渡り、ここからはサイクリングロードを離れて産業用道路を荒川河口橋の登り口まで、真直ぐの道をひたすら歩きます、これが予想外に長かった。
都立の東京ヘリポートの横を抜け、警視庁の研修所の横を通ります。工事中の建物を覗き込むと、震災の爪痕が見えました。
右上は、これから渡る荒川河口橋のプレートです。


荒川河口橋を渡ります。ご覧のようにインターチェンジが間近で交通量が多い。あまりの騒音にいらいらしながら歩きます。
当初予定では葛西臨海公園をぐるっと廻ってから旧江戸川の堤を通って「湯処葛西」へ行く予定でしたが、橋を渡り切った段階ですでに16時になっていたため、予定を変更して新左近川親水公園、富士公園を通って直接湯処葛西へ向かいました。途中歩道橋など渡りますが、そこにも震災の爪痕が…。

江戸川区というところはやたらと公園が多いところだなあ、と思っていたら、同行のKさんが「高圧送電線の下だからでしょう」と。なるほど、と合点がいきました。
途中の富士公園では、思いがけず満開の春バラを観賞することができました。
湯処葛西へ到着した時には17:20くらいになっていました。それから18:30まではゆっくり入浴。なにしろ3万歩を越えてましたので、足が痛んでました。
浦安橋を渡り、駅前の魚民で懇親会を行い、隣の日高屋で締めのラーメンを食べて21時の解散。最長記録となった第63回San Poの会でした。
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月曜日から来週一週間お休みさせていただきますので、「San Poの会」の記事を終わらせてほっとしています。来月はこの会は6月9日の予定につき、急に活発に歩き回るわけにはいかないので、ぼくは欠席の予定にしています。
当ブログは明日日曜日(27日)の記事で一区切りとし、6月3日~4日頃に再開できればいいな、と計画しています。

5月11日、すでに紹介した「本覚寺」(5月16日記事)を訪ねたあと、鎌倉市大町1-15-1の「妙本寺」を訪ねました。
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妙本寺は日蓮宗の寺院ですが、それは紆余曲折あってそうなったもので、ぼくにとって大切なのは、この谷戸が比企谷(ひきがやつ)と呼ばれ、鎌倉時代に比企能員(よしかず)一族の屋敷があった跡だ、ということでした。

比企能員は鎌倉幕府の有力な御家人で、源頼朝の乳母比企尼の養子、能員の妻は源頼家の乳母という将軍家に近い関係でした。
ところが頼朝亡き後の執権北条氏というのは、有力な御家人の一族が大嫌い。難癖付けては対立し、のっぴきならぬところへ追い込んでは「謀反だ」として一族を滅ぼしてしまうという陰謀が大好きな連中です。比企一族もやられました(小御所合戦、比企の乱、比企能員の変)。
我が祖先も北条氏にやられた三浦一族に繋がるので、上のような話を聞くとぼくは何かと比企一族に肩入れしてしまい、ここを訪ねてみたくなったというわけてです。
上の写真ですが、方丈門から入っていき、狭い階段を昇ると、その奥に本堂が見えてきます。

上が本堂です。

本堂の屋根。
屋根の紋などから日蓮宗の寺院であることがわかります。
比企能員の末子能本が生き残っていました。Wikipedia によりますと「儒学者として幕府につかえ、鎌倉で布教していた日蓮に帰依していたため、邸宅を献呈し堂宇とし、妙本寺とした。以後日蓮宗の重要な拠点となった」というのが妙本寺の由来のようです。


上・左は本堂破風、笹竜胆の紋は 源氏との関係を示すのでしょうか。
上・右は鐘楼です。

祖師堂です。
その寺の開山・開基,またその宗派の開祖の像(祖師像)を安置する堂で日蓮宗では重要視されて立派な建物が多いようです。

祖師堂から二天門を臨みます。

帰ってきてからいろいろと勉強していると、比企氏の墓を見ていないし、いろいろと見落としがあります。
寺院巡りというのは、このように一回だけではダメでして、初回は場所と雰囲気を憶えて、二回目以降の訪問が一層充実するよう下調べが肝心です。

わが家の玄関前に小さな繁みを作っているトキワツユクサです。ツユクサ科ムラサキツユクサ属の多年草。
大きく見えるかも知れませんがそれはマクロレンズで撮影しているからで、とても小さな花です。背丈は15cm くらい。伸びても20cmを少し越えるくらいです。

三浦半島などに見られる背丈80cm 以上にもなるオオトキワツユクサとは明らかに別種です。
茎が濃くくすんだ赤色をしているのがわかると思います。茎は細く、なよっとしています。オオトキワツユクサは太くがっしりしています。オオトキワツユクサは、わが家のトキワツユクサと比較すると、花の直径は約3倍、茎の直径は4倍以上、葉の長さも約3倍、地面から立ち上がる高さは4倍以上の大きさに見えます。

わが家の周辺の住宅地で見られるのはトキワツユクサばかりで、オオトキワツユクサは見られません。
玄関前ではヒメツルソバと勝負していますが、ヒメツルソバは冬に枯れて汚くなるので、ぼくはトキワツユクサのほうを贔屓しています

【これは何?】(5月16日)

駐車場の横の縁石のところにこれが出てきたのは二回目。
前回のときは下側の花弁の筋が真ん中一本しかありませんでした。
スミレの仲間なのでしょうか? スミレについては知識も経験もほとんどなく、タチツボスミレとツボスミレがわかる程度につき、「これは何でしょう?」をやることにしました。
新兵器「アングルファインダー」(逆潜望鏡のようなもの)のおかげで、低い花、小さい花であっても頸を痛めずしっかりとフォーカスを合わせることができるようになってきました。向きの調整など、まだ多少戸惑いますが、便利です。
【シラン】(5月4日)

庭の改造に伴い、キャラ(伽羅)の陰から陽当たりのよい場所へ移動させました。
今年は生き生きと咲いています。写真も撮りやすくなりました。


ぼくはこのシランを真横から撮ると、どうしても映画『エイリアン』を思い出してしまいます(笑)
【セリバヒエンソウ】(5月4日、5日)

セリバヒエンソウはもう終わってしまいましたが、真横から撮った写真が気に入っていたので、ボツにしてしまうのはもったいなく、遅ればせながら掲載させていただきます。

【サンジソウ】(5月5日)

ハゼランなども午後三時過ぎから咲き始めるのでサンジソウと呼ばれていますが、これは南アフリカ原産の多肉植物です。やはり午後3時頃から咲き始めます。
【カキドオシ】(5月7日)

何度撮ってもなかなかうまく撮れないカキドオシ。ほとんど終わってしまいましたので、諦めて出しておきます。
【ツタバウンラン】(5月7日)

こちらは一度植えたら付近一帯に広がっているツタバウンラン。花屋さんは確か何かいい加減な名前を付けて販売していました。
【ムラサキサギゴケ】(特別出演)

ムラサキサギゴケはわが家の庭ではなくて、根岸森林公園から特別出演です。カキドオシとツタバウンランを出したので、なんとなく連想して、ここで出しておこうかなと。もう時期は過ぎてしまいましたが…。
今晩は申し訳ないですが、ボツにしてしまうのは少しもったいない写真を在庫一掃セールのように出してます。来週は丸一週間お休みをいただかなければならないので、今週中に在庫整理をある程度やっておきませんとほんとうのお蔵入りになってしまいますので。

根岸外人墓地門前にお住まいのSさんの奥様が、石垣のひとつひとつにていねいに植え込まれたコバノタツナミ。
5月1日に撮りにいきましたが早すぎて、ここで紹介したのはたった一枚。それではかわいそうなので、5月11日、鎌倉へ散策に出る前に立ち寄らせていただいて、撮影してきました。

白よりも紫色のほうが先に開花するようで、このときは白がピークの状態でしたが、紫色のほうもまだ元気です。

住宅地などで栽培されているのは、ここで見ていただいているように「コバノタツナミ」と言われる種類で背丈5cm~15cm 程度。20~40cm と言われる「タツナミソウ」とは通常区別されています。葉が小さいため、鋸歯の数を数えてもタツナミソウより少なく片側5~6程度です。

最後の一枚はSさん宅からかみさんがいただいてきまして、わが家で育てたもの。
玄関前の鉢植えに植えていたのですが、鉢から下りてレンガの隙間に根付いてしまいました。
さすが石垣の隙間で根付いていただけのことはあるな、などと感心しています。

月に一回花の苗を預かって、自宅前の私道で販売するということを、かみさんは何年か続けていましたが、一昨年父が亡くなる一月前にやったのが最後になっていました。
中断中にパートナーだった花屋さんもその仕事を辞めてしまい、再開はもう諦めていました。
今春、わが家の庭のプランと再生を手がけてくださったガーデナーのTさんとのあいだで、路上花屋さんの話が思いがけず復活できることとなりました。
近所の方々の再開への期待もありまして、5月19~20日、かなりの賑わいでした。
ご近所付き合いと言っても、何か共通の話題でもない限り、現代人のお付き合いは希薄になっていますが、こうしたちょっとしたイベントがあると、みなさんかなり長時間ぶらついて話し込んでいきます。今年は「お庭がきれいになりましたね。見せていただけますか」というふうに話が弾むことがあり、「こちらの方にやっていただいたのですよ」とTさんを紹介するケースもあって、コミュニケーションの輪が広がっていきます。

上の写真でお客様が乗っていらしたベンツの左側を下りたところに叔母の家があります。
ベンツのすぐ左にフェンスがあり、ぼくが毎年紹介しているトケイソウはそのフェンスで咲いています。

このトケイソウはもう何年もずっと楽しませてくれていましたが、一昨年くらいから勢いをなくし、昨年は花数がとても少なくなって、「いよいよもうダメだろう」と諦めていたのですが、今年は勢いを盛り返して復活しています。
ベンツの写真の左下の葉はアオダモで、アオダモはすでに紹介させていただいたわが家のウッドデッキの「くり抜き穴」から出てきています。
そのデッキの脇にピンクのバラがありまして、今ごろになってようやく花を咲かせ始めました(↓ 下の写真)

20日の早朝の写真です。
19日の夜、Tさんが持ち込んだ一部の花苗はわが家の庭で一晩過ごしました(↓ 下の写真)


以前は北東向きの道路のほうで花屋さんをやっていました。
今回は新しく改装した庭を背景に花屋さん。このほうが明るくて、賑わいも増すようです。

数年前からの花好きのお客様がみなさんよろこんでくださって、それが何よりもこの活動の支えです。