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松阪城と本居宣長邸

2012.02.18(15:03)

本居宣長邸前120116

 本居宣長というと、「源氏物語」を評価して、「もののあはれ」が日本の文学の特質だ、と提唱したことで知られ、ぼくも古典だか日本史だかの時間にそんなことを習い、なんとなく「文学者」のイメージが強いのですが、新潮OH!文庫の『日本がわかる思想入門』を読んでいたら、どうもそういう人ではないようです。


松阪城趾から見た本居宣長邸120116

 本居宣長は文学者である以前に、思想家であり、国学者だったということらしい。仏教とか儒教とか、そういう「外国文化の影響で日本文化はダメになった」と言いたいのが基本にあって、古代日本人の美意識こそが気高く、日本人が取り戻すべきもの、ということで「古事記」をしっかりと研究したり、「源氏物語」を持ち上げたりしたようです。
 その本居宣長邸の門を、松阪城の石垣の上から見下ろしたのが、上の写真です。
 この屋敷は本来公開されているのですが、旅行の帰りの日1月16日は月曜日なのでお休み。外から覗くだけでした。残念です。


本居宣長邸跡120116

 本居宣長は松阪の木綿商の次男として生まれたということで、彼の屋敷は松阪市魚町1645番地に上写真の屋敷跡のようにあったのですが、明治42年に松阪城趾へ移築されました。


松阪城石垣縦120116

 松阪城は名将蒲生氏郷が築城した城で、秀吉が伊達政宗の抑えとして後に会津へ転封したことはよく知られています。
 蒲生氏郷の築いた城としてもう少し上手な宣伝すれば、観光に役立つのではないかと思いますが、残念ながら櫓が何も残っていない。


松阪城石垣見下ろし縦120116

 しかし、石垣はよく残されていて、これはかなりの魅力です。蒲生氏郷は自分の出身地でもある穴太衆を中心に地元の農民をかり出し石垣を組み上げたそうで、広大な松阪城趾は「石垣の公園」といったふうに見えます。伊賀上野城と同様、石垣の端まで行って下を覗き込むことが可能です。落ちたら自己責任です。(「穴田」についてはぼくが贔屓にしている佐々木譲さんの小説『天下城』で取り上げられています)


松阪城内の松120116

 全般に地方財政の資金不足でしょうか、それとも「自然な状態を大切にしたい」ということなのか、広大な城内の松などの樹木は、やや手入れ不足の感がありました。


松阪城内の木々120116


松阪城から眺める松阪の町120116

 平山城というのでしょうか、小高い丘に築城されていて、上は城の真ん中のあたりから松阪の町を見ています。

 全般に雲が厚く寒い日でした。三重県食べ歩き旅行の最終日、レンタカーを松阪で返却することになっていまして、午前中は取りあえず松阪城へ行ってみようか、という程度の発想でした。月曜日は市などが運営する施設はお休みというのは、かみさんと長女の勘定に入っていなくて、ぼくは「休みではないかな」とは思っていましたが、城などだったら自由に見られるはずなので、あまり気にしていませんでした。
 それでもやはり、本居宣長邸は残念なことをしました。
 なお、以上は申し訳ありませんが1月16日の記録です。旅行記として書きとめておくのが本来の目的ですが、ご覧いただく以上、本居宣長とか少しでも興味深い情報を盛り込んでおこう、と心掛けております。

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 かみさんが長男のところへ行ってまして、当方は本日からやや不自由な状態となっています。
 月曜から金曜まで外食だけのビジネスホテル生活。夜に仕事が終わる頃には食事できる店は開いてなくて、毎日コンビニ弁当。そんな生活で先週は土日に従兄弟の結婚式のために横浜へ戻ってくるなどというのは、やはりちょっとハードに過ぎたのか、木曜日に和歌山で具合が悪くなり、翌金曜日先輩が助けにいっても、津から和歌山まで3時間、戻ってくるのに3時間、上司が入院を手配していた病院の診療時間には間に合わなかったようです。
 昨日はいったんよくなったものの夜間に苦しくなり、救急車を呼んだとか…。社宅はコンビニまで行くだけでも30分は歩かねばならないようなところで、本人がほんとうにへばると誰か手助けがいないかぎりどうにもならない。今回は仕方ありません。

2012年02月18日

  1. 松阪城と本居宣長邸(02/18)