
奈良の中心部からは斑鳩はやや遠いし、まだ10時過ぎだしと、ちょっと油断をしていました。
ふと見れば、金堂前には小学生の一団がやってきています。

大講堂の前には女学生の一団が…。
これってレンズのせいかなあ。唐招提寺も、薬師寺も、屋根の線は真っ直ぐでした。
ほんとうに真ん中が少し下がっているのか、レンズの歪みのせいか、それがわかりません。(この日はちょっと撮影が粗雑で、どちらかほんとうにわかりません)

彼女たちは何を待っているかというと、五重塔の拝観です。東西南北のどこの入り口から中を覗くかによって、見える粗造群の内容が変わります。東、南、西と見て、「さあ、北だ」と思ったときはこの長蛇の列でした。

金堂など拝観しつつ、長蛇の列が10人くらいになってからぼくはその後ろに並びました。ぼくの前は添乗員と先生です。
女学生たちの会話。
「なんだかよくわかんない」
「なんだか真ん中にでかいのが寝ているぅ」
添乗員も先生も何の指導もしません。仕方ないから後ろから
「それはお釈迦様が亡くなられるところを弟子たちみんなで見守っているのでしょう」と声をかけると、先生が…、「あ、そうか、やっと、わかったぁ」
帰ってこの話をすると、かみさんの女学校では、修学旅行はグループ分けして自由行動をさせ、各グループはあらかじめ下調べし、勉強をして、最後はレポートを出さなければならないから、そんなことはあり得なかった、そうです。
ぼくが思うのは、「せめて先生くらいは生徒を指導できる程度に勉強しておいてほしいな」ということですね

このような無理な広角の構図は控えているつもりでしたが、相応に迫力があり、左側の金堂の倒れかかる歪みを、左側の屋根の存在の重みで少し打ち消しているような気がして、この写真はそれを理由に「可」としました。
そんな勝手な理由が通るのかどうか、ちょっとよくわかりませんが、みなさんのご反応をうかがいたい、と思います。
五重塔拝観待ちの金堂ですが、金銅の釈迦三尊像が有名です。真ん中が釈迦如来、脇侍は、向かって右が薬王菩薩、左が薬上菩薩です。以前写真で見たときは、なんだかちょっと稚拙な感じの様式的表現だな、と思ったものですが、この三尊の表情は、一度見たら忘れられない印象を残します。止利仏師の作と言われ、北魏様式だそうです。
奈良の有名な仏像というのは、写真集などでよく語られており、人によって受け止め方もいろいろあるでしょう。表現はときに妙に様式的なものもありますが、実際に見た印象はやはり顔の表情が強い印象を与えるように思います。
たてつづけにいろいろな仏像を見ていて、その写真は撮っていないわけですが、あとからパンフレットや画集などを見て、「ああ、あれか」と思い出すのは、さほど数多くあるはずはないのですが、この旅行では、それがずいぶんと多いのでした。

上の金堂の写真、屋根を支える柱の飾りに注目してください。よく見れば、五重塔も同じです。

上は2倍のテレコンバータを付けて、事実上120mmの望遠したレンズで、五重塔の屋根柱の飾りを撮影したものです。

中門から外へ出て、東室聖霊院の奥を回っていきます。右が細殿、左が食堂です。

大宝蔵院まで来ました。
その奥が百済観音堂。大宝蔵院には「玉虫厨子」などが安置され、百済観音堂には百済観音像があります。飛鳥時代、百済人の作と伝えられるこの像、9頭身くらいじゃないでしょうか。顔など痛みが目立ちますが、逆に長々と下がった仏衣の袖の様式的表現が特異で、「ああ、あれか」と思われる方も多いのではないか、と思います。
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さて、今晩は例の「San Po の会」へ出かけておりまして、この記事は予約投稿となっています。
帰りの時刻によっては、今晩はみなさんのところへお伺いできないかも知れません。