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唐招提寺 ~ 鑑真和上御廟、戒壇など

2011.10.22(18:30)

唐招提寺本願殿付近111002

 唐招提寺の主要な建物を見てまわりましたので、少し奥のほうへ入ろうと思います。
 松尾芭蕉の句碑「若葉して 御目の雫 拭はばや」のある本願殿(旧開山堂)の横を上がります。
 上の句は、元禄元年、鑑真和上坐像を廃した際に芭蕉が詠んだ句です。鑑真は日本へ辿り着いたときには、何回も難波するなどしたために目が見えなくなっていたのです。
 その辺りで一枚撮りました。一番奥の鴟尾の目立つ建物が金堂、その手前が講堂です。


唐招提寺御影堂111002

 右の方へいくと、「御影堂」があります。国宝の鑑真和上像は、毎年6月6日の開山忌舎利会の際、前後三日間だけ御影堂内が航海されて参拝することができます。本日は外から覗くだけになります。


鑑真和尚御廟へ向かう111002

 鑑真和上御廟へ向かいます。上のような道の奥にあります。


鑑真和尚御廟111002

 これが鑑真和上御廟(墓所)です。


鑑真和上御廟を囲む池111002

 御廟は池に囲まれた閑静な林の中にあります。


唐招提寺地蔵堂前の道111002

 ふたたび道を戻っていき、御影堂入り口を過ぎたあたりの道です。唐招提寺の閑静な境内の様子が察せられると思います。


唐招提寺中興門の瓦111002

 この瓦は、中興堂の門の屋根だったと記憶しています。


唐招提寺戒壇111002

 ずっと奥を回って、唐招提寺境内の西の奥に「戒壇」があります。
 お寺のパンフレットにさえ説明がありませんが、そもそも当時の日本に正式な授戒の作法を伝えたのは鑑真で、東大寺の「戒壇院」のところで書いたように、出家者が正式な僧となるためには、授戒(戒律を授けられる)の儀式を経てようやく僧となることができるのであり、日本にはそのための施設としての戒壇がなかった。鑑真が渡来して初めて戒壇が唐招提寺に設けられたのでした。
 五木寛之氏の『百寺巡礼』第一巻の「唐招提寺」によれば、東大寺は唐招提寺から鑑真を招いて戒壇院を創建し、以降は、僧たちは東大寺で授戒を受けた(受戒した)後に唐招提寺で戒律を学び、それぞれの寺に戻るようになった、といいます。
 鑑真は東大寺を去った跡、唐招提寺にも戒壇を設けました。同寺のホームページによりますと、創建時に築かれたとされていますが、中世に廃され、その後再興されたものの火災により建物は失われました。現在は、3段の石壇のみが残り、その上に昭和53年(1980)にインド・サンチーの古塔を模した宝塔が築かれました。 

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 ★ 昨晩は横浜バロック室内合奏団の第60会定期演奏会でした。
  コンサートのあと「お茶会」(観客とメンバーの懇親会)にまで付き合ってきたので帰宅が遅くなりました。
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2011年10月22日

  1. 唐招提寺 ~ 鑑真和上御廟、戒壇など(10/22)