
東大寺の「修二会」(俗には「お水取り」)の法会は、二週間も続くし、世間から見れば長い松明をともし外面的にも派手に見えて興味を惹くので、テレビなどでもよく放映されるそうです。
その練行衆が「修二会」のときには毎夜登るという階段を、ぼくは下りていき、途中からもう一度「閼伽井屋」(あかいや)を眺めて、二月堂に別れを告げました。

「閼伽井屋」(あかいや)の正面側です。

隣にある大きな建物はひっそりとした佇まいです。おそらくはこれが法華堂(三月堂)だと思います。東大寺に現存する数少ない奈良時代建築のひとつであり、堂内に安置する仏像も奈良時代の作だといいます
本尊は不空羂索観音立像(ふくうけんざくかんのんりゅうぞう)として有名で、その左右の脇侍として日光菩薩・月光菩薩像(塑造)が人気があります。
しかし、三月堂は平成23年8月1日から25年3月末日まで須弥壇の補修等のため拝観停止となり、国宝の仏像は東大寺ミュージアムに移されました。その東大寺ミュージアムの開館は10月10日からオープンであり、ぼくは6日までしか奈良にいられません。
こういうことを書くのはもう何回目かになりますが、古い文化財には補修が付きものであり、運・不運はどうしようもない、と諦めるしかないのです。

気をとりなおして、東大寺の中を、春日大社の方向へ移動します。
上の写真は手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)といいます。東大寺に隣接し、菅原道真の「このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」の歌で有名ですが、これから春日大社へ行こうとしているのですから、ちらっと覗くだけにします。

ゆるやかに上り道を歩いて行くと茶店が集まっていて、広く開けてきました。左側に広がるのは若草山です。初日に「戒壇院」付近ほか、東大寺の各所から背景に見えていた山です。横目に見ながら通り過ぎ、ふたたび林の中へと入っていくと、水谷神社(みずやじんじゃ)というのがありました。

水谷神社は春日大社の「摂社」のひとつだそうです。摂社とは、本社(春日大社)に縁故の深い神を祀った小規模神社くらいの意味にとらえておけばよい、と思います。この頃から、陽射しが強くなってきて、空が明るくなってきました。
この神社の横にある茶店で休息することにしました。何時頃だったでしょうか、多分10時頃だったと思います。わらび餅とアイスティーを注文して、地図を出し、春日大社への道順などを確認し、ガイドブックをめくって、昼食はどうしようか、午後はどうしようか、などと考えます。かなり行き当たりばったりなのです。

茶店のすぐ横から「水谷道」(みずやみち)というのが春日大社の方向へ向かっています。古くから東大寺と春日大社を結ぶ巡礼道として使われていた、と立て札がありました。
上の写真が「水谷道」の入り口です。左側はもうほとんど人手の入っていない原生林状態です。

どんどん歩くと石灯籠が増えてきて、どうやら春日大社が近づいてきたようです。

あれれ、いきなり…。本来の参道ではなく、春日大社の本殿付近に横から入り込んでしまいました。

そして、結婚式と観光客の渦の中へ…。先ほどまでの静けさはどこへいってしまったのでしょうか。
外国人観光客の姿もたくさん見える春日神社です。